« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月29日 (日)

人間の一般教養としてのプログラミング

この記事に登場するDouglas Rushkoffという人は、コンピュータのプログラミングに対する考え方が、私の長年の考え方とよく似ている。

ただし、著書をまだ読んでない現段階で言うと、「論理力」とか「コミュニケーション」という視点は、この人の場合、ないのかな?。本のタイトル、Program or Be Programmedがかっこいいよね。プログラミングしろ!、しなきゃお前は一生、プログラミングされる側で終わるぞ!なぁんてね。

ただ、現状は言語(プログラミング言語)が、まだ一般教養に適したレベルにまで精錬されてないよね。テキストの言葉も、最初から今のようなすっきりした(ほぼ)共通語標準語があったわけではないだろうけど。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

今度はトイ・プードル

現状ですでに十分に、ブログの更新もまともにできないぐらいヒマがないのに、この酷暑の深夜、人の家の門前に小型犬を捨てていったやつがいる。毎日朝4時には犬たちをオシッコさせるため外に出るのだが、夏至から1か月以上も経てば4時は暗い。猫用ケージの中、最初は猫かと思ったが、鼻は犬の鼻だ。

ほぼ暗闇のその時点で顔も姿もよく分からないのは、真っ黒なトイ・プードルだからだ、と保護してから分かった。今、小型犬を安易に飼うやつが日本中、爆発的に増えているから、今後がますます思いやられるわ。

ふにゅ。猛暑の中、これから毎日がもっと忙しくなるな。なお、そのトイ・プードルくんは、黒人の子どもみたいで、かわいい。でも、もうこれ以上、うちには捨てるな!!!余力がもはやない!!!


| | コメント (7) | トラックバック (0)

2012年7月16日 (月)

ヘビーデューティー化

これまで、さまざまな業界の企業が想定している(お客としての)消費者像は、“家でほとんど何もしないでおとなしくしている人たち”だ。住宅から、末端の諸道具に至るまで、あらゆる物がその前提で設計され作られている。

しかし、そのようなnull actionの消費者は、今、次第に過去のものになりつつある。家にいても何かをする、activeな消費者が増えつつある。新しいactive consumersと、そのもろもろのニーズに対し、まだ諸産業はまったく前向きに対応していない。相変わらず、おとなしい、何もしない人たち向けの物ばかり作り・売り続けている。

私の特定の例ばかりに着目せず、もっと広範な視点を持っていただきたいのだが、

(1)うちでは常時、保護している犬や猫が計20数匹はいる(活動家の家としては少ない方だ)。しかしたとえば洗濯機の取説には「犬や猫の毛の付いたものは洗うな」と書いてある。実際に洗うと排水不良でエラーになり、洗濯機は停止する。愛護活動家でなくたって、いろんな物に毛は付くだろう。しかしメーカーは、何もしない、家に犬も猫もいない、おとなしい消費者だけを前提しているのだ。そのほか、掃除機もパソコンも車も何もかも、動物のいる家向きのヘビーデューティーな仕様にはなっていない。

(2)今なら「らっきょう」だが、田舎にいると季節々々でさまざまな農産物や海産物を多量に加工する機会が生ずる。ところが今の住宅のキッチンまわりは、“ほとんど何もしないささやかなおとなしい人たち”向けに作られているので、ちょっとした大規模な作業がものすごくやりづらい。個人で食べ物屋をやっていて仕込みを夜の自宅でやる人たちもいるが、そのタイプのactive consumersにとっても、従来の一般住宅のキッチンは使いづらい。

このたった二つの例だけにとらわれずに、あらゆる業界は、今増えているactive consumersの便宜を図る製品を真剣にそして迅速に、提供していくべきである。住宅に関しても、住宅そのものの大きさではなくて、内部の諸規格が問題なのだ。(超古い!)住基法にとらわれない、ヘビーデューティー規格をぜひ確立してほしい。もちろん、active consumersとはレジャー活動が大型化している層ではなく、生産的、あるいは社会貢献的な活動が日常化している'productive consumers'のことである。


| | コメント (1) | トラックバック (0)

オリンピック v.2.0

「国家」という要素をオリンピックから排除し、完全に、単純に、個人資格によるスポーツの世界的頂点大会にする。分かりやすく例を挙げると、マラソンなら、そのときの世界の能力上位選手100名が単純に出場する。国とかは関係ない。象徴的に分かりやすく言うなら、その100名がたまたま全員、同一国籍であってもよい。日本の男子なんか、当分、出場機会はないだろう。それならそれでいい。

お互いの安全と安寧のために、会場は都市ではなくリゾート地とすること。

EUの現状(今抱える問題)を見ても分かるように、国家の国家性をできるかぎり希薄化していくことが、今後の人類の大きな課題の一つだ。まず、オリンピックから国家を完全に消そう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

