« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月23日 (土)

ハイテクカンニングと旧教育試験体制の化石的恐竜化

情報機器を使用するカンニングは、人類の新しい時代を示唆している。つまり、情報の内部化から外部化への革命である。そもそもこれまでの高学歴の価値は、情報の排他的な内部化にある。情報化時代のハードウェアとソフトウェアは、情報を外部化し、openでpublicにする。情報というものは、それを必要とするときに正しい情報が迅速に得られればよいのであり、それが高学歴者の脳中に内部化されていなければならない必然性はない。一人の人間の脳よりも外部情報空間のほうが容量はずっと大きい(その論理的組織構造化+アクセス性(ユーザインタフェイス)は重要な課題だが)。この極端な試みは、情報が完全に外部化される近未来を、予見している。大学という遺跡は、ギリシャのパンテオンのような観光資源にすらならないだろうが。

ま、最先端の情報機器を用いてカンニングする者もまた、かなり後ろ向きに倒錯している、と言えるのだが。彼が本当に優秀なら、"受験をしない、学歴社会を拒否する”進路を、自ら開拓するだろう。

たとえば、私はかねてから、現在の医療知識・技術の少なくとも50%は外部化(open & public化)可能であり、外部化すべきである、と執拗に感じている。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2012年6月20日 (水)

Codecademyの日本語化

たいへんすばらしいことに、本ブログの常連コメンターであるalarky氏の無償の自発的努力により、プログラミング自学自習サイトCodecademyの日本語化が進んでいる。

今後、Codecademyのサイト本体上で、日本語コンテンツの磨き上げが進むと思われるが、このブログでも、このスレッドを議論の場としていきたい。

まず最初に私が気になったのは、動詞codeは「コードを書く」こと==「プログラミングをする」ことである。カタカナ語の「コード」を使うと、多くの日本人にとって違和感があるのではないか。コードといえば、一般的には、日本語では名詞であり、書かれたプログラムの文そのものを指す。動詞codeの現在分詞/動名詞codingも、「コーディング」よりは「プログラミング」のほうが一般的で分かりやすい訳だ。

以上、本日はたった一つでしたが、気になったことを書かせていただきました。

追記: learnは「習う」より「学ぶ」が、日本人の語感として、適訳ではないか? それとも私の思い過ごしかな?

| | コメント (33) | トラックバック (0)

2012年6月19日 (火)

スーパーコンピュータ報道の愚 々 々

スーパーコンピュータの演算速度で、日本が二位に転落(!?)したことがニュースになっている。

だいたいコンピュータ技術に関する一般報道は、欺瞞的で子供だましなものが多い。一般大衆は堂々とコンピュータ無知を来る年も来る年も貫き維持し(すでにもう21世紀だが)、そういうクソ消費者どもの歓心を買うことの名人※が、巨大優良企業にのし上がる。

コンピュータに対する理解や知識、そして使い方が、いつまで経っても自主的にならない。でも、この状態は…一国の産業政策・経済競争から言っても…そろそろヤバイ。ほんとに。

で、スーパーコンピュータのスピードの話に戻ると、テストされるプログラムは主に大量の行列演算であり、したがって並列処理のプロセッサ数を増やせばそれだけ速度は上がる。単純に言うと、演算速度(FLOPS)10億のプロセッサを10個並列すれば、速度は100億だ。だから処理速度で勝つことも負けることも、きわめて簡単容易である。言い換えると競争は無意味である。しかもTop500に登場するような計算機は、“これらにしかできないような重要な仕事”ができるわけではない。言い換えると、16petaFLOPSならできるが、11petaFLOPSではできない、という仕事はない。つまり彼らの存在は無意味であり、金の無駄遣いだ。

個人的に嬉しいのは、こんな無意味なコンピュータでもいまやOSは各機すべてLinuxであることだ。ぼくは単純に、長年のLinuxファンボーイだから(Linux入門書を書いたこともある!)。

※: 修理不可能で壊れたら買い換えるしかないのは、もう何年何十年も前から、消費者家電等では当たり前の状況だ。Apple製品(==クソ消費者製品)がそうなるのは当たり前であり、驚くほうがおかしい。むしろ、やっとそうなったか、やっぱりな、ぐらいの感慨がふさわしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年6月18日 (月)

eブック(a.k.a.電子書籍)という無駄花

インターネットは、情報の生成のされ方、提示の形式、伝達の方式、その後の進化の様態など、すべてが、グーテンベルグ技術とは抜本的に違う…非常に多様・多面的・多方向的…わけだから、それを単に、前者(グーテンベルグ革命の産物)の複製配布にだけ利用するいわゆるeブックは、本来、ちゃんちゃらおかしいものなのである。

