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2011年5月30日 (月)

nature-friendly technology(part4)

これはほかでも言ったし、私以外に言ってる人いっぱいいると思うが、電気カーは走るとき熱を出すだけでなく、炭素に関してはその排出を発電所に転移しているにすぎない。---原発がないとしても、だからnft(nature-friendly technology)ではない。むしろ、地球のほぼ全人口がマイカーを持ち・走らせ、また国際広域自動車道で(本来なら地域自給すべき)物資を商材として大量に運ぶ、という事態の到来を防ぐことが重要。

[参考記事]

nut(nature-unfriendly technology)のずば抜けて最大の推進要因が、一般的なトレード強迫である。発電〜電気の利用がnutになる最大の理由も、それだ。だからnftの開発と普及は、トレード非依存の徐々たる推進とパラレルでないと実現しない。だから、nftはものすごくラジカルでたいへんな課題だ。私がこんなマイナーなブログで細々と書いてればいいような、トピックではない。

鳥島のアホウドリ絶滅も、言うまでもなくトレード強迫の産物だ。どれだけググっても分からないのは、なぜ、再生産可能な、今で言う持続可能な(sustainable)産業にしなかったのか? なぜ、数十年後に絶滅OKの自滅型産業形態に時の政府等はゴーサインを出してしまったのか。情報をご存じのかたは、コメントで教えていただきたい。まあ、羽毛布団なんて、人の必需品ではないし、トレード商材としてのみ、価値を持ったのだが。

しかし今後のトレード強迫のグローバル化とグローバルレベルでの拡大(分かりやすいのが"全地球人口がマイカーを持つ"という比喩)では、絶滅するのはいくつかの動物植物ではすまない。人間も含む、あらゆる生物がやばくなる。だからトレード非依存化の徐々たる推進は(それがnftが可能になるベース)、マイナーな夢想でも妄想でもなく、明日の地球社会が絶対に必要とする課題なのである。

地域社会と地域生活のために働くのと、毎日々々トレード商材のために働くのでは、労働に天国と地獄ほどの違いがある。労働を幸福にするためにも、自然だけでなく人間にも過酷な、トレード強迫を、徐々に薄めていくべきなのだ。児童虐待も、おそらくもっとも多い深因は、低所得層の一部におけるトレード強迫(の全面的支配)だしなぁ。

多くの人が触れる、メディア、一般教育、国〜地方の政治方針、といったものの改革を通じて、ヒトのココロがトレード非依存の重要性に目覚めてこないとね。そのきっかけは、いつ、どんな形で起きるか? 人類は、間に合うか?

間に合ってほしい。たまたま生まれた、犬たち猫たちの幸せのためにも。

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新生児の子猫(5/30)

前回からの続き:

0530
体重645グラム(0523で495)。うっかり、朝食を食べさせたあとに計ったが、朝食の重さを引いても600は超えているだろう。6月上旬の初回予防接種時に検便もすべきだが、この育ちぶりなら虫に栄養を取られている気配はない。このまま行けば、10週で1キログラムという標準には達するだろう。

うちにある猫の遊具はどれも汚れていてきたないので、ケージの格子越しに私の指で遊んでやっている。ケージの格子がいわば、彼にとってのジャングルジムになる。かわいいだけでなく、性格もおだやかで、賢い。

わけもわからず生まれて、たまたま命が助かって、たまたま無事に成長している(本人の最初からの健康状態+その後の栄養状態が良かった)。が、この「たまたま性」の孤独は、この子猫だけでなく、我が身も同じであり、読者のみなさま個人々々においても同じだ。世界の万人がこの「自己というものの偶然的絶対孤独性」を自覚すれば、コミュニケーション社会の生成へ向けて、スタートできるのだ。そのためにはまず、あらゆるメディアとあらゆる教育が、もっと成熟する必要がある。(たとえば言葉に関しては、こんな認識や、こんな観点: (1)、(2)が普及する必要がある。)

倒すべき大きな古いものがあるのは、今のアラブ諸国やアジアの圧政国(等)ばかりではない。ヒトの、心の中もまた。

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0523
朝の体重測定、495グラム(前回5/16 370グラム)。これは最初の3週、毎日10グラム増えていたときの、5週終了時の予想体重470グラムを上回っている。

自分が食べたい量食べられる食事は、朝昼夜の3回で十分だ。朝夜はHills Kitten + 猫ミルク、昼は目先を変えるためにCaratの「子猫の離乳食」(ミルク味シリアルふう)をあげている。

