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2011年10月15日 (土)

日本人の心にとって「他者」はいない

この重要なエッセイを書いたのは、もう4年も前だが、いまだに言語表現に関するこの新常識はまったく普及していない。

Aさんが言った・書いた"xyz"という言表を、そのAさんはpという意味ニュアンスを込めて言った・書いたのだが、Bさんはqという意味ニュアンスで受け取った。そしてBさんは、そのqに基づいてその言表や発話者Aさんを非難したりする。このBさんみたいな人が、とても多い。編集という、言葉と関わる仕事を長年やってる人たちの中にも、平気でBさんはいる。もちろん、ふつうの人の中にも多い。

要するに日本人、あるいは世界の人の多くは、他人も全員が自分の村の村人である、したがって言語の意味体系は唯一不二だ、と頭から信じている。

おとろしいことだ。他者の存在を認めないこんな心性では、日本社会の平和も、世界の平和も、永遠に訪れないだろう。旧共同体はとっくに崩壊しているにもかかわらず、人の(何十万年の歴史を持つ)旧共同体性の尾てい骨の暗黙の力は、いまだに、人を暗黙裡に完全に支配しているのだ。

おとろしい。だが、これからも、がむばって、大声でやつらを叱っていかなければならない。

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心の中で、他者が、しっかり、ちゃんと、明確に「他者」として存在せず、なんでも自分の村内(むらうち)に勝手に引きずり込んで恣意的に解釈してしまうという病弊は、人間関係以外に、たとえば『自然』にも適用された場合、たいていの場合、たいへんなしっぺ返しを喰らうのである。津波なんて、せいぜい5メートルぐらいしか来ないよ、などと、何の根拠もなく…。

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コメント

言葉に対して、いろいろな、aspect{局面; 外観; 顔つき; 見解} を、想定してみる事が、大事だと思いました。

投稿: alarky | 2011年10月15日 (土) 21時21分

偶然ですが、昨夜、引っ越し準備の一つで、組立式木製机を解体
引き出し文具等の箱詰めをしていたら、その重要なエッセイを
書き写したメモが出てきました。当時の自分も重要だと思った
のでしょう。あらためて肝に命じなくては、と思ったのでした。
今日もこうして読めた、ということは、何か後押しされている気
もします。

僕自身の反省としては、違った解釈と言うより、
関連事項が頭に浮かんで、そっちにソレル、傾向が有るかも、と
気をつけなければ、と思いました。

事前のアポイントもちゃんととるようにも心掛けています。
これは実践すると、当たりが格段になめらかになって、
双方快適な局面が増えた実感がします。

見方を変えると、少数派なので、
目立つ、異質に感じられてる、と思うこともあります。

日々忘れず生きたいものです。
感謝してます

Simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年10月16日 (日) 11時32分

Otokonokoukeiでは、半ば予言的(?)に、「近いことと遠いこと」、コミュニケーションのパースペクティブ論、あるいは圏域論といった内容に言及されていました。小室直樹×山本七平の「空気の研究」では、日本人のエートス、精神性の神髄は、「空気を読むこと」にあるといいます。社会的近接性、近しいこと、親しいことにおいては、私たち日本人は、ナイーブな、差異への気付きの感覚を示す。しかし、その圏域を離れて、空気の及ばざる処、驚くべき傍若無人ぶりを示す。そこに必要であるのはドクマ(教理、教条)であるが、日本人はこれを受け付けないといいます。つまり、ドグマは、より遠い射程において、人々の倫理を規定する。エートスとしての空気によっては、21世紀を日本人は生ききれないだろうとされています。ドグマの理解が必要であるが、これを邪魔するのがまた、エートスとしての空気であるそうです。空気と、ドグマ。そのどちらが良いのでしょうか。

投稿: saigonodorei | 2011年10月16日 (日) 22時11分

@saigonodorei
"空気"と言われているものは、ローカルルール、ないし、ローカルルールが完全に場を支配している状態、かつ、当事者たちにその自覚がない状態を指すのでしょう。言葉による明示化、対象化も不要な世界なので、"空気"とアナロジーされるものと思われます。

でも、そういうローカル場は、世界中至るところにありそうですね。だから、タイトルで「日本人〜」と限定したのは、まずかったかもしれません。

投稿: iwatani | 2011年10月17日 (月) 13時11分

@下光
> 事前のアポイントもちゃんととるようにも心掛けています。
> これは実践すると、当たりが格段になめらかになって、
> 双方快適な局面が増えた実感がします。
これは、ご当地C県の、全営業マンに教えてやりたいですね。効果的なコールドコールのこつと一緒にね。:)

