本当は人間だったショパン
これは、ヴァイスが描いたショパンの像だ:
(ドラクロアの絵に、いちばん、ショパンの“人間"が感じられると思う。)
私が勝手に「西洋クラシック音楽の脱構築者」と呼んでいるピアニスト、イリーナ・メジューエワは、ショパンの曲の演奏/録音も多いが、それらをいわゆる、ショパンのピアノの名曲としてではなく、上の絵や写真に見られる、本質的に悲しみを抱えた人間の表現として音化している。話を単純化するために一曲にしぼると、作品64-2の嬰ハ短調のワルツ、ディヌ・リパッティの1950年録音(Abbey Roadスタジオだ!)は、約3分の超美演快演だが、メジューエワはそれより30秒長くかけて、「名曲」を「人間の心の表現」へと脱構築している(ライブとスタジオ録音の両方)。一方、名演と言われるルービンシュタインのも3分30秒だが、こちらはただ単に、(老人っぽく?)遅くて長いだけ--きれいだけど退屈--だ。
個人的には、ショパンは長年、どーでもいい音楽家であり曲であるにすぎなかったが、Wikipediaの日本語記事によると、本人はロマン派と分類されることを拒否していたとか。メジューエワの演奏で初めて、まさしく当時のヨーロッパ史を体現している『人間』の一人であることを、理解できた。
そのころのポーランド史をここで持ち出してもしょうがないから、そう、長年、原発で--お金的に--潤ってきた東北の各地の方々、そのような「地域」は、本当に幸せでしたか? グローバルなトレード強迫の嵐に、体ごとさらわれてしまわないためには、「個(自己)」、次いで「地域」に、しっかり居直るしかないでしょう。エネルギー問題を単にエネルギー問題としてでなく、地域の自立(自律)性の問題としても、考える必要があるね、絶対。
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コメント
人類史は(驚いたことに)幸福を追求する方向へは進んでいなかった。
合理的で便利で楽であることをもって幸福であるとみなしていた。
「その流れに乗らないと」というのがトレード強迫ですよね。
投稿: 南 | 2011年6月14日 (火) 08時39分
音楽の話題が時々あると
嬉しくなります!
それも、音楽誌でも
読めない、また
更に飛翔する考察・・・
悲しみの果て という
フレーズが 浮かびました
クラシックはマレにしか
なので、続きは後に
simomitu
投稿: 下光博之 | 2011年6月16日 (木) 20時29分
遅くなりましたが
聴いてみました。
いきつけのお店に相談
して、入手したのは
DINU LIPATTI が
「ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル」
Irina Mejoueva が
「天使の夢~珠玉のピアノ小品集」
前者はキッチリした演奏
後者は大切に慈しんだ演奏
というのが第一印象です
こういう事したこと
あんまりないので、
面白かった。
で
好きだなぁ、と感じた
のは、断然メジューエワ。
表現とは奥深いですね
ありがとうございました
simomitu
投稿: 下光博之 | 2011年7月14日 (木) 06時29分