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2012年1月 2日 (月)

現代マスメディアモードと本人性(identity)の相克

イリーナ・メジューエワというピアニストは、"西洋クラシック音楽の脱構築"を一人でやらかそうとしている、とこのブログにも前に書いた気がするが、その彼女が足かけ13年前(1999年)に録音したモーツァルトが、1000円という廉価で再発された。"すごい"なんて陳腐な形容詞は死んでも使いたくないが、なんとゆうユニークな表現者なんだろう、この人は。本ブログの読者のために、私が書いたこのCDのリビュー(Amazon上)を、紹介しておこう:

これ、だ。

どうも現代社会では、作者・表現者の本人性よりも、ある種の(往々にして商品的)マスメディアモードというものが、演奏等にあたって優先されるのではないか。そしてそれらが、ショパンの名曲、モーツァルトの名曲、等々として流通し消費される。大みそか〜お正月のテレビ番組表を見ていて感じる、現代社会の本人性とは、「児童虐待」や「いじめ」(とりわけ、いじめ自殺)が多いというその"傷"であり(欧米"先進国"にも多い)、いまだオウムのような集団狂気を、自分たちの社会の問題としてとらえない(ナチスやユダヤ人排斥思想に対しても未だに)、おそるべき空疎な脳天気だ。

できることなら、マスメディアの脱構築をやり、児童虐待やいじめ/いじめ自殺を減らしていきたい。

※1:"現代マスメディアモードと本人性(identity)の相克"というタイトルの、もっとも分かりやすい例示が、ビートルズ時代のジョン・レノンと純個人になってからの彼…とくに後者におけるMotherなどの曲…との対比だ。その彼が、現代マスメディアモード時代にばらまいた毒に殺られてしまう結末も、暗示的だ。

※2:Zazは最初から本人性に居座って勝負しているような表現者だが、彼女がそのために選んだ場所は「ストリート」である。「コンサート」は、彼女にとって完全に場違いである。

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コメント

本年もヨロシクお願いします!

identity という単語に反応します

「アイデンティティ経済学」という本を読みました。
山形浩生 (やまがたひろお) / 守岡 桜(もりおかさくら)
東洋経済新報社。原著は、
George Akerlof and Rachel Kranton , Identity Economics : How
Our Identities Shape Our Works , Wages , and Well-Being
(Princeton University Press ,2010 )

山形さんの解説によると、
従来の古典的な効用関数による効用をUc (classic )
アイデンティティーに基づくアイデンティティー効用をUi(identity )
とすると、
人が感じる効用は、この両者の単純な合計になる
U = Uc + Ui
というもの。
ここでは、サラリーマンのスーツにネクタイを例にひかれていますが、
最近の私に当てはめると、
ペーパードライバーあがりのへたくそ運転手と思っている自分は、
見通しがあって、交通量も少ない田舎の山道片側交互通行、
それも10 ㍍程であっても、愚直に最大120秒の赤信号を
待ってしまう。
という考えると非合理的な行動をしてしまう。
それが説明できる、という話なのです。

ここでの話とずれているのは気がついていますが、
アイデンティティーを考慮に入れるというのは大事かと
書き込みました。

では公共との相克は、というと、また考えてみます。

※ZAZ に関しては、「そうか!」
しかし、イナカモンとしては、生で見れるチャンスに見えてしまう
悲しい気持ちもありますね。行けないけれど・・・

simomitu

投稿: 下光博之 | 2012年1月 8日 (日) 07時52分

紹介されて時間が経ちましたが、やっと入手して聴けたので
感想を記しておきます
聴いたのは、
○MOZART RECITAL / IRINA MEJOUEVA
○Debussy Recital / KIYOKO TANAKA

凄い、と、陳腐な言いだけれども、そう思いました
一音一音が綺麗にそこにある、というか
いつも聴いているよりもっと奥まで入って来る、というか
これは聴覚を越えて「きけている」のでは?、というか

