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2011年8月15日 (月)

オフビートの哲学

名著と言われる「音楽の基礎」(芥川也寸志, 岩波文庫, 初版1971年8月!!)をやっと読む機会があったが、私個人の感想は、あまり芳しくない。

<quote>
マス・メディアの発達はアメリカ製のロック・ミュージックまで山間僻地に鳴りわたらせ、この影響で日本民謡までウラ拍に手拍子を打つ光景がよく見受けられるが、(中略)、これはじつに滑稽というべきである。
</quote>

ここでウラ拍と呼ばれているものは、いわゆるバックビート、ないしオフビートのことだ。
オフビートを肯定する""思想"とか"哲学"を、言語化すると、どうなるだろう?
(あえて、私からごちゃごちゃ書くのは、とりあえず、やめておこう。)

同書の一読感は「現代の社会・世界は、音楽に意味を見いだしていないのではないか?」という空漠感だ。19世紀、勃興する市民階級の意識を支えた西洋クラシック音楽、前世紀末、新たな個人化&コミュニケーション指向世代の感性を支えたロック音楽、各地の伝統ローカルコミュニティの祭事音楽、等々…このようにしっかりと『意味』のある音楽は、今、もはや、どこにも存在しないのではないか。かろうじて、意味ではなく『意義』のあるものは、各所で行われている脱構築の挑戦、だけかもしれない。

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コメント

かつての、音楽とシーンのスリリングさ、音楽の形式でなく行為、音楽の意味でなく意義、日常を音楽的に満たす為のミニマムな礎。xor読んで自分の頭ん中、確認と検証するのもスリリングだ。

投稿: s.hodo | 2011年8月15日 (月) 22時19分

でもロックって宗教ですよね。

宗教だからアカンとは一概には言えませんが・・・。

投稿: みなみ | 2011年8月16日 (火) 10時54分

えっ?
哲学でしょう?
考える事ではなくて、
考え続ける事でしょう?
そうでないと、こうして新しいのが次々生まれないでしょう?

SEKAI NO OWARI が、トリプル・リード・シングル
INORI
を発表しました。

優れた日本のロックだと思います。

宗教って、ある意味、私は考えませんよ、って感じが
しませんか?

そうでないから、私たちは、聖書も読んでみれば、
スッタニパータも読んでみれば、
教行証文類も読んでみれば・・・
とやっているのだ、
と、思います。

simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年8月20日 (土) 21時08分

ステージ現象/ファン現象の一部に、「ある種の宗教の狂信現象」に近い部分があるのは確かで、だから「ロックは〜」と特定的には言えないでしょう。いろんなものにあります。

ジョン・レノン殺しも、明らかに狂信現象の現れの一つですが…。

パンクロック以降の末期のロックには、その、逃れられない『ステージ・ファン構造』を、強く自己否定する要素があったと思います。

そこにうまいこと、ネットワーキングというものが登場したのですが、これはまだまだ幼児期です。

投稿: iwatani | 2011年8月21日 (日) 18時42分

フーム。
そうか。そう、でした。
引き続き、勉強したり、考えたりして、出直します!
ありがとう! コメント

simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年8月22日 (月) 23時17分

なんの根拠も無い話ですが、音楽って人間の精神にとって有害なのではないか?
という予感がするのですが。

投稿: 南 | 2011年8月25日 (木) 09時04分

@南
> 人間の精神にとって有害
音楽は元々共同体の儀典だし、今共同体は空洞化してるから、有害といえる側面は大きいです。それについてはかつて「数の起源と音楽」に、しっかり書いたつもりです。

でも、音楽にかぎらず、どんな作品も、その意味や意義は、受け手の態度/姿勢次第であることも事実です。音楽史は、人間の思考や苦労の歴史でもありますからね。作者の霊に満足される、良い聞き手でありたいものです。そのための、脱構築も、一部行われていると思います。

投稿: iwatani | 2011年8月25日 (木) 14時42分

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