メディアの誤解の根源
メディアの本質への理解、したがってその用法が、今の形では完全に間違っていることは、何度も指摘している。
今日、新聞のテレビ番組表を見ていてつくづく分かったのだが、今のメディア人は、意識のうえでは完全に、村人(むらびと、旧共同体の成員)である。そしてテレビとは村祭りの余興のステージであり、番組はその演し物だ。今のメディア人は、完全にそう考えている。だから、メディアのあるべき姿を完全に誤解する。
メディウムとは、番組を視聴者に媒介するものではなく、人と人を多様多方向的に結びつけるための媒介物でなければならない。以前の連載も含め、何度も何度も言ってきたことなので、えーかげんうんざりしているが、しかし何か新しい動きが芽生えるまでは、これからもしつこく繰り返す必要がある。最新の記事は、たぶんこれだ(0520のエントリの最後のパラグラフを見ていただきたい)。
旧共同体はとっくに形骸化し、それに伴うさまざまな危機が社会に生じているというのに、それに気づかぬ「祭り興業の世話人」でしかない今のメディア人は、全員クビ!!! あまりにも、馬鹿すぎるよ、あんたたち。それで、視聴料を寄越せというNHKは、馬鹿の二乗三乗だわ。
江戸城の無血開城にも似た、メディアの無血開放は、いつ来るかな? それとも、無血は無理か?
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コメント
人間には上に立ちたいという欲の他に、楽をしたいという欲もあります。
楽と幸福とを取り違えています。意図的にかもしれませんが。
まだ、人類はほんとうに幸福になりたいとは思ったことがありません。
投稿: 南 | 2011年10月17日 (月) 10時34分
あと、需要があってからシステムを創るべきだ。
先にシステム(交通、メディア、インターネット等々)を作ってから需要を掘り起こすというとんちんかんな事はやめて頂きたい。
社会を科学者や政治家や公務員のオトコ・コドモのおもちゃにするのはもうやめて欲しい。
投稿: 南 | 2011年10月19日 (水) 09時08分