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2012年2月12日 (日)

イナカモンの読書

なぜ、振り込め詐欺の被害者にあっさりなってしまう人が多いかというと、ヒトの言葉を、明確に「他者」の言葉としてでなく、身内/村内の言葉として受け取る日本人が多いからだ。それが、読書行為においても蔓延している。すべての言葉を、悪い意味で、いきなり自家薬籠中のものにしてしまう、どんな言葉も、自分と等身大な、自分ソックリのお人形さんのようなものとしてコレクションし、愛でる。

読書経験を、真に「他者との出会い」として経験し、自らも成長していけるためには、あらゆる本を、解剖学的に、批判的に、そしてmost importantly, 著者との対話を想定しつつ、読んでいかなくてはならない。Aさんの言葉xyzとBさんの言葉xyzは、それぞれ全然違う文脈(大文脈と小文脈)を背後に負っている。別の言い方をすると、プロの書評家になったつもりで、あるいは、なるつもりで、自分なりの問題意識というナイフを持ちつつ、本を読み、一人々々の、竣然たる屹然たる『他者』と出会っていくことが重要だ。

それでこそ初めて、その読書者と著者双方が救われる。

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このところブログを本格的に更新している時間&スタミナの余裕がなくて、申し訳ないが、私が翻訳を担当しているアメリカ人たちのブログから、最近の良い記事をご紹介しておこう:

くたばれソーシャルネットワーク!

プログラミングは万人の日常技術であるべきだ

そして、プログラミングをひとに教えることも

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コメント

プログラミング、、について、考えてみました。
そのひとつの重要な点は、リンクできることではないでしょうか?
つまり、「他者との "相互な" リンク/出会い」です。

投稿: alarky | 2012年2月12日 (日) 15時04分

反省しました。
読書を、他人の独り言を聞く行為ととらえていました。

ところで、
読書は確実に精神汚染をもたらすので怖れつつ行うべき行為ですよね。

投稿: 南 | 2012年2月14日 (火) 10時46分

僕も反省の気持ちで読みました!
ここに参加しているので、言語相対性理論については少しは
身に付いてきたか、と、思っていたのですけど

好奇心があるので、ついつい芋づる式に、よまなっくっちゃが
見つかってしまうのです

いい加減にしないと。
学びはあるのですけどね。

それと、そうそう、本来はプログラミングに関心があって
ここに来たのだった、と、思い出しました!

感謝の回でした

simomitu

投稿: 下光博之 | 2012年2月16日 (木) 18時50分

retweetばかりでなくreplyせよ、とおっしゃられているように私には聞こえました。
それでこそ他者が明確になり、それに対しての自分の意見というものが相対化されるのだ、と。
私も反省です。

●プログラミングは万人の日常技術であるべきだ、の記事を読ませていただきましたが、記事の趣旨には大賛成なのですが、instagramの彼女の学習能力は、いささか極端な例だと思っていました。しかしやはり事実として、他者として彼女のことを受け入れようと思います。

投稿: 長谷川 | 2012年2月16日 (木) 23時48分

コミュニケーションは、どのように可能か、と僕は考えることがあります。それを社会というやや広い視点でとらえたとき、モデル論的なとらえ方をすると、多くのモデルを考えられるので、面白いなと思いました。それで下光サンへコメントをしてみました。しかし、説明不足なコメントになってしまったようです。簡単に言うとなれなれしかったかな。

また、読書は本としてそのソースがはっきりしているので、その批評や、解説は、多くの人に有効なものとなるやもしれません。

自分がどのような考えを持っていて、相手が何を考えているかを、考慮してコメントしたほうが良かったかなと思っている次第です。

投稿: hayashi.hiroaki | 2012年2月18日 (土) 14時55分

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