「読み方」による脱構築
これは、前回の記事へのコメントのレスとして書くべきものを、あえて独立させた記事である。
人類がこれまでのコミュニケーション不能からコミュニケーション有能へ進化して行くためのトップスリーの要件は:
1. 宗教という究極のエゴティズム(最大サイズまでインフレートしたエゴティズム)からの覚醒。
Imagine there's no religion. (J.Lennon)
2. トレード強迫からの覚醒。トレードの相対化、社会的地位の格下げ。参加してもしなくてもよいものに。
3. 社会的決定と実現の仕組み(古語: "政治")を、従来のヒエラルキー構造からネットワーキング構造に変える。
(対応迅速化とリアル化の実現。)
上の1に関しては、一般的伝統的に宗教書として遇されているディスクールを、「個人の言葉」として読み感取していくことが、即、その書の、宗教書としての脱構築となる。新約聖書…ラジカルな宗教改革家イエス(とのちに呼ばれた人)の言葉、正法眼蔵…道元という13世紀日本のユニークな秀才の個性が発した文、として。しかし…、いまだに何をどう読めばいいのか分からないのが、イスラム教だ!!!
また、「読む」という行為は、今では複数者によるネットワーキングな営為でありえる。
| 固定リンク
« 論理と実践 | トップページ | デジタルテレビの怪 »
コメント
読書による革命。読書という革命。
今の単なる暇つぶしの趣味ではない読書。
読むことによる参加・運動。
投稿: みなみ | 2011年7月 7日 (木) 08時57分