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2012年3月26日 (月)

Google差し止め命令(東京地裁)は論理的錯誤

このブログでも何度も指摘しているように、日本人の多くは原始共同体性のしっぽが重く、そのため視野狭窄的近視眼的で、脳の論理性が無に近いぐらい希薄だ。それがとりわけ日本人の、コミュニケーション不能やコミュニケーション忌避の体質の基盤ともなっている。

そもそもGoogleの検索はほとんどAI的でもマンティック的でもなく、インターネットという大量のがれきで汚染された川や海の河床や海底のゴミをごっそりかきとる浚渫ブルドーザーのようなものであり、何でも拾うし、多いものは結果的に目立つ。悪質記事も、それがあることや、とっても多くあることが、隠蔽されるべきではないし、むしろあるがままに露呈されるべきである。そもそも日本のネットは、インターネット以前から、悪質な人間と、彼らによる悪質な投稿がきわめて多い。すなわち日本のネットは、相当な初期から、震災後の太平洋のように多量のがれきで汚染されているのだ。そのことはむしろ、隠蔽されるべきではない。

だからGoogleが地裁の差し止め命令を拒否したことは、正しい論理性に即している。

で、建前上の、懲らしめるべき、その行為を停止すべき真犯人は、問題の悪質記事をインターネット上に大量にばらまいた人物である。建前上というのは、ごみの不法投棄は、犬猫の遺棄と同じく、犯人を見つけるのがきわめて困難だからである。

そして、建前上ではなく現実的な「正論」は、「インターネット上のコンテンツ、とくにテキストコンテンツを、そのまま真と信じ込み、その妄信に基づいて、被害者をクビにしたり、採用を拒否したり、その他もろもろの、否定的差別を行った人びとこそ、責めらるべきである」、ということ。インターネットやそのほかの場所で遭遇する言語を、そのまま真と信じてしまうことは、日本人という"コミュニケーション不能原始人・土人ども”に大いにあって不思議ではない愚行蛮行だ。

しかし、というか、だからこそ、司法のような上部機構は、問題の真犯人(嘘を真と信じて差別を行った人びと)を、間違いなく同定する能力を持たなければならない。

どんな言葉も、ひいてはどんな存在も、特定の(particularな)文脈に依存している。コミュニケーション土人たちは文脈を無視して、(実は宇宙のどこにも存在しない)直接存在を掴もうとする、掴んだ気でいる。しかし、グローバルなネットワーキングの時代においては、どの情報も、その背後〜周辺の文脈を知ることなくして、その情報の意味するところを知ったことにはならない。土人たちも、インターネットと接する以上は、脱アホが絶対的に必要である。

今回の問題の真犯人は、書かれていることをそのまま妄信した、一連のアホたちである。そういう、土人的な情報摂取態度を禁じ、罰する法律が必要だ。

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コメント

人間は孤独でいい。孤独であるべき。

孤独の自覚から始めるべき。

投稿: 南 | 2012年3月26日 (月) 09時07分

コンテンツの制作者を訴えるべきで、Googleに文句をいうのは間違っている。弁護士はそれをふまえて、あえてサジェスト機能を争点にしたのでしょう。
私は弁護士が被害者を何か政治的なカードに使っているのかと思いました。
ちゃんとしてるブログサービスとかは、契約条項に違反してるなど、指摘すれば、消してくれるんですけどねえ。

程度の差はあれ、同じような被害に遭った事がある私は、火のないところに煙は立たずといったことをすぐに言う人たちが嫌いです。人徳がなかったと言われれば、そのとおりなのですが。

たとえ間違う可能性があっても、一次情報に体当たり、それを咀嚼するというのを基本にしたいです。

投稿: 長谷川 | 2012年3月26日 (月) 16時26分

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