なぜそんなくだらないものが流行るかというと、まだ、インターネットの特質をフルに利用したコミュニケーション形式(教育や学習はさらにそれの利用形式の一つ)の大きな可能性に、人びとの大半が目覚めていないからだ。出版産業による旧製品への固執という説もあるが、それはおかしい。なぜなら、出版社が印刷機を捨ててインターネットをメインのビジネスイネーブラーに変えれば、ものすごく大きくて多様な可能性が開けるからだ。

要は、元気で活発な多方向的コミュニケーションへの前向きの意欲を持つか持たないか、ということ。日本人は伝統的に、コミュニケーション・インポの人種(コミュニケーション忌避隠蔽人種)が(とくに上部構造に)多いから、今後のあらゆる産業における、インターネット革命に取り残されてしまう可能性も強いが。

とにかく、eブックなんて、ばかにして、足で蹴飛ばしてればいいのさ。それが唯一のお似合いの、アホな製品だ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年6月17日 (日)

再びビルマ

ミャンマーという語に関する民族言語学的(?)情報()などはどうでもよい。あくまでも重要なのは、それが選挙結果無視市民大量虐殺不法軍事政権による恣意的命名による公式国名であることだ。このブログの、ここここで、過去にも指摘している。殺人者たちを厳正に裁けてこそ、民主化の完成と言えるだろう。もちろんそのとき、正式国名は、世界の人びとの心になじんでいる(「ビルマの竪琴」は名作だ!)ビルマに戻すべき。

今朝、ノーベル平和賞スピーチの報道を見て、久々にTwitterに投稿した:

スーチー氏はビルマと言っているのになぜ日本の既成マスメディアはミャンマー(選挙結果無視市民大量虐殺不法軍事政権による恣意的命名)と訳すのか。きみたちは今や、芯まで腐り果てている。それで平気で金を取ろうとするNHKは最低最悪。不払い運動を拡大しよう。

Twitterはときどき書くだけ(書きっぱなし!)で、読まない。今朝なんか、Al Goreのツイートが30ぐらいずらーっと(他に介入されずに連続的に)並んでいる。Twitterはクソだ。ちゃんとcauseを踏まえた真剣なコミュニケーションの場、とは言えない。

【追記】
毎日新聞は、スピーチの要訳では「ビルマ」になっているが、その前後の記事本体では国名は「ミャンマー」になっている。でも、訳文中のビルマをミャンマーに書き直させなかった編集者はえらい。毎日新聞は50点、ほかの日本のマスコミは0点または-100点。

毎日新聞の要訳の写しを、保存させていただいた。毎日新聞には、(1)再掲によるコンテンツの多重化は御社の優れた編集姿勢の宣伝になること、(2)新聞サイトの記事は早期に下ろされる(なくなる)ことが多いので写しを取るのはやむをえなかったこと、をご理解いただきたい。

なお上記URLのテキストSuuKyi.txtには、スピーチの英文原文をコピペしておいた。

【追記2】(2012/06/18)
市民殺戮による不法軍事政権誕生の理由は、あの国の(ほとんど)唯一のトレード財(交換価値財)である材木の利権に軍部が関与していて、それを民主政権に'掃除’されたくなかった、という説と、あんなところに民主的な国家ができては困る某国による操作だという説がある。どちらも、確実な証拠となる報道はまだないようだ。なお、今のマルチオーサーブログの元祖のようなKuro5hinにかつて、「軍幹部の娘の結婚式の費用はこの国の厚生省の年間予算以上」という記事が載った。その結婚式の演出の、マルチメディア/ハイテクぶりが、詳しく紹介されていた。殺人者の裁判だけでなく、彼らの特権利用横領財産の没収も、今後(いつ?)の民主政権の仕事になる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年6月16日 (土)

Lou Reed, 2012

Lou Reedは、ある重要で貴重な路線の元祖であり基盤である人だ。私が愛好し肯定し尊敬もできるアーチストは全員、この路線の上にいる。

で、この元祖の人が、この6月に出たばかりのMetricのニューアルバムで1曲だけバックボーカルで参加しているそうなので、がらにもなく衝動買いしてしまった。なお、前アルバムのFantasies(これも大傑作)は、全曲を130円でMP3ダウンロードできる。

私が秘かにとても高く評価していたバンドを、元祖の人も高く評価していた。すばらしい。そう言えばボーカルのEmily Hainesは、Nicoを現代的に元気に明るく強く優しくしたような人だ。そのソウルフルな歌唱は、聞き手の胸にビンビン響いてくる。