さてそろそろ母体免疫もなくなるころなので、ワクチンの心配をしなければならない。

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0520
0517の段階で、午前中、ベッドにしっこウンチをしていたが、午後より、しっこはトイレにするようになった。

0518 朝、水の表面に口先をちょっと押しつけてやったら、水を認識して自力で飲むようになった。

0519 朝食後、トイレにしっこ&ウンチあり。夕食後も。しつけのようなことは、いっさい不要だった。

離乳食を自分の好きな量、食べるようになってから、体が次第にまるくなり、ずっしりと持ち重りのする体重になってきたようだ。

思えば4月18日午後3時は、私は捨てられた当人から20メートルぐらい離れた物置で作業をしていた。体重110グラムの生後間もない猫からとは思えない、強いするどい「ピーッ、ピーッ」という鳴き声が耳に届いた。かすかにヒーヒー鳴いていたぐらいでは、距離的に、だめだっただろう。蔦がびっしり茂った、その下に本人はうずくまっていた。だから、そこを通り過ぎた者にも、目視は無理。

あのときの音波を伝えた空気が、まさに、メディアというものの理想型である。今の愚かしい、complacentな非メディアは、真なるものを、何一つ伝えることができない。てめーら、くやしかったら、毎日虐待され、そのうち殺される、子どもの声でも、(まだ間に合ううちに)、伝えてみろ!、バカタレ。

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0517
昨日(0516)の朝の体重測定で370グラムしかない(前回0509で330)。0509まで1日10グラムの増だったのが5グラム強に落ちている。

もう、ミルクだけではだめだ。歯も生えている。

0516の2度目の授乳時間(午前8時)から、急遽、離乳食に切り換え。
(Hills Kitten--ヒルズ キトン--をふやかしてつぶしたものに、猫ミルクを混ぜ、どろどろにしたもの。)

最初から自力でよく食べるが、現状(0517)での問題は:
・水を水容器から飲めない(薄いミルクで水分補給の要あり)。
・トイレを使ってくれない…ベッドの中にしっこ&ウンチするので掃除洗濯がたいへん。
(ミルクだけのときよりは当然、ウンチもよくする。)

離乳食は腹持ちがよく、給餌間隔があいたぶんは、楽になったが、上記のように、ほかの「たいへん」が増えている。

4月18日保護(推定生後3日)だから、明日でまる1か月となる。

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0514
シリンジ交換。1週間に1本のペースだね。

このところ、歯茎の肉の、やがて牙の出るところが、盛り上がってきた。

段ボールベッド、二度目の大掃除。ペットシーツ、セーター(チョッキ)など交換。早朝3時半ごろ排泄を優先するようにしてからは、おしっこの痕跡は一つのみ。非常にきれいだった。

授乳は最初のころ3時間おきに1日6回していたが、今は4,8,12,16,20の5回。世話する人間がばてないことも、非常に重要である。

まあ、知識も技術も自信も確信もない者が、がんばりだけでやっていることなので、不安は常時ある。ネットから学んだことで重要なのは「授乳時の『縦』や『仰向け』姿勢は厳禁。母猫の乳房に吸い付いているときのような四つんばい姿勢を維持せよ」だろう。人工乳は便秘ぎみになりがちだが、だいたい3日に一度ぐらい大量にウンチするから、大丈夫。からだがミルクで汚れるが、シャンプーはまだ慎んでいる。ウェットティッシュで拭くのみ。

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0510
ネット上のある記事に「排泄促進に乾いたティッシュはいけない」と書いてあるので、先端をきれいなお湯で濡らしてから使うことにした。ティッシュがいいのは、それにおしっこがしみて、よく分かること。

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0509
体重330グラム

110…保護時(0418)
190…0426
255…0502

このぶんだと、日齢5週(6週目の頭)には、標準とされる500またはそれ近くに行きそうだ。
ヨタヨタ歩きが、ふつうの歩きに変わってきた。アンカとセーターのある段ボールベッドに比べて外は寒いのか、すこし震える。

とびきりかわいいが、写真はヘタなのと、Webに載せるまでかなりの手間と時間を食うので、省略させていただく。

しかしまあ、子猫をそこらに黙って捨てるなんてのも、今の人類の基盤的特性「コミュニケーション不能」の表れのひとつだから、このブログにふさわしいテーマとも言えるのである!!! :)
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2011年5月28日 (土)

nature-friendly technology(part3)

思考実験として、風、波、太陽熱などのエネルギーをすべて人間が電力源として使ってしまったらどうなるか。自然搾取と温室効果の両面攻撃で、壊滅的な気候気象状況が訪れるに決まっている。

