景気、失業、…
真のコミュニケーション理論の重要な骨格の一つとして、これまでに何度も言ってきたことだけど、まだまだ何度でも言わなければならないようだ。
アメリカ合衆国のオバマ大統領は、景気対策、失業対策として、日本円で数兆円相当を投ずるとか言って、それが共和党の反対に遭ったりして、うまく行かないようだ。アメリカの政治で長年タブー視されていた"富裕税"も持ち出すらしいが、こちらもやはり保守層の猛反対に遭うだろう。
景気が良い、失業がない、ということは、社会内で、トレードが相当大きな規模で、円滑順調に回っている状態だ。下々(しもじも)の者たちが持つ唯一のトレード財(交換財)である自己の労働力も、その円環の中に安定的に参加している状態。
でも、トレードの理想状態を、唯一最高の善とする観念は、錯誤である。オバマ氏をはじめ、国の、世界の、リーダー層の全員が、この錯誤に全身全霊を支配されている。
明日の人類の、ずば抜けて最大の課題が、この、"全支配的な"トレード強迫、トレード妄執から、醒めることだ。
心の貧しい貧乏人が児童虐待をしないためにも、この覚醒と、覚醒を担保する社会基盤が必要である。
状況を左右する要因の数が多く、しかもその中には人間の予測や制御を超えたものもある点で、トレードと気象は似ているだろう。だから、気象に比喩をとると、1年のあいだに、暑くくも寒くもなく完全に快適な晴天の日が、一体何日あるか。
この気象の例と似てトレードも、理想的にうまく行くことは少なく、人間の(例:政治の)コントロールも及ばない。トレードは、うまく行かないのが常態である、と覚悟すべきだ(常態を、ネガティブ視しないこと!)。
だからこそ、人間の生活を、トレードの成功に絶対依存させる観念は、錯誤なのだ。自己の労働力が、ある値段以上で恒常的に売れてないと、生きていけない。この観念と状態を廃棄することが、人類社会の焦眉の課題だ。
トレードは、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。そして機会・時間的には、後者のほうが圧倒的に多い。トレードがうまくいってないこと、例:失業者であることを、恥としてはいけない。トレードがうまくいってない状態=人間の当たり前の状態、という認識が常識として普及しなければならない。
アメリカ合衆国における老朽化したインフラ対策や、日本におけるもっとレベルの高い堅牢な防災対策などは、景気、失業などとは無関係な文脈で積極的にやるべきだ。それらが、"失業者を皆無にする"、なんて考えてはならない(たぶんそうならないだろうし)。
全般的に人類社会は、だんだんやることが少なくなり、いわゆる'失業者'の多い社会になっていくだろう。それを当然とする、肯定的な視点の普及が、ぜひとも必要である。売れてないことは、悪でも恥でもない! むしろ、それが常態だ!
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コメント
柄谷行人(だったか?)がかつて書いていました。
「トレードは命がけのジャンプ」だと。
なんで、そんなこと、毎日し続けなアカンねん。
産まれたから生きている、ただそれだけで何でアカンねん。
投稿: 南 | 2011年9月20日 (火) 09時41分
でもこの不幸は、過渡期であって永遠ではないのだ。ともすれば自分の中に居る<死の商人>に気をつけよう。私はそれが一番疲れるのだ。
投稿: s.hodo | 2011年9月21日 (水) 10時21分
また素朴な感想を一つ。トレードの好不調の一例。夏には冷凍菓子がよく売れるが、冬には売れない。昔はガソリンスタンドに必ず数名の店員がいたが、今ではセルフとなり一人か二人で事足りる。昔の実写映画には莫大なスタッフが必要とされたが、今はCGで事足りる。etc,etc.
確かに労働人数は、縮小されると思われる。ならば前にも書いたけど、働いている者とそうでない者とのシフトチェンジを有効に実施して欲しい。そして、休憩時期に入った者はボランティアに参加するもよかろう。またある者は自分の新たに興味のわいたものを学習し、次の就労時期に転職にトライするのも面白かろう。
これが当然視され実行されれば、楽しい世の中になるのではないか。そう、そして実行されれば雇用主にかしずく必要もないわけだ。そうか、トレード絶対主義とは人を支配下に置くために必要なわけだ。
投稿: ohiya | 2014年7月16日 (水) 07時37分
また一例。天災など大災害には復興のために多くの雇用が生まれるが、それが終われば必要なくなる。極論すれば、一度生まれた雇用を維持するためには、次々と災害が必要になる。
前のコメントの最後に気づいた仕掛けであるが、やっぱりこの世の中、おとろしい世の中やで。くわばら、くわばら。
投稿: ohiya | 2014年7月16日 (水) 07時54分
先日やばい特集を見た。若者の減少ということで、今も早や、人手不足時代になっているそうである。特に建築と介護の分野で。建築はオリンピックと大震災のため、重要が拡大したが人が集まらないそうである。それに型大工と言うビル建設の時、コンクリートを流すための型枠を組み立てる技術者が決定的に足りないそうである。また介護分野では、国内では人材が集まらず、主にベトナムやタイなどから人材を補給してきたが、最近はヨーロッパ特にドイツなどが日本よりも好条件で募集をかけてきたため、そちらにだいぶ流れているという。
どちらにも言えることだが、日本国としては労働力としては外国から来て欲しいが、移民としては要望していないらしい。大変むしのいい話である。年数が来たらとっとと帰れということである。
労働者不足なのか労働者余剰なのか、厳密には私には分かりかねるが、もし外国人労働者を大量に来てもらわないと日本が成立しない国になったとしたら、その時こそ日本人のコミュニケーション能力が問われる時だろう。簡単に労働力として搾取するのか、きちんと他者として接するのか。(スイマセン、ねぼけています)
投稿: ohiya | 2014年7月21日 (月) 01時52分
だけど、双方ともにコミュニケーション意識とコミュニケーション努力の意識があればいいけど、片方が「そんなの俺には関係ないぜ」という意識なら不毛のような気がするね。
それを防ぐには、国内・国外に「日本は、コミュニケーション立国である。」と宣誓したらどうでしょう。小学生の感想でした。
投稿: ohiya | 2014年7月22日 (火) 06時02分