コミュニケーション教育!?!
「コミュニケーション教育」でググってみると分かるが、この語は今や(2〜3年前から?)国・文科省のアジェンダになっている。げほげほ、と思わず咳き込んでしまうが、お役所仕事や、日常の学校運営とその細部を、もっともっと人間的に、やさしくアジャイルに、コミュニケイティブにすることが、当のアジェンダにとっても、何億倍も重要な前提でっせ。
単なる技能(スキル)として、あるいは技術(テクニック)として捉えられたコミュニケーションは、もはやまったくコミュニケーションではない。
AppleのSteve Jobs氏がCEOの座を降りてから、まるで亡くなったときの追悼文のような頌辞が世の中に氾濫していた。
だがだが、SJ氏は単に、消費者マーケティングの達人であるにすぎない。そしておかしなことに、この業界には今日まで長年、氏のほかには、単なる技術屋や単なる機械屋のような、おっさん族…anotherオトコの光景…しかいなかったのだ(たとえば巨額で買ったPalmのモバイルOS技術をもてあまして放り投げたHPのCEOの、その顔のどーしょーもないおっさんぶりを見よ!)。なぜだろう? とにかく、だから、SJ氏だけが結果的に突出してしまうのだ。
マーケティングは一般的に、そして消費者マーケティングはとくに、コミュニケーションのアートである。そのアートにより、現代社会の、消費者と呼ばれるちっぽけでひ弱な精神どもを、くすぐり、喜ばせなければならない。SJ氏は、そのアートにおける、ほとんど天才的達人である。iPhone、iPadを持ち出さなくても、たとえば、あの初代iMacのデザインを見てみなさいよ。天才的消費者くすぐりアートですよ。
繰り返せば、なんでこれまで、この程度の、いや、この程度をしのぐ程度のマーケティングアーチストが、業界に、SJ氏以外、ゼロだったのか? それが不思議でならない。
でも、コミュニケーションには、相手を喜ばせる、いい気分にさせる、他者が後になって牙をむかないようにすることも非常に重要だから、SJ氏のマーケティング手法に学ぶことは、コミュニケーション教育の一環として有効だろう。そうやって自然という他者を、ほんとうにだいじにしていれば、今の地震・津波・準制御不能原発という三重苦は、ありえなかったはずだ。
でもね、私の立場は、パーソナルコンピューティングにおいて、そしてパーソナルネットワーキングにおいて、人間は消費者であってはならない!、なのだ。言い換えると、パーソナルコンピューティングとパーソナルネットワーキングにおいては、人間は、それがどんなに優秀なものであっても、単なる消費者マーケティングの対象であってはならない。
PCingとPNingにおいて人間は、すべからく、社会と自然において&社会と自然に対し、共和主義的自主的自発的コミュニケイティブな主体でなければならない。そのための製品化は、Linuxなどを出発点として、可能なはずなのだ。ヒトが消費者でもあることは、ウンチやオシッコすることが生理機能の一部であるように、ヒトの生活の低レベルの、「ごく一部」でなければならない。
今みたいに、(ほんとはひ弱なくせに)でかい面(つら)して大手をふって通りを歩く「主部」--消費者は王様!?!?…であってはならない。
ヒトの主部が消費者であるかぎり、真のコミュニケーション教育は不可能である。
コミュニケーションは消費行為ではなく、その前提となる正しい他者理解他者感受も含めて、ヒトの全身全霊による、たいへんな生産行為である。
…犬たち猫たちが、"ペット"〜"愛玩動物"と呼ばれる消費財(クソッ!)では絶対にないことと、パラレルに。 :)
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コメント
もう、人間がたんなる消費者であってはもたない状態に自然&社会は進みつつあります。
人類史をこれからも続けたいのであればコミュニケーション化は必須でしょう。
それは嫌な人・事とも行わなければならない定言命法です。
投稿: 南 | 2011年8月29日 (月) 11時28分
「自然という他者をだいじに・・・」に関連するかどうか分かりませんが、ここ2、3年ほど「ゲリラ豪雨」という言葉を耳にするたびまるっきり悪者扱いだなと。人の営為による気候変動が原因だとすればそんな呼びかたはできないのでは?そしてそれにつながる浸水被害。都市においては排水システムがおいつかなくなっている証拠でしょう、きっと。
人里に下りては人に命を立たれる熊やイノシシのニュースを見聞きすると、これまた彼らは悪者か?と憤ってしまいます。
投稿: Tsugami Toshiaki | 2011年9月 6日 (火) 06時02分
コミュユケーションは、先験的アプリオリに考えると、死んでしまいます。
投稿: bad | 2011年9月14日 (水) 22時05分