投稿: iwatani | 2011年10月17日 (月) 18時13分

営業の事前アポイントのことですけど、電話で事前のアポイントとるのは、やっぱり難しくて、そのための職員にかかる経費を考えると効率が悪いんですよね。

それで、各家庭への「飛び込み営業」が企業の営業手法となってしまうんですね。むしろ、ドアを開けさせて「直接会う」ことが相手に逃げられない営業手法とみなされているんですよね。

「電話」でアポを効率よく取れるような話し方の工夫は、今の企業の状況では難しそうですね。

田舎に行くほうがこうしたアポなし手法が多いのかどうかはわからないところです。そうだとすると、「田舎」の「他者へのかかわり方」の特色といえるかもしれません。

ただ、私は、もし「飛び込み営業」がきても、その人には寛容な気持ちになります。まさにトレード強迫の一例で、生活のためにしたくないことをがんばってしてるんだなと言いようのない気持ちになります。

私も一時期会社の営業部に配属されてしまい、恐る恐る「飛び込み営業」をしていました。

印象的だったのは、東京の23区から距離が離れるほど、インターホンを押せば、ドアを開ける人が多いことでした。

東京23区の人は、基本的にインターホン越しでしか対話しようとしないのに、田舎にいけばいくほど(多摩・神奈川・千葉)、いきなりドアを開ける人が多くなりました。他人への無用な警戒心が少ないという意味ではいい土地柄なのかもしれません。

投稿: nice | 2011年10月20日 (木) 14時50分

@nice
あまり長い文を書く余裕がこのところないのですが、重要な要点は:

●営業という仕事は、それのプロとしての自覚と能力と日々の実践を持ってないと、やってる本人の人生がおもしろくも楽しくもないし、会社の業績にあまり貢献しないし、消費者にとっては往々にして迷惑、という「三方百両損」になるだけです。

●日本の企業、とくに中小企業の多くは、営業をプロに育てなければならないという自覚がないし、そのための教育訓練の能力もない。それでは、営業をやらされる人に対する、一種の人格虐待(人生虐待?)になる。もちろん、そのような企業の業績は慢性的にぱっとしない。

投稿: iwatani | 2011年10月22日 (土) 19時14分

やっとのことで引っ越し、一段落しました。
仕事の合間を縫っては、キツイ。特に、CD と書籍の山には
我ながら、異常かもと思ってしまいました。
さて、
@ nice さん
僕の書いたのは、客の立場だったり仕事上の相手だったり、なので
営業のアポイントは頭にありませんでした。
岩谷さんの書かれているように、受ける立場だと、ほとんど
迷惑に感じます。最近だと
電話では、マンション経営勧誘、
飛び込みでは、牛乳宅配勧誘。
当然、お断りすることになるのですけれど、営業マンさんも色々で
言葉尻つかんでくいさがるタイプ、電話番号は購入したデータから
と明かすタイプと、さまざまみたいです。

ドアを開けるのは、都市部から離れると、その傾向はありそう。
島根の田舎では、気がついたら人が家に入ってるんよ、という話を
聞いたことあるし、
昨年までお向かいさんだった沖縄出身者は、ドアの鍵はかけない
と言っていました。

まさに、タイトルどうり、他者はいないのでしょう。

私には、他者ばかりに思えることが多いのですけれど・・・

simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年11月 5日 (土) 18時44分

@下光
@all
日本の企業、とくに地方の中小企業は、営業教育を近代化・現代化する必要があります。そうしないと、あらゆる業界・業態が、ガイシ(外資)に浸食されるでしょう。ホテルでもゴルフ場でもそのほかでも、ガイシはやり方が上手だわ。営業〜マーケティングが、客を立てるコミュニケーションであることを、よくわきまえている。

投稿: iwatani | 2011年11月 5日 (土) 19時06分

@岩谷さま

アドバイスありがとうございます!

本当に、そうですよね。相手を立てるのが上手いって
技術ですよね。
職場でも、研修内容が「接遇」であることが増えた気がします。
最初は、もっと専門的なことをと思ってしまいました、が
大切なコミュニケーションについてだ、と
思い直しているこの頃です。

身につけようっと。

simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年11月 6日 (日) 07時33分

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