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2012年2月26日 (日)

The Sage

The Sageは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の中にある曲ではなく、Greg Lakeの作詞作曲である。と、ここまでは誰もが知っている一般公開情報だ。

ところが、最近、グリーグという作曲家の(今のところ)言葉で説明できないヘンなところ**が気になって、たまたまインターネットラジオAVROで「ペールギュント」の全曲をやっておりまして、分かりました。

「ソルヴェイグの歌」です。

このページの試聴リストの8番で、一瞬だけ試聴できます。

**グリーグのヘンなところ**孤独な魂がひとりぼっちでどっか異次元へワープしちゃってる、迷い込んでるような、アブナイ感じがある。その音楽は一貫して、“健全、健康的"の正反対だ。だが、また、そこんところが異様にキレイだ。

※なお、グリーグの母国ノルウェーのヘビメタバンドTNTにも、「ソルヴェイグの歌」から借りた曲があるらしい。しかも、やはり、アコウスチックギターによるバラードらしい。

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2012年2月25日 (土)

動物虐待最新ニュースほか

ニュース記事のページは長寿性がないので紹介するのをいつもためらってしまうが、同じニュースサイトにほぼ同時期に二つも動物虐待ニュースが載るのは珍しいので、拾っておこう:

多数の犬を飼育放棄して餓死さす

虐待目的で子猫4匹を引き取る(こういう話は昔からときどきある。)

ところで1: 今の日本の動物愛護関連法と行政による殺処分は、単純に子どもにも分かるロジックとして矛盾している。矛盾、だけでなく、欺瞞、でもある。欺瞞を放置することは、ものすごくあらゆる意味で有毒有害である。貨幣制度を維持しつつ自由平等な社会を、ってのも、これまた欺瞞者が欺瞞性に気づいていない大欺瞞だが。

(オバマさんほか)社会の全員が有賃労働をしなくてもよい社会にしておきながら、job! job!と念仏する政治思想も、ご本人が自分の脳内の矛盾と欺瞞に気づいていない。人間社会というものは必ずしも、「常時全員が有賃労働をしなくてもよいのだ、労働力が余っている時期があってもよいのだ、それがふつうなのだ」が、なぜ、社会と政治の新たな常識にならないのか。この“新概念封殺"も、ものすごく有毒有害だ。

ところで2: ちょっと前までの日本(とくに田舎社会)では理解のリの字もなかった「動物虐待」概念は、徐々に普及、根付きつつある。次は「人格虐待」概念の理解の普及と、対策活動と、対策の法制化等だ。これはたぶん22世紀か? 世界的にもまだで、これに関しては“先進国"が存在していないから。

今は、日本の現行の天皇制は人格虐待だ、雅子さんのあの気の毒な表情を見ろ!、なんて言っても、だーれも理解しないし、何も感じない。それは、動物虐待に関する数十年前までの日本と同じだ。

マスメディアも今およびこれまで、人格虐待を平気でやってるだろ。これも、誰も気づいていないから、法律で止めさせる動きもない。『他者』、そしてその『人格』、この概念が全員の心中に確立しないかぎり(そのベースとなるのが、真の『自己意識』の確立)、あらゆるコミュニケーション論が空しい。

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2012年2月20日 (月)

Linuxミニパニック

Thunderbirdを新バージョンにアップデートするときは、その処理の一部にroot特権を要するものが(少なくともこれまでは)あって、そのため、アップデートするときはターミナルからsudoでThunderbirdを起動して行っていた。

ところが、今回の10.0.2へのアップデートでそれをやると、通常のユーザ起動ではかんじんの受信トレイが開かないのだ。毎回sudoで立ち上げないといけない。

ユーザのHOMEディレクトリ内の.thunderbirdディレクトリを見ると、中のファイルやディレクトリの一部がroot保有になっている。これまではそんなことはなかった。

えーと、ファイルやディレクトリのオーナーを変えるのは…Google検索でchownを確認

ディレクトリのバックアップを取っておくには…同じくGoogle検索→日経Linuxからcp -aを確認

こんなページだ。

そこで、sudo cp -a .thunderbird taihiでバックアップ(taihiはファイルやディレクトリを格納するための待避用のディレクトリだ)

そして、sudo chown -R myusername .thunderbirdでOKだった。

Linuxのコマンドラインなんて、最近めったに使わないので、ややパニくってしまった!!
読者の中にきっと私の同類はいるだろう。

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2012年2月12日 (日)

イナカモンの読書

なぜ、振り込め詐欺の被害者にあっさりなってしまう人が多いかというと、ヒトの言葉を、明確に「他者」の言葉としてでなく、身内/村内の言葉として受け取る日本人が多いからだ。それが、読書行為においても蔓延している。すべての言葉を、悪い意味で、いきなり自家薬籠中のものにしてしまう、どんな言葉も、自分と等身大な、自分ソックリのお人形さんのようなものとしてコレクションし、愛でる。

読書経験を、真に「他者との出会い」として経験し、自らも成長していけるためには、あらゆる本を、解剖学的に、批判的に、そしてmost importantly, 著者との対話を想定しつつ、読んでいかなくてはならない。Aさんの言葉xyzとBさんの言葉xyzは、それぞれ全然違う文脈(大文脈と小文脈)を背後に負っている。別の言い方をすると、プロの書評家になったつもりで、あるいは、なるつもりで、自分なりの問題意識というナイフを持ちつつ、本を読み、一人々々の、竣然たる屹然たる『他者』と出会っていくことが重要だ。

それでこそ初めて、その読書者と著者双方が救われる。

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このところブログを本格的に更新している時間&スタミナの余裕がなくて、申し訳ないが、私が翻訳を担当しているアメリカ人たちのブログから、最近の良い記事をご紹介しておこう:

くたばれソーシャルネットワーク!

プログラミングは万人の日常技術であるべきだ

そして、プログラミングをひとに教えることも

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