したがって、原発は危険だが自然エネルギーの利用なら絶対安全、は誤謬説である。単なる自然エネルギーへの転向説は、これまたanother、欲猿のわしづかみであるにすぎない。

自然を人の欲が搾取するのではなく、自然によりよく生かされる方途を考えるべきであります。自然が喜び、笑み、健康になり、より豊かになり、人もその豊かさに包まれて安堵して生きられるような。

その発端は、資源(食、エネルギー、その他材料等)の、ローカル循環の実現だ。はるばる東京から福井まで、病原性大腸菌牛肉を運ぶなんて、なしにしたい。広域高速道路は、閑古鳥が鳴いたほうが良い。

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2011年5月23日 (月)

On the road

シャンソンの脱構築者ZAZが、古典シャンソンの名曲"Dans ma rue"をカバーしている。

その歌詞(一人称語り)は、少女がホームレスとなり、路上生活者となり、自分にできそうな唯一の職業==収入源として売春婦を選ぶが、客が一人も付かずに飢えと寒さで行き倒れとなる(死ぬ)、という完全に絶望的な内容である。

英訳するとOn the roadではなくOn my roadになると思うが、路上とは、家(旧共同体)ではない場所であり、それだけでなく(マルクス的な?)交通と、今日的な意味でのコミュニケーションの、チャネル(流路)である。

そこを居住の場とするに至ったこの歌の主人公は、しかし、生きられないのである。そのチャネルはまだ、人を生かしてくれない。

なぜ、ふつうの冠詞ではなくma(私の)なのか?、それは、死も含めて、路上はまさに、彼女の人生の場だからである。目の前にみじめな死しかなくても、「私の」と言える場は、家をはじめ何らかの旧共同体ではなく、この路上しかない。それが、今および将来の、コミュニケーション人種、ネットワーキング人種の覚悟だ。まだ、命の流れはとても貧しいが、私が生き、死ぬ場は、ここしかない。

非常にリアルで深刻であるという点で、それはケラワックの「路上」などをはるかに凌いでいるし、また、今、軽薄に持ち上げられようとしているインターネット上の普遍仮想貨幣の、(従来貨幣と同じ)冷酷なディスコミュニケーション性をも、あらかじめ完全に否定しているのである。しかし、本質的究極的には、ネットワークというメディアは、人を生かすチャネルとなりうる。そこでどんな貨幣が便利か、を模索するのではなく、ネットワークの上では、すなわち路上では、貨幣的トランザクションは(無意味によそよそしく)"不経済である"、という自覚と認識が--Linuxなど以外の一般分野に--広まる必要がある。

また従来の一方交通的メディアも、ネットワークから学んで、そろそろ真のメディアへと改革されるべきだ。あんたら、イノベーションのない年月が、もうあまりにも、長すぎたんじゃないの?

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2011年5月16日 (月)

震災報道(等)について

これまでの世の中では、メディアが真のメディアとして機能していない、ということは、何度も書いてきた。またまた、書いておこう。

テレビは、早朝4〜6時台のニュースや天気予報を見る(というより聞く)ぐらいだが、このところニュースの大半は震災関連だ。で、原子炉がどうなってるといった、技術的な説明が多いので、頭に来た。そんな専門的な話聞いて、どうなるの。

むしろ、助けを求めている人が(直接〜間接に)登場すべきでは。うちでは、今、たまたま無理だけど、犬や猫の引き取りまたは一時預かりをお願いするとか。いろんな問題が、リアルに登場すべき。「日本広告機構」の無意味な穴埋めCMなんか、やめて。

震災ではないが、子どもの虐待をやめさせるのも、テレビのダイレクトメッセージング的利用が、(ある程度)有効なのではないか。虐待は、悪い意味で孤立している若い核家族で発生している。そういう人たちの意識を、転換する助けを、メディアはやるべきではないか。

賛成な人は、こんな考えを広めてほしい。

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2011年5月 9日 (月)

新生児の子猫(5/17)

前回からの続き:

0517
昨日(0516)の朝の体重測定で370グラムしかない(前回0509で330)。0509まで1日10グラムの増だったのが5グラム強に落ちている。

もう、ミルクだけではだめだ。歯も生えている。

0516の2度目の授乳時間(午前8時)から、急遽、離乳食に切り換え。
(Hills Kitten--ヒルズ キトン--をふやかしてつぶしたものに、猫ミルクを混ぜ、どろどろにしたもの。)

最初から自力でよく食べるが、現状(0517)での問題は:
・水を水容器から飲めない(薄いミルクで水分補給の要あり)。
・トイレを使ってくれない…ベッドの中にしっこ&ウンチするので掃除洗濯がたいへん。
(ミルクだけのときよりは当然、ウンチもよくする。)

離乳食は腹持ちがよく、給餌間隔があいたぶんは、楽になったが、上記のように、ほかの「たいへん」が増えている。

4月18日保護(推定生後3日)だから、明日でまる1か月となる。

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0514
シリンジ交換。1週間に1本のペースだね。

このところ、歯茎の肉の、やがて牙の出るところが、盛り上がってきた。

段ボールベッド、二度目の大掃除。ペットシーツ、セーター(チョッキ)など交換。早朝3時半ごろ排泄を優先するようにしてからは、おしっこの痕跡は一つのみ。非常にきれいだった。

授乳は最初のころ3時間おきに1日6回していたが、今は4,8,12,16,20の5回。世話する人間がばてないことも、非常に重要である。

まあ、知識も技術も自信も確信もない者が、がんばりだけでやっていることなので、不安は常時ある。ネットから学んだことで重要なのは「授乳時の『縦』や『仰向け』姿勢は厳禁。母猫の乳房に吸い付いているときのような四つんばい姿勢を維持せよ」だろう。人工乳は便秘ぎみになりがちだが、だいたい3日に一度ぐらい大量にウンチするから、大丈夫。からだがミルクで汚れるが、シャンプーはまだ慎んでいる。ウェットティッシュで拭くのみ。

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0510
ネット上のある記事に「排泄促進に乾いたティッシュはいけない」と書いてあるので、先端をきれいなお湯で濡らしてから使うことにした。ティッシュがいいのは、それにおしっこがしみて、よく分かること。

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0509
体重330グラム

110…保護時(0418)
190…0426
255…0502

このぶんだと、日齢5週(6週目の頭)には、標準とされる500またはそれ近くに行きそうだ。
ヨタヨタ歩きが、ふつうの歩きに変わってきた。アンカとセーターのある段ボールベッドに比べて外は寒いのか、すこし震える。

とびきりかわいいが、写真はヘタなのと、Webに載せるまでかなりの手間と時間を食うので、省略させていただく。

しかしまあ、子猫をそこらに黙って捨てるなんてのも、今の人類の基盤的特性「コミュニケーション不能」の表れのひとつだから、このブログにふさわしいテーマとも言えるのである!!! :)
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2011年5月 8日 (日)

ユッケO111と福島第一原発ぶざまの共通点(update)

昔の焼き肉屋はどこも、個人経営〜家族経営の地域単独店舗ですよ。つまりおやじさん、またはおかみさんが、ベテランの肉の目利きです。また、仕入れるのは地元産の新鮮な肉や内臓だけだ。それに、ユッケやレバ刺しは、ない店が多かった。生の牛肉はうまくないものだから、上に生卵の黄身を乗せたり、複雑なタレでかきまぜたりするんだ。

今回の悲劇は:
・経営者が肉、あるいは食べ物屋全般に関してドシロート。
・現場もドシロートのマニュアル人種。
・素材を地元から仕入れてない。肉の目利きがいない。
(福井県の店がなんで東京の業者から!)

で、福島第一も、
・最初の時点で、地域、地域の自然、海、などに関する目利きがいない。
・地域に奉仕する地域サイズの発電所でない。
(東北にあるのになんで東京電力!)

いろんなことの大企業化→労働者のサラリーマン化→人間としての空洞化

この、社会の構造材が海綿状のもろい骨粗鬆症になってる恐怖の現状を、変えて行かなきゃだめだよ。一挙には無理だから、その間、いろんなところで惨事は起きそうだけど。

まあ、これから子どもを育てる人は、「濃い中身のあるユニークな個人」を育てるよう、がむばってほしい。大企業サラリーマンは、人生の選択肢から完全に外して。

アップデート: 毎日新聞の「記者の目」というコラムで、5月3日付け、福岡さんという記者が、すでに14年前に地震学者(石橋克彦神戸大名誉教授)が原発震災を警告する論文を発表していたが、現在の原子力安全委員長やら、東大教授やらに無視されていた(雑誌「世界」5月号)と書いている。私は、目利き人種は、地元の名もなき老人たちの中にもいたと思う。やはり、ボソッと何かを言って、まるっきり無視されていただろう。やはり、人間が馬鹿(モンキーグリップの猿)になる根本の原因は、トレード強迫(+オトコの光景)かなぁ。それを根絶せんと、ほんとに良い社会はいつまで経ってもでけんわ。(なお、新聞記事はリンク寿命が短いので、ここには置きません。)

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