コミュニケーション不能と知学の一般形姿
コミュニケーション不能のベースにある状態は、「自己」と「他者〜他己」に関する定位の不全、それによる不完全な存在〜宇宙把握である。不完全に把握された存在〜宇宙を前提とする知学(知一般、Wissenschaft)の、知学としての不完全性を暴くことが重要である。
人間の一般的知学の始まりを、メソポタミアとかインドガンジス、中国古古代とすれば、これまでの時間はとても短く、初期的であり、基本に間違いがあっても当然である。知学の歴史は、(地球環境さえ無事なら)、これからの時間のほうが何百倍何千倍も長い。
自己他己定位の不全に由来している存在〜宇宙像の不全は、たぶん数学と物理学においてもっとも顕著であろう。そのことを暴く私自身の試行は、まだ、きわめて不十分なものであるが、しかし基本的なヒントは提示されていると思う。対象知は、人間の態度・姿勢であり、対象そのものをdescribeしてはいない、という知見が考え方の基本だ。
これからのまったく新しい知学によって、技術もまた、正しい方向に変わらなければならない。
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南氏のコメントへのレスにするより、重要なことなので本文の続きにしよう:
問題は、他者を阻害し、他者を搾取する、ということなんだ。貨幣関係というコミュニケーションレスがまさにそうだし、3.11大災害も、アフリカの強毒性ウィルス(人体)顕現の問題もそう。宇宙開発と呼ばれる粗雑粗暴も然り。自然を、他者として尊重していない。つまり、他者が他者でなくって、勝手にマニピュレイトできるもの、になってしまっている。それはまた、自己が自己にとって自己として自覚されていない、つまり結局自己も、永遠の闇に葬られたまま、彼彼女は毎日を生きている、そういうことの裏返しとしての、勝手にavailableな他者の阻害搾取だ。数学に至っては、素朴な自己概念にすぎない数を、そのルーツを忘れたまま大げさに阻害==絶対対象化している。
すなわち、
他者阻害・他者搾取==自己疎外・自己忘却
である。
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