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2012年7月16日 (月)

いじめと学校統治

学校という社会の「社会管理」…governance…は、従来の学校関連法等において明示的に学校や教師の義務になっていないし、したがって彼らは、具体的な管理能力を訓練付与されていない。教師育成のカリキュラムの中に、それが強力に明示的に存在しない。

だから象徴的に言うと学校や教師は、いじめ自殺等で責められたとき、none of our businessと言って開き直ればよい。

学校社会の適正なガバナンス(※)が学校および教師の日常の重要職務として明示化され、充実したそのスキル訓練が行われるようになると、教師志望者は激減し、また、これまでとは違うタイプの人間が教師職を志望することが期待される。〔※: 具体的には児童生徒によるセルフ・ガバナンス(自治)の育成培養の作業。〕

うーん、別のところで書こうと思っていたが、アラブの春の次は中国とロシア(とその他の似非社会主義国)の春、インドアフリカの春、さらにその次が近代化優等生国(アメリカ、ヨーロッパ、日本、…)の春だ。学校のredefining…その定義を抜本的に変えること…はその春の課題の典型の一つだ。今の学校は、ちょうど結婚などと同じく、古すぎて無意味なものになってるものが、無反省・盲目的に尊重されてるだけだ。

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コメント

教壇なんか取っ払って
生徒も教師も全員が向き合う形を
つくらないとだめですね。
「いじめ」はなくなりません。

投稿: musataro | 2012年7月17日 (火) 06時25分

@musataro
> 全員が向き合う形
そうですよね!
それと並行して、児童生徒と教師双方におけるコミュニケーション意思/能力の涵養がきわめて重要です。コミュニケーションなきところ良質なガバナンスなし(荒れた社会があるのみ)。

投稿: iwatani | 2012年7月17日 (火) 07時30分

おはようございます

これは、特に関心のあるテーマなので、折に触れ勉強して
いるのですけれど、
最近、読んでいるのは

きのくに子どもの村学園、の取り組みです。

いじめは無い、とか。

学んでみると、いいと思う。

変わらないといけないのは、確かなのだから

教師の力量も相当ハイレベルが求められるのでしょう。
取り組みがいは、あるよね

simomitu

投稿: 下光博之 | 2012年7月17日 (火) 07時40分

聴き手(生徒)が、しかもおそらく自分と意見をことにするだろう聴き手が、沈黙を余儀なくされているような場所で、得意になって(教師が)自分の意見を発表するのは、あまりに勝手すぎるものであろう、とマックス・ヴェーヴァ―が指摘していますよね?

投稿: ボロミンクン | 2012年7月17日 (火) 10時26分

「ラジカルなコンピュータ」「思想のためのインターネット」のどちらかに、「教育とはいじめである。」の論説がありました。みなさん、読むといいですよ。

投稿: ohiya | 2015年1月19日 (月) 06時25分

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