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2011年8月 1日 (月)

自己論のスケッチ(1−7)

先日あたり話題にしていた道元・正法眼蔵は、前世/来世説を「外道の邪説」として厳しく退けている。あると言えるものは、この“一回限り"の自己と、その生と、生現象の一部である死*だけである。言い換えると、自己としての自己同一性(identity)のある自己は、この今の一回限りの自己のみである。

*いわゆる‘まだ生きている'ときも、短時間的部分的な死は何度も経験している・経験させられている。自己は生(死)をまったくコントロールできない。ヒトが、自然をコントロールできないのと同じ意味で。だから、前にも書いたが、『自然は愛』なのである。それはつねに、われわれをつつみ、いだいている。その手がたまたま、大地震や大津波のこともありえる。(言うまでもなく、人間は自然の--ごくささやかな--一部である。)

そういう意味で、原発とならび、宇宙開発、宇宙への進出は完全に廃止してもらいたい。人間に残された唯一のフロンティア、圧倒的に最大最深のフロンティア、未着手のまだ完全処女地フロンティアは、人間自身である。宇宙を向く、欲猿のすげー安易な粗雑粗暴を廃し、そっちを向け!

対象知の対象としての宇宙、外的宇宙は、つまらないものであり、愚かな概念であり、退屈の権化である。宇宙ほどずばぬけてつまらない、愚劣な、退屈なものはほかにあまりない。ヘーゲル哲学に「悪無限」というおもしろい概念があるが、外的宇宙は、さしずめ「退屈無限」だ。これまでの宇宙飛行士やNASAの関係者などには、アフリカの飢餓地帯で10年奉仕する罰(恩寵、救い)を与えたい。

自己というものが、それほどまでにかけがえのないものならば、人の腕にたかって運悪く一発でたたきつぶされる蚊の自己とか、幼女を誘拐殺人して迷宮犯人になってしまうやつの自己とか、腹に爆弾を巻かれて自爆テロに行かされる少年や女性の自己とかは、そのかけがえのなさを、どう理解すればよいのか?

この難問の難問たるゆえんは、人間と自然が、まだ人間自身にとって大きな超難問であることと、おそらくパラレルである。まだ完全に未開(==コミュニケーション不能)のフロンティアが、あたたかくやわらかな沃土へと開墾されしあかつきには、すくなくとも、犯罪する自己とテロする自己は生成しないはずである。

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コメント

もう、ほんとうに何千年も続けてきたこの経済至上主義をやめましょう。

人間幸福追求主義にシフトしましょう。

投稿: 南 | 2011年8月 2日 (火) 08時41分

このテーマは、重要なので自分なりにコミュニケーション有能の人に
向けて勉強と実践を続けたいです。今回も自己の方に目を向けよ、に
そうだ、と思いました。
一方、読書報告としては、「こころをひらく対話術」/泉谷閑示(い
ずみやかんじ)/ソフトバンク クリエイテイブ が良かったです。
「対話(ダイアログ)」を行うということが、たんに技術だけではど
うにもならない、生き方そのものに深くかかわっているものであるこ
とを明らかにしています。
ここでの話とかぶる事も多いと思います。
オススメ、しておきます。
simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年8月 3日 (水) 04時56分

こんにちはiwatani様。
自爆テロは、ナルシシズムです。宗教教義の中に、自分の居場所があると。もともとないのに。
しかも強制なのか、本人の意志かごまかしてるべ。

投稿: のろ | 2011年8月 6日 (土) 00時08分

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