以上、とっくに知ってた人もいると思うが、21世紀に入って初のLou Reed情報でした。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2012年6月12日 (火)

カリフォルニアのフォアグラ禁止

カリフォルニア州は前にも「トランス脂肪酸」を含む油脂製品(マーガリンなど)のレストランでの使用禁止を法制化するなど、前向きの法律制定に関してアジリティがある。なぜ日本の国や自治体にない前向きのアジリティをカ州が持ちうるのか、ヒマなとき勉強してみたい。なにかご存じの方はコメントで教えていただきたい。

フォアグラの生産方式が動物虐待だという認識の一般化は、なぜか、ここまで遅れた。今の日本の天皇制は人格虐待だから早急に廃すべき、という認識がちっとも広まらないように、「フォアグラは美味であり、生産者は儲かるし、その生産消費は正しい行為である」という間違った認識が何百年も世界を支配してきた。ちょっと見れば誰にでも、ひでえ、かわいそうな、動物虐待だと分かるはずなのに。

なんの根拠もないのに原発の再稼働に…単にのど元過ぎればで…安全宣言を出すような愚々々のニッポンは、フォアグラに関しても、すでに犠牲者が出ている天皇制に関しても、永遠に、知らんふりをし続けるつもりだろう。一刻一刻健康被害が懸念されるトランス脂肪酸についても、大衆無知の維持を永遠に図る。田舎社会の自己欺瞞と足の引っ張り合いで、未来へ向けて一歩も前進できない日本。

私はフォアグラを食べたことがないし、食べたいと思ったこともない。食べ物はすべからく、そこらの海や野で簡単に多量にとれるもの、に準じたものであるべきだ。ついでながら、銚子市の信田(しだ)缶詰(株)の鰯の缶詰などは、安くてとても美味であることをご報告しておきたい。伝統的な鰯の水揚げ地における、鰯のプロたちだ。銚子市から茨城県神栖市波崎にかけての、セグロ鰯の干物も(季節性があるが)、やはり安くて美味である。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2012年6月11日 (月)

中華パッドから考えるagile manufacturing

最近はどうやら、中国製タブレットは、最初のころのとにかくひでえ状態を完全に脱したらしい。日本人ユーザも増え、日本語によるコミュニティ/コミュニケーションもにぎわっている。7インチで8000円から10000円前後までで、とにかく安い。私もこういうもので遊ぶ十分なヒマがあれば、とっくに買ってるかもしれない。メーカーはいずれも、名もなき町工場的な企業のようだ。

どうも今の日本社会は、名もなき個人や名もなき町工場的会社などが、消費者家電〜消費者電子製品市場に参入しづらいようだ。たとえば私が住んでいる田舎は、役場、おっと市役所からの徘徊老人行方不明捜索願放送がやたら多いところなので、安価でしかも老人の身から外れることのないGPS装置を考えたが、そんなものの試作すら、日本ではそう簡単にはできない。私がヒマなら、とっくに中国企業をあたっているところだ。

一方、日本の有名な電子系製造企業はこのところ、何千億赤字が出たとか、何千人レイオフするとか、とにかく元気がない。日本企業は、重厚長大、身軽に気軽に動くことができない。中国の名もなき町工場のように、ちょちょっと8000円のタブレットを作ってきわめて迅速に市場に出してみる、なんてことは逆立ちしてもできない。日本企業の多くは、そもそも抱えている固定資産も社員数も、そして組織機構も、無駄に重すぎる。無駄な社員や無駄な管理職たちの高給や、彼らが‘仕事をしているふり’のためにも、不必要機能盛りだくさんの高価な製品をとても遅くとても時間をかけて出す、そして売れない、というアホ的ワンパターンの繰り返ししか、今の日本の大企業はできない。のたうつ、瀕死の、巨大亀だ。

しかも、基本リソースを、そんな大企業が全部抱え込んでしまっている。リソースの大衆化民主化がない。

つまり日本の製造業には、グローバル時代に必要なアジリティがない。発想と行動の敏速さ。身軽さ。安価な大衆製品をパッと作ってパッと出す能力。電子製品どころか、自動車もいずれアジリティに富んだ他国のメーカー…アフリカとか…に負けてしまいまっせ。まず、とりあえず、中国には負けるだろうな。あの中華パッドの気軽さに勝てる日本企業は、少なくとも今はない。

人のインターネットから物のインターネットに移行していけば、ベースが大企業ではなく、個人や小企業にベースを移行した製造業が栄えなければならない。気軽な町工場や個人ブティック(ガレージファクトリー)が増えなければならない。そのためには、リソースのすそ野も広がらないとだめだ。

今、徘徊老人用GPS装置のほかに考えている物のインターネットは、パソコンなどにつなぐ必要なく、写真を好きなアドレスにFTP/Webアップロードできる安価なデジカメだ。この要件を満たす大衆的デジカメは、まだ存在しないと思う。現状でやるとすれば、またまた、中国の優秀な零細企業をあたるしかない。それからもう一つ作りたいのは、犬猫監視用の、ストリーミング機能のあるビデオカメラ(音声機能付き)だ。

物のインターネットは、アイデアや社会・生活の中のニーズが無限にある。個人や、多数の零細企業の出番だ。このままでは、日本の製造業はさらに取り残される。

重厚長大な腰の重すぎる大企業はみなつぶれてしまえ!
日本を、agile manufacturingの国に!


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年6月10日 (日)

「ノルウェイの森」ではない

(主に)John Lennonの曲Norwegian Woodのノルウェイの森ないしノルウェーの森誤訳は、誤訳であるという認識ではなく、あたかも正訳であるかのような気調が世の中に蔓延してしまったのは、村上ナントカという、あのだせぇツラをした小説家の作品の人気とも関係がありそうだ。

いまどき、言葉を小説という物の構築材として使用することは、作者読者双方犯罪的である。そこにはコミュニケーションはなく、あるのは、いけしゃーしゃーとした、大規模な、言語を使用した自慰行為だ。「ノルウェー材」ではなく「ノルウェイの森」のほうが、自慰者が自己をコーフンさせるために適した言語なのだろう、想像するに。“材木”じゃあ、コーフンしないよなぁ、たぶん。ここはやっぱ、“森”でなくっちゃ、ムードがない。

未来のコミュニケーション有能社会においては、宗教を全面的に禁止する(その必要ももはやないかもしれないが)と同時に、言葉の、小説的な利用も完全に禁じなければならない。言い換えると、対話的な利用以外の言語利用を、いっさい禁じる。

ただし小説と言っても、作者が最初から自己諧謔化した、ポップな小説もどきの作品は、もしかして教育的効果があるかもしれない。犯罪性が、薄い。

レノンが一夜を過ごした女の部屋がノルウェー材でデコレートされていたのは、孤独やわびしさすら感じさせるリアリティだ。リアリティを避け、森というムード歌謡的タイトルに逃げる日本人は、もしかして、そうして、ビートルズの全体をも自慰的に誤解しているのかもしれない。


本日のおまけ: http://uwall.tv/ へ行く。 GenresとしてIndieを選ぶ。 検索欄に Metricと入力する。 なお、歌詞サイトは: http://www.metrolyrics.com/metric-lyrics.html

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2012年6月 4日 (月)

野生動物のペット化==愚人間どもの愚愚愚愚行、そして動物虐待

今日までの人類は、コミュニケーション不能の劣悪な下等動物である。多くが、そのことを自覚==問題意識化する能力もないまでに下等である。コミュニケーション不能の基盤は、他者をはっきりしっかり他者として認識しない(==自己が自己という宇宙唯一無二の神秘--これまた他者!--として自覚されていない)ことにある。

野生動物も彼らにとっては(彼らの視野の中では)野生動物という他者ではなく、自分の欲望の任意処理物だ。いかなる他者も、あんたの欲望の任意処理物ではない、というのに!。野生動物のペット化はしかし、明らかに動物虐待である。せめて、人間のペットになる生き方を選ぶか、本人に聞いてからにしてもらいたい(イエスと答える者は一匹もいないだろう)。

「他者の尊厳」なきところ(こころ)には「自己の尊厳」なく、「自己の尊厳」なきところ(こころ)には「他者の尊厳」なく、しかして全世界にコミュニケーションなし。

(他者を他者として尊重せず、単純素朴(==粗暴)に欲望の対象物にしてしまうことは、ヒトや動物だけでなく自然や存在全般についても言えることである。)

犬猫は、単にかわいいだけでなく、彼らには野生生活、自然の中の生活がありえない==保護が人間の義務である動物だから、絶対的にわれわれが面倒見なければならないのである。野生動物とは、状況がまったく異なる。が、これもまた、コミュニケーション不能愚愚人間どもによって、任意処理物として任意に遺棄されたり、任意に虐待されている。

「好きだから野生動物を飼う」から「義務だから犬猫を保護する」へと、心を100%入れ替えてもらいたい。さすればあんたも、コミュニケーション有能人種へ向かって半歩ぐらい進化するだろう。

----
おっと、本ブログのコンスタントな読者の方には、5月5日の子猫をすばらしい里親さんにお届けできたことを、ご報告しておきたい。


| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »