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2012年1月21日 (土)

ペット業者は売れ残りをどうしているのか?(補遺)

うちは、裏庭に犬猫のお墓がたくさんあるし、誰も使っていない机の上には墓に収めていない骨壺が10個前後ある。その中には、不幸な死に方をした犬猫もいくつかいる。餓殺されたラブラドールは、その中でも印象が強烈なやつの一つだ。

ラブラドールは盲導犬などの介護犬によくなる犬で、一般的にも賢くて性格が優しい。この不幸きわまりない死に方をしたラブも、一目見て、「あー、いい犬だ!」とわかる犬なんだ。人間と本当に心が通い合う、すばらしい犬になる。そのことが、直感的にわかる。そんなすばらしい魂の持ち主を、粗末に扱って死なせてしまうのは、本当に許せない。犬の良さを、感じることもできないやつが、ペット商売をしているのだ。

いまとなって私にできるのは、「問題意識」を広めることだけだ。読者も、なんらかのインターネット的(or非インターネット的)方法で、悪質なペット産業に関する問題意識を広めていただければ、ありがたい。話題は、この餓殺犬でなくてもいいから。10年近く前の古いネタを、ここに再度持ち出すことを命じたのは、あの良犬の霊のような気がする。ごめんな、あのときは、無知ゆえにあなたを死なせてしまって。すごくいい犬を、生き延びさせられなくて、残念でたまらない。

歴史のどこを見ても、改革には命という費用がかかる。あのひどい死に方をした犬の命という費用も、絶対に、無駄遣いしてはなるまい。

そう、母猫の初乳も飲めずに捨てられて、獣医師にも育てられなかった新生児猫たちの命も、無駄な死に終わらせてはならない(この記事の4/25の項)。その子たちのお墓が、これだ:

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2012年1月20日 (金)

ペット業者は売れ残りをどうしているのか?

以下は、私が数年前書いて、陽の目を見なかった原稿の一部だ。問題は、最近はここに書かれているような“出会い"が、なくなったことだ。それはもちろん、状況が改善されたからではない。その逆だ。

<引用>
2 超ガリガリ犬

ペット業者たちは、売れ残りの商品を、どうやって「処分」しているのだろう?。

台湾では、声帯を切り取られて捨てられる犬たち(元“商品”)が、一部の地域社会や愛護家たちの間で問題になっている。まあ、“犬を捨てても、吠えなきゃ近所迷惑にならない”という根性なんだろうね。

日本の業者の中には、“飢え死に作戦”を実行する連中がいるね。つまり、餓死ですよ、餓死。いや、“餓殺(がさつ)”という言葉を新たに発明すべきかな?。

そういう作戦の被害者、すなわち、超ガリガリに痩せた犬が、私たちの住む住宅地に迷い込んできたことがある。なまはんかな痩せ方じゃーないよ。もう、骨と皮だけ、究極の痩せ、限界ぎりぎりの痩せだね。異様な痩せかただよ。ふつうに野良生活をしてた犬なら、あそこまでは痩せない。言い遅れたけど、犬種は、明るいキツネ色の、立派な本物の、ラブラドールレトリバーですよ。

死ぬはずの山の中で死にきれずに、ふらふらと住宅地までたどり着いたんだろうね。

私たちが保護して、食べ物をあげたら、むさぼるように食った。そして、すぐに、食べたものをすべて吐いた。動物病院に預けて、栄養剤の点滴等をしてもらったが、三日後に死んだ。その死に顔は、とても安らかだった。

その犬が死んでからしばらくたった、西暦2002年の後半、日本のあらゆるテレビ局が、連日のように、北朝鮮に関する報道を大量に流していました。その中に、私は見ました:「極端な栄養失調と慢性的な飢えにやられている人に、いきなりふつうの食事を食べさせると、体に対する負担が大きすぎて、かえって死ぬことがある」。それは、いわゆる脱北者たちの世話をしている中国の人たちの話でした。

そうか!。体力がつくまでは、消化の良い子犬用のミルクだけを少量与えていたら、あのラブラドールは死ななかったかもしれない。私たちの犬飼い・猫飼いの毎日には、このように、ほとんど永遠に、さまざまな『無知』がつきまといます。

今の日本の法律では、ペット業者でもふつうの人間でも、犬や猫を捨てたり殺したり虐待すれば犯罪になります。ですから、餓殺もリッパに犯罪です。しかし、ペット業界や動物取扱業者に対するきちんとした法律は、今のところ日本にはまったくありません。業者にとっては、ころころと小さくて、「可愛い子犬」や「可愛い子猫」という感じのの月齢(生後2〜3か月まで)を過ぎた商品たちは、売れない不良在庫ですから、ついつい、金のかからない安易な処分をしたくなるよね。

現在の動物愛護法は、今後できるだけ早めに、動物業者に関する良質な厳しい法律で補強する必要がある、と私は痛切に思います。現状は、事実上、彼らのやりたいほうだいと言えるでしょう。日本のペット産業というか動物産業は、ほとんど無法地帯です。

また、日本の消費者たちも、小さくてコロコロとした、見るからに可愛い子犬の時期をすぎた成犬や、成犬に近い月齢の犬たちでも、前向きの気持ちで飼う、という根性を身につけるべきですよ。

(後略)

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         【写真:餓殺されたラブラドール(推定1歳)】
<引用終わり>

ペットという概念は、「愛」ではなく「欲」の概念だから、宇宙開発バカたちがspace debrisを平気でそこらに捨てるのと同じで、大きくなった==かわいくない犬猫は、捨てても殺しても平気なのだ。しかし、その時点で、彼らの人生は不可逆的に罰せられている。だから彼らはよいが、問題は、全頭救うことは不可能な、捨てられる、あるいは殺される、罪なき動物たちだ。日本もまだまだ、ひでぇ国だわ。


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2012年1月19日 (木)

アメリカの没落

私はイランの味方でもテロリストのシンパサイザーでもないが、自分は核兵器をたくさん持ってて、ひとに「お前は持つな」はない。なんでテロにやられるのか、なんで国力落ち気味なのか、彼らは未だにまったく理解してないね。今後ますます、人間としてクォリティの低い国民==国力を作り出さないためにも、また今後何度もビッグテロにやられないためにも、あからさまな、誰も納得しないダブルスタンダードは早急に止めた方がいい。だが、やめないだろう。彼らはあまり賢くないから。

イスラエルの問題も、現状でイスラエル〜アメリカ側が正しいと思う常識人良識人は、世界に一人もいないだろう。テロにやられてもしょうがないような、没論理の乱暴を彼らは貫こうとしているのだ。

というわけで、(最広義の)アメリカ--西欧的==欺瞞的正義…の没落は、もう既定路線だ。次の支配勢力がアラブか、というとそれは分からないが、中国ではないことは確かだろう(ただし中国の現体制が打倒されれば話は別)。

日本は、政治家が賢ければ舵取りもうまく行くだろうが、果たして???

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2012年1月16日 (月)

上を向いて歩くな

宇宙開発なんか、全部止めろ。(対象的)宇宙は無限退屈だ。上を見るな。ヨコを見ろヨコを。愛し合え。

(宇宙空間は、特定の種集団が勝手に専横的に進出利用等してよいものとは決まっていない。ばかなことは、なるべく早めに止めたほうが良い。今のままでは人類の多くが、まるで(将来の大悲惨を抱えた)「宇宙アホ」だ。また、宇宙開発などより何億倍も重要で困難な課題を人類は地球上に抱え、それらが手つかずである。宇宙開発に向けられるあらゆるリソースを、そっちへ向けるべきである。…上は国家の政策決定者から下は末端のビークル搭乗者操作者に至るまで、宇宙開発に携わっている者たちは全員、大馬鹿者であり、万死に値する。)

ステージを見るな。ステージを廃墟にせよ。上を見るな。ヨコを見ろヨコを。愛し合え。

あらゆる「神」を廃位せよ。上を見るな。ヨコを見ろヨコを。愛し合え。
(ついでに酷悪なる人格虐待である今の日本の天皇制を、早急に廃止せよ。)

存在のリアリティの唯一の基盤は「自己」と呼ばれる神秘である。ゆえに、自己とその生成を説明できないこれまでの自然科学(とりわけ物理学)は、トータルにごみである※。宇宙は「上」にはない。宇宙は「ここ」にある。上を見るな。ヨコを見ろヨコを。愛し合え。

(しかし、ごみ(space debris)を次々と、ばかすか地球上に落として平気、というあの神経は、どうやってできあがるのか不思議でならない。昔、王様だけは、城内のどこにでもウンチしてよい、という国があったとか…その種の、権力幻想か? まあウンチなら、環境や生物はたいした被害でもないが…。)

※: その昔、大地は巨大な4頭の象が支えているという迷信があったらしいが、対象的宇宙/存在が真の唯一の宇宙/存在であるという今の(自然科学的)存在観も、できるだけ早く、その迷妄性があばかれたほうが良い。対象的宇宙は一つのviewにすぎないし、しかもそれは、人間が持つ欲的概念の投影像==それが映し出されているものとしてのviewである。全然それは、真の存在ではない。人間の、自分の、影絵にすぎない。


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2012年1月15日 (日)

A Song For Europe - v.2012

v.1973 by Roxy Music ---

Here as I sit
At this empty cafe
Thinking of you
I remember
All those moments
Lost in wonder
That we'll never
Find again

Though the world
Is my oyster
It's only a shell
Full of memories
And here by the Seine
Notre-Dame casts
A long lonely shadow

Now - only sorrow
No tomorrow
There's no today for us
Nothing is there
For us to share
But yesterday

These cities may change
But there always remains
My obsession
Through silken waters
My gondola glides
And the bridge - it sighs ...
I remember
All those moments
Lost in wonder
That we'll never
Find again

There's no more time for us
Nothing is there
For us to share
But yesterdays

Ecce momenta
Illa mirabilia
Quae captabit
In aeternum
Memor
Modo dolores
Sunt in dies
Non est reliquum
Vero tantum
Comminicamus
Perdita

Tous ces moments
Perdus dans l`enchantement
Qui ne reviendront
Jamais
Pas d'aujourd'hui pour nous
Pour nous il n'y a rien
A partager
Sauf le passé

EUの形成過程で、どういう理論が支配したのか、私は知らない。ギリシアの無様さを見ると、理論など何もなかったのが実態だと思われる。約40年前のこの曲は、「今日も明日もない。あるのは思い出(==過去)のみ」と言っている。そもそも、rawな形では、(複数)国家と、その合一(Union)は、矛盾している。rawな矛盾を放置したままの合一には、まさに今日も明日もない。

EUからの借金を公務員の給与倍増に使ってしまったギリシャ。就業人口の1/4は公務員だと。日本の過疎市も、立派な建物は役場、おっと、市役所のみ、就職先は役場、おっと、市役所と農協のみ。だいたい支出の20%近くを借金の利子払いが占める。借金返済のための借金。EUは、rawな国家を国家として尊重し、ぶざまなギリシアに、まだ間に合ううちに介入しなかった。

しかし、ついこないだまでの数百年数千年間、戦争に明け暮れたヨーロッパ、国家の国家性を徐々に希薄化すること、そのための理論を確立共有し、矛盾のないUnionという理想をぜひ目指してほしい。

よーく感じれば、日本だって中国だって、アメリカ合衆国だって、このままでは同じく、There's no today for us/Nothing is there/For us to share/But yesterdayの空虚空洞感しかないね。「充実」と言えるものが、このままでは何もない。

宇宙開発なんか、いい加減止めて、上を見るのを止めて、ヨコを見ろヨコを。愛し合え。

※1: 現時点(2012/01/19)では、EU vs. ハンガリーの憲法改悪、の問題は未決着。

※2: ところで今回、国債格下げを免れた4つのAAA国(ドイツ、フィンランド、オランダ、ルクセンブルグ)の共通点は何か? そして翻って日本に住む日本人である私はこれまで何十年も、プログラミングの本を計数十冊も訳したり書いたりしてきたが、この期に及んで犬猫30頭/匹を抱え、彼らの医療費もまともに出せないほどの慢性的困窮にあえいでいるのはなぜか?