いじめと学校統治

学校という社会の「社会管理」…governance…は、従来の学校関連法等において明示的に学校や教師の義務になっていないし、したがって彼らは、具体的な管理能力を訓練付与されていない。教師育成のカリキュラムの中に、それが強力に明示的に存在しない。

だから象徴的に言うと学校や教師は、いじめ自殺等で責められたとき、none of our businessと言って開き直ればよい。

学校社会の適正なガバナンス(※)が学校および教師の日常の重要職務として明示化され、充実したそのスキル訓練が行われるようになると、教師志望者は激減し、また、これまでとは違うタイプの人間が教師職を志望することが期待される。〔※: 具体的には児童生徒によるセルフ・ガバナンス(自治)の育成培養の作業。〕

うーん、別のところで書こうと思っていたが、アラブの春の次は中国とロシア(とその他の似非社会主義国)の春、インドアフリカの春、さらにその次が近代化優等生国(アメリカ、ヨーロッパ、日本、…)の春だ。学校のredefining…その定義を抜本的に変えること…はその春の課題の典型の一つだ。今の学校は、ちょうど結婚などと同じく、古すぎて無意味なものになってるものが、無反省・盲目的に尊重されてるだけだ。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

動物園を廃止せよ

動物園はその全体が動物虐待なので、全世界的に廃止すべきである。そもそもイギリスがその帝国主義植民地主義時代に発明したもの*に、ロクなものはない(保険も銀行制度もまさに)。まさしく、無神経のかたまりだ。〔*: 近代動物園、"zoo”。〕

自然の中で出産育児できなかったパンダ親子がかわいそうなだけでなく、今度動物園に行く機会があったら、よく見てほしい。すべての動物が不幸と不本意を絵に描いたような表情をしている。動物にとって、とても悲しい場所だ。

(昔、多摩動物園で見たゴリラの様子は、涙無しには書けないが、今はそこまでの書く気力がないので省略させていただく。)

ここは、「コミュニケーション学」という世界初のガクモンを追究するための世界初の談話場であるから、これまでここで何度も指摘しているいくつかの基本テーゼの一つがこれだ:

『旧人類==コミュニケーション不能人種のアタマとココロには、「他者」というものが明確に確立していない。だから彼らにおいてはコミュニケーションが問題意識となることがない。だからたとえば、本ブログに関心を持つこともない。』

で、動物園を何とも思わないやつらは、そのアタマとココロの中で、動物たちが動物たちという「他者」じゃないのだ。単に、自分の自由可処分財(材?)でしかない。自分が、おもしろいとか、かわいいとか感じたら、どっからでも勝手にもってくる。その動物自身のことなど、おかまいなしだ。人間にはそれをする特権がある、とhubrisしている。宇宙開発マンセー派たちにとって宇宙がまったく「他者」でないように。

どーしょーもない品性下劣な下等動物たち。人間とは、コミュニケーション不能を最顕著な特色とするところの、下等動物である。これ(人間==下等動物説)も、本ブログで繰り返しているテーゼの一つだ。

しかし歴史はつねに、下等動物たる人間のhubrisを、大惨事をもって罰する。今後動物園で何が起きるか分からないが、動物園==動物虐待説に賛成なら、もう動物園には近づかないほうがよいだろう。そう、今後の巨大宇宙デブリは、彼らの打ち上げ基地などに命中落下して、それを全破壊してほしいね。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2012年7月12日 (木)

名詞紹介--Eclipse by Metric

All the lives always tempted to trade
Will they hate me for all the choices I've made
And will they stop when they see me again
I can't stop now I know who I am

Now I'm all yours, I'm not afraid
I'm yours always, say what they may
And all your love I'll take to a grave
And all my life starts now

以上、1番とリフのみ。単純なラブソングだけど、”トレード”が出てくるところがすごいね。

曲のビデオ、たとえばここで見られます。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2012年7月 8日 (日)

Lou Reed(補足)

ヒマもないのに、というか、ヒマがないからこそ、ちょっとした手間と時間を省くために、Metricの最新アルバムSyntheticaの"公式歌詞ビデオ”のリンク集を作ったので、ここでみなさまと共有しておきたい。リンク集であると同時に埋め込み集なので、ページ本体の上でも見られる。

Lou Reedは、最近あらためて聴き直しているけど、あの声というか、あの時代には彼一人しかいないあの”発声法”が、のちの、ボウイー、フェリー等々に大きな影響を与えていることが分かる。壊れていく絹ごし豆腐のような声というか、オトコ性から逃げ出した"元男”の声というか…。そしてその声の独特の冷たくて硬い柔らかさというかやさしさは、MetricのEmily Hainesにも通ずるものがある。

彼はなぜ、娼婦をwildという形容詞で賞揚するのか。それは、健全なものがコミュニケーション不能人種たちの欺瞞的不健全であり、彼らが不健全と見るものにこそ、人類のより良き正しき未来があるからである。たとえば結婚と呼ばれる旧共同体の儀式は、彼らから見て健全で目出度いものだが、しかしその本質は、不幸と不健全のかたまりである。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »