Liberation from Money
そう、貨幣は、人間を不必要に矮小にし、卑(いや)しくし、破壊的にする。そう言う意味で貨幣は、伸びようとする子どもの頭を押さえつけて成長を不能にしている大きくて重い巨人の手のようであり、人間の家の、明るい暖かい日射しが射し込もうとする窓をひたすら蔽(おお)っている悪魔鳥の巨大な黒い翼のようだ。多くの場合貨幣は、人の良き本性に、その発露に、蓋をしている。
しかし、人間がうっかり採用し、うっかりグローバルに普及浸透させてしまった貨幣システムを、それと同等、あるいはそれよりも密な、コミュニケーションシステムで置換していく作業は、たいへんな過程でもある。大中小の諸集団から個人に至るまで、コミュニケーションに基づく協力的生き方が全地球を被(おお)い、全地球に浸透しなければならない。余談: 国、国家と呼ばれる集団は、大と中の中間ぐらいかな。
生産と分配のために、貨幣システムは要らない、むしろそれは邪魔である、と実証したのはLinuxオペレーティングシステムの生成過程だが、それに似たもっと小さくてローカルな(無名の)例は、世界各地にけっこうあるはずだ。それらのドキュメンティングも、必要な準備過程の一環だろう。
Liberation from Money、貨幣からの解放は、そこから、ヒトという種の全体的なre-birth(再生、生まれ変わること)が、人類全体の“全的ルネサンス”が、はじまる重要な契機だ。ヒトという種の、それまでの悪性な破壊性が止(や)み、自然に生かされる生き方/死に方に変わるだろう。そしてこれまでの、貨幣を得るための不毛な努力に代わって、ものすごく多段な、大中小さまざまなレベルでのコミュニケーション努力が、ヒトの一生を退屈のひまなく駆動するはずだ。忙しいという点では、今と違って、全員がすごく忙しくなる。勉強すべきことも増える。…だがそれらの"たいへんさ"すべての中に、貨幣時代のような心と頭脳の卑小さはもはやない。
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