とにかく久々の感動・体験です
そして二人の音はまた、良い意味で違うのです

これははまります。のめり込みそうです。

教えてくださり、感謝感謝です

しかし、びっくりしました。弾き手によって、こうも違うとは
クラシックの世界、奥が深い。

さて、マスメディアモードとアイデンティティーですけれど、
考えを少しでも広げられるかも、と思いつつ、うまく
書けないので、これ、またにします。

simomitu

投稿: 下光博之 | 2012年1月14日 (土) 16時42分

UcとUiが影響し合うと面白いかなーと考えていました。Uc+Uiが別のUcを作るというのはどうでしょう。

投稿: hayashi.hiroaki | 2012年1月15日 (日) 23時10分

@hayashi .hiroaki さま
反応、ありがとう! 遅くなったけれど。
うん、オモシロイと思います。アイデンティティー、大切ですよね

さて、遅くなったのは、公共モードとアイデンティティー・モードの
相克とは、と考えていたのです。
考えながら読んだのが、
「一般意思2.0」 / 東 浩紀 (azuma hiroki ) 著 / 講談社

内容は、ルソーに戻って民主主義を問い直す、というものですが、
学んだのは、
全体意志は特殊意志(個人の意思)の総和(合計)だけれど
一般意志は特殊意志の和から相殺しあうものを除いたうえで
残る「差違の和」
ということ。ベクトルの概念があるとイメージしやすい、かな。

で、一気に後半にとぶと、
わたしたちが常識的に想定している公と私の関係が逆転して、
世界について、普遍について考えることは、私的な行為としてのみ
許される。と、なるのです
さらに、未来の国家は例えれば水道局みたいになるのでは、とも。

いずれにしても、今は内面充実に努めるが良かろう、が
僕の思ったこと。
勉強は楽し。興味は尽きないです。

さあ、もっとうまく書けるように、励もう

simomitu

投稿: 下光博之 | 2012年1月24日 (火) 23時16分

面白そうなので、「一般意志2.0」読んでみます。

投稿: hayashi.hiroaki | 2012年2月 4日 (土) 13時43分

@hayashi .hiroaki さま

反応くださって、有り難うございます。
気が付くのが遅くなってごめんなさい。

興味を持ってもらえるのは、嬉しいのですけれども
必ずしも、みんな読んで、とは思って書き込んでるのではないので
無理しないでくださいね。

要するに、の、ポイントは伝えているつもりですし、
あくまでコメンントとして、応援する内容を、と思って
やっています。

さて、ここの所は、池田清彦さんにはまっています。
頭がスッキリしたというか、わかったようなそうなんかなぁ?
と思っていた、生物学のモヤモヤが晴れた、というか。

利己的遺伝子とか、ミームがどうしたとか、ポイ、出来ました。
ネオ・ダーウイニズムの方々、さようなら、ですね。

「構造主義と進化論」 / 海鳴社 / 1989年
印象に残った、あっ、そうか! の一つは
“名は時間を生み出す形式である”です。

こういう事があるから、読書はやめられません。
“個物は名によって生み出された固有時間を内包する現象なのである”
そうかそうか!とひとり悦んでいる、この頃です。

simomitu

投稿: 下光博之 | 2012年2月10日 (金) 19時20分

(色々な)相克というのは、考えるアシというより煩悩のアシと言った方が当たっている何もせずとも悶々としている自分みたいな人にとって、演奏家が、グループが表現を生業としてやっていくという上でのそういう相克は、昔から僕にとってなにやらとても羨ましくもあり(倒錯しているかもしれないが)そのモード(あるいは非常に似通ったモード)というのはすでに何故か自分の中にも有るような、結構日々飲み込まれそうになってたり気もする(何でだろう?)。(今だに)70年代後半の英ミュージックシーン(短期間で凝縮されたような、後追いでは難しいような部分、Metabolistなんてbandも登場した)が日本以外の外国への関心の中心となっている自分にとってはじめて感じ、考えたりしたコトがあるようなないようなコトも、個性的な表現者であればそれはどんなものでどんな変化をもたらすのだろう。

投稿: m.hodo | 2012年3月 2日 (金) 07時54分

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