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2011年8月 1日 (月)

音楽の歴史は人間の歴史の表情にすぎない

岡田暁生著_西洋音楽史「クラシック」の黄昏_の希少価値は、安価な読みやすい本なのに、全7章中3章(240ページ中90ページ)を、“バロックまでの前史"にあてていることだ。その点では、たいへん勉強になる。人名が原語付きで、かつディスコグラフィーが充実していれば、もっと良かっただろう。

全体として浅薄でうるさい印象を与えるのは、音楽の歴史の細部描写には詳しいが、それらとの、人間の歴史との動的絡みが、まったく看過されていることだ。人間と人間社会がこうだったから〜こうなったから、音楽は(も)こうなった、という視点が完全に欠けている。だから、象徴的には、最後の、ポピュラー音楽(クラシックの死以降)への視線は??だし、クラシックの解釈の一部に起きている「脱構築の試み」への着目もない。*

*バッハは3章の最後に登場するが、ここでのバッハ観も、本末転倒というか、お間抜けに倒錯している。バッハの偉大==バッハに対するほぼグローバルな近代人の支持・愛好、という歴史現象/人間的社会的現象の中に、バッハの音楽の本質があることを、本書は完全に看過している。音楽の歴史とは、音の工作物の歴史ではなく、人間の精神の歴史の表現・現れだ。あらゆるバロック期の音楽の中で、バッハの音楽のみ、近代人の精神が託せる、深みや陰影があるのである。

近代・現代人から見て、だいたい各時代、特定の「一人」しかいないことの意味を、もっと真剣に考えてみるべきだ。たくさんいたはずなのに、なぜ今やモーツァルト一人なのか、…、ショパン一人なのか、etc., etc.。これらごく少数の、extraordinary…ordinaryでないもの…は、あくまでも歴史が創りだし、選び出したものだ。音楽の主人公は、音楽でも音楽家でもなく、人間とその歴史である。音楽史は、人間の歴史として捉えなければならない。

まあ、日本の大学の先生の頭が、(表面的細部にやたら詳しいけど)浅くて矮小であまいのは、これに始まったことじゃないけど。

音楽→数(最初は単純な整数)→調和(神や天国の調和)といった、噴飯説は、こっちでちゃんと否定・批判している。数は、神にも自然にも属さず、人の弱い浅い欲深な脳に属すのみ!!

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コメント

だいじなのは音楽じゃない、人間だ。

良い人生をおくるための努力(だけ)をしよう。

投稿: 南 | 2011年8月 2日 (火) 08時46分

ロッキング・オン育ちの身には、当たり前の事ですよね。
その人に関心が向かうのですから!
本日読了した、
「無伴奏チェロ組曲」を求めて
バッハ、カザルス、そして現代 / エリック・シブリン
武藤剛史 訳 / 白水社
は、出会いの喜び、発見の驚きがみなぎった人間の物語でした。
報告まで
simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年8月10日 (水) 00時31分

自分で振ったので、そのままにしないで、おとしておきます。
J.S.BACH / CELLO SUITES // PABLO CASALS を聴いて
みました。
その方面では基本中の基本みたいで、なんと田舎のCD屋さん
にも店頭にありました。珍しい事なので、店員さんとも喜び
合いました。それはともかく・・・
ビックリしました。スッゴク迫力あるのだもの。前出著作の
著者さんが引き込まれたのも、頷けます。書かれているよう
に、ジミー・ペイジばりのリフ、あります。これは、イケます。
夏休みは、これにどっぷり浸るのも、良い勉強になるのでは?

活字から入る音との出合いもイイもんです。

報告のつづき、でした。
simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年8月19日 (金) 00時15分

どこに書こうか迷ったのですが、
「無伴奏チェロ組曲」を求めて、を読んだことが契機なので、
ここに記します。
普段あまり小説は読まないから、買ったままで置いておいた
本でした。すぐに読めば良かったと、今は思います。きっと
その時は、他の興味が強かったのでしょう。
その作品とは、
「オール・マイ・ラウ゛イング」
岩瀬成子(いわせじょうこ) 著 / 集英社
です。
すごく良い作品だと思いました。

どこが良いかと言うと、
主人公にとってビートルズが、そのサウンドが、いかに無くては
ならない大切なことだったかが伝わってくるところです。
勉強になったのは、感じ方は、人それぞれ違うんだ、ということ
が分かった点。僕なんか、知らない扉は開けた感はあったけれど、
かっこよさが先行してたものなア

感動の作品です。ビートルズを本人のものにしている

こう言う関係を音楽と結びたいネ。

誰か他の人の感想も聞きたくて。

simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年8月31日 (水) 08時42分

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