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2012年1月 9日 (月)

オリンパスは唯一の助かる道を自分で断った

マイケル・ウッドフォード氏を暗黙裡に(またまたコミュニケーションレスのニッポンジン!!)追ん出してしまったということは、オリンパスの自殺行為の最終仕上げとして首をつったということだ。

助かる道は、MW氏を社長にして、彼を前面に押し出して(とくに彼は笑顔が良い)、企業イメージを抜本的に明るくきれいにリフレッシュし、消費者製品も業務用製品も顧客を失うことなく、むしろ顧客を増大させていくことしかなかった。このままじゃ、今後のどんな広告もしらじらしくなり、だーれもオリンパス製品を買わないだろう。

まあ、それができる器量の会社なら、そもそもの発端の悪事もなかったのだろうが。

日本は、企業トップにも、他者(顧客、市場、世界、等々)が他者としてココロ内に確立していないケースが多い(オリンパス以外にも日本企業の醜い椿事は次々とあるね!!)。

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2012年1月 8日 (日)

おめでたい単純被害者意識は墓穴を掘る

日本人(≒ニッポンのイナカモン)は、コミュニケーションを避けよう避けようとする、その心に他者が明確に他者として存在しない、なんてことを何度も何度も書いてきて、もうそれらの記事のリンクを探すのも面倒になってきたが、「拉致問題」、「慰安婦問題」等々(ほかにももっともっとあるだろう!!)の根本原因は、近隣諸国というれっきとした他者とのコミュニケーション…これも他者を他者と見れず自己村の延長のような…、とりわけ、終戦処理敗戦処理という重要なコミュニケーション課題を自分ではなく当の他者が完全に納得するまで、きちんと完結させなかったという≪コミュニケーションネグレクト≫が最大の犯人である。言い換えると、原因の少なくとも50%は当時の日本の政治家たちの「甘さ・傲慢・他者無視」。

しかも未だにそのことを自覚せず、単純に北朝鮮を、あるいは韓国を、悪者視しているんだから、そのお粗末さは当時の政治家たちと同じ。ちっとも成長していない。進歩していない。このグローバル化時代に!!

いいかげんに、粗末に、自分に都合良いように、扱った他者からは、いずれこっぴどいしっぺ返しを食らう。これも、このブログで何度も何度も書いてきた。今の政権政党、とくに今の総理大臣、明らかに「馬鹿」だと思う。このままではやばい。

日本単独では難しいかもしれないが、いろんな人や国のヘルプを仰ぎながら、かつての愚かな日本人政治家がネグレクトした地点・時点から、本当に真剣なコミュニケーションを編み直してはどうか。そうやって実現する拉致問題の真の解決は、拉致問題よりも(物理的に)大規模な、将来の災悪をも防ぐはずである。北朝鮮、いや、今の分断した朝鮮半島は、何よりも当地の人びとに気の毒であるし、また、とてもやばい存在でもある。日本よ、そろそろ本当に偉大な政治家が出て、本物のコミュニケーションにコミットしていかねば!!!

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2012年1月 2日 (月)

現代マスメディアモードと本人性(identity)の相克

イリーナ・メジューエワというピアニストは、"西洋クラシック音楽の脱構築"を一人でやらかそうとしている、とこのブログにも前に書いた気がするが、その彼女が足かけ13年前(1999年)に録音したモーツァルトが、1000円という廉価で再発された。"すごい"なんて陳腐な形容詞は死んでも使いたくないが、なんとゆうユニークな表現者なんだろう、この人は。本ブログの読者のために、私が書いたこのCDのリビュー(Amazon上)を、紹介しておこう:

これ、だ。

どうも現代社会では、作者・表現者の本人性よりも、ある種の(往々にして商品的)マスメディアモードというものが、演奏等にあたって優先されるのではないか。そしてそれらが、ショパンの名曲、モーツァルトの名曲、等々として流通し消費される。大みそか〜お正月のテレビ番組表を見ていて感じる、現代社会の本人性とは、「児童虐待」や「いじめ」(とりわけ、いじめ自殺)が多いというその"傷"であり(欧米"先進国"にも多い)、いまだオウムのような集団狂気を、自分たちの社会の問題としてとらえない(ナチスやユダヤ人排斥思想に対しても未だに)、おそるべき空疎な脳天気だ。

できることなら、マスメディアの脱構築をやり、児童虐待やいじめ/いじめ自殺を減らしていきたい。

※1:"現代マスメディアモードと本人性(identity)の相克"というタイトルの、もっとも分かりやすい例示が、ビートルズ時代のジョン・レノンと純個人になってからの彼…とくに後者におけるMotherなどの曲…との対比だ。その彼が、現代マスメディアモード時代にばらまいた毒に殺られてしまう結末も、暗示的だ。

※2:Zazは最初から本人性に居座って勝負しているような表現者だが、彼女がそのために選んだ場所は「ストリート」である。「コンサート」は、彼女にとって完全に場違いである。

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