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2012年3月 1日 (木)

“批判的”という言葉

最近は、こんな記事や、その続編であるこのコメントで、批判的に、という言葉を使っている。

しかし、日本語の「批判的」という言葉には、やけにネガティブなイメージがつきまとっているようだ。

しかし、criticallyという言葉には、ネガティブ偏重のイメージや含意はない。肯定もあれば否定もある。要は、ちゃんと対象化し、対象を「他者「として尊重しつつ、広い多様な文脈の中で、自主的に判断・理解しながら接する、ということだ。

ぜひ、この記事(とくに最後の方)を、読んでいただきたい。

たんなる主観へのtaken-for-grantedなべったり癒着、批判的対象化的姿勢のなさは、プログラミング経験(==論理構築の経験)のなさと、関連しているのかもしれない。とりわけ日本人は、プログラミング嫌いが圧倒的多数派だもんな。


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コメント

ずいぶん前に、カントの「純粋理性批判」を読みました。その本の中で、彼は、”人の認識には一般性がある”というようなことを言っていたと記憶しています。その一般性には数学(特に幾何学)を代用していたと思う。数学や幾何学は、学問の一つでしかないので、カントと違った認識論を考えることは、もちろん可能です。

今は、認識論というよりも、認識している人をどのように、ある関係性(や今より良いと思われる社会)の中で、位置づけられるかということに関心があります。

投稿: hayashi.hiroaki | 2012年3月 1日 (木) 22時01分

同じく悪印象のほうが強い「マニュアル化」というものも対象化行為のひとつだと思います。

投稿: 南 | 2012年3月 2日 (金) 09時08分

森の、例えば木の大きさと数というより縁取りの無さというより中に居る感じやらというより雨雪の後の外仕事でなくとも自分の中のオトコの光景を作らんとする(?)燃料(?)も削がれ殺がれていくのか?というより、このブログやコメントやリンク記事を読んだり、休みで雨だったり…

投稿: m.hodo | 2012年3月 2日 (金) 14時59分

私は他人の言動やニュースの出来事の分析は好みますが、なかなか面と向き合っての批判までいけませんね。どうも感情が先だってしまう性質なもので、冷静に議論できるか不安なのです。うまくディベートするにはどうすればよいのだろう。

投稿: 長谷川 | 2012年3月 2日 (金) 15時11分

@長谷川
> うまくディベートするにはどうすれば
「場」と「相手」が悪ければ、ほぼ絶望的でしょう(とくに日本では)。
@南
> 「マニュアル化」というものも対象化行為
よほどの超優良企業でないと、むしろマニュアル化は敬遠される。その場の恣意や主観が優先する。マニュアル化、ドキュメンテーション、エクリチュール、日本土人はこれらが嫌いで苦手。Java言語の日本語ドキュメンテーションが良くならないのも…。
@hayashi
> ある関係性(や今より良いと思われる社会)の中で
カントらの時代だけでなく、今でも、世界の指導的思想家や政治家たちに、コミュニケーションという問題意識はないですね。それは、hayashiさんにはいいチャンスかも。

投稿: iwatani | 2012年3月 2日 (金) 21時45分

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