« エジプトとインターネット遮断 | トップページ | 相撲と八百長 »

2011年2月 4日 (金)

自己論のスケッチ(1−4)

前回まで: (1−1), (1−2), (1−3)

自己というものは、唯一の宇宙的神秘/宇宙的孤独として「ある」ということよりも、コミュニケーションという課題に向けては、その神秘や孤独を自己がはっきりと自覚していることと、それがさらに、あらゆる他己に通ずる普遍性を有していることを推認していることが重要だ。言い換えると自己は、単に自己であることではなく、それが、普遍的真理としての自己意識を有していることがきわめて重要である。それが、コミュニケーションが起発する起点だからである。

「天上天下唯我独尊」は、シッダルタという特定人物の自己宣言ではなく、普遍的に、どの自己意識からも出てくる、自己意識の自己宣言である。全宇宙的孤独、全宇宙的神秘。これまでの人類のあらゆる知(科学、哲学、宗教、…)に、自己に関する、このかんじんの、基盤的共通認識が欠けている。だからそれらはすべて空しく、それらはすべて、人類のコミュニケーション有能への進化という課題に対して有害である。

自己が単に自己として「ある」(即自存在)だけでは、その孤独が自覚されず、したがって他者を他者としてではなく「他己」として見なす視点も生じないから、コミュニケーションは起発しないのである。トレードという地獄の沙汰は、他者とのあいだに生じ、他己とのあいだには生じない。自己とあらゆる他己は、コミュニケーション以前の初期状態として、…自己もまたひとつの他己として(Je suis autre.)…、それぞれ、荒野に屹立しているだけである。砂漠にばらばらに立つモアイ像のように。

|

« エジプトとインターネット遮断 | トップページ | 相撲と八百長 »

コメント

I found how we should use Money in this essay's link. It's fine for me to solve the secret of money a bit.

投稿: dukie | 2011年2月 5日 (土) 22時57分

@dukie
> secret of money
Money has no secrets whatsoever because it is simply a generic proxy for the godds traded and their values. If I give you something and ask other thing in return, that is the money, whatsoever it is. This post might help. The real problem should reside in our general coaction for the trade, not in the money which is a mere tool.

投稿: iwatani | 2011年2月 6日 (日) 11時09分

For sure, Money isn't secret, it's easy system. I wanted to say I had understood why I want money. I'm sorry not to explain it well.

The reason why I expressed as 'the secret'? Because I was surprised a bit at what you are saying . It's a first recognition as me.

so, what I got in your essay is, Money is good and bad. Therefore We must think about a system in order to make it good thing, I think. It's my conclusion.

I always thank for your reply!

投稿: | 2011年2月 6日 (日) 13時07分

先日、"辺野古不合意"というビデオを見ました。辺野古の基地建設に反対するテント監視運動をしていた方が、仕事が終わったあと、コツコツと作ったものです。

内容のメインは、インタビューと資料分析です。そこで分かってきたことは、補助金がどのように使われているかということです。基地問題というのは、安全保障の問題ではなく、国から自治体に入る、補助金や、基地使用料にあるのではないかという、検証するに値する仮説(?)が見えてきます。

インタビューで、基地建設に反対をしている名護市長は、米軍との間に取り交わした、グアムキャンプへの移設の膨大な資料の内容を確認し、それからすれば辺野古の基地は必要ないと結論づけています。

また基地推進派として市長をしていた方が、基地反対の活動を人々がそれこそ毎日していてそこで子供が、基地は必要ないというスピーチをしているところも聞いたりしていて、そういった思いに打たれて、基地反対の立場を今はとっているというインタビューもありました。

なぜ基地が、作られなければならないのかという製作者の問いに対する答えの検証が行われ、そこに巻き込まれている人々の生活と気持ちが伝わるビデオでした。

投稿: hiroaki.hayashi | 2011年2月 6日 (日) 22時36分

自分と言うものは少なくとも二人いる。
生きている自分と生かされている自分と。

自分は他人だなぁという感慨は日常的な実感だと思う。

投稿: 南 | 2011年2月 7日 (月) 08時14分

誰でもいいのだという、濁った、腐った、幼稚な、放漫さに代えて、くっきりとした輪郭をもった、強く輝く、自己と多己との、物語が、始まればいい。

投稿: 最期の奴隷 | 2011年2月 9日 (水) 15時58分

多己→他己 多己じゃあ、誰でもいい、になってしまいますねー。

投稿: 最期の奴隷 | 2011年2月 9日 (水) 16時00分

おっ
盛り上がってますね
それじゃ私も
自律的である
に続き
「自己」は、眠らない
はどうでしょう?
理由は
眠った時だろうが、
気絶だろうが、
「僕は八時間寝た」的な
ことが分かるから。
もし自意識と同一システムなら、わからない筈。
神秘ですネ
パソコンも電池がイキテイル間は電源切ってても
また使う時、ちゃんと今
です。
やはり別システムなのでは?
ちなみに、私のパソコン
古いので、今は、電源を
切ったら、そのまんま。
再起動したら、切った時
の時間からスタートです
自己が無い

不気味といわれたら
そう、腹時計が近い
のでは?

simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年2月12日 (土) 20時17分

 物理学で見方によって、電子や光子が、粒子であったり波動であったりすることが、人と人の関係にも、あるいは見方にも、同じ事が言えるのじゃないだろうか。

投稿: bad | 2011年3月 3日 (木) 23時59分

また一つ
自己について言える事を
見付けました!
自己は、透明である。
これが分からないから
混乱するのでしょう
ウッカリすると、
自分は自分だ、と
思ってしまいますから。
詳しくは、
rockin'onJAPAN 4月号
P.286 激刊!山崎 を
参照のこと
いやぁ、探せば見えて
来ますね。もう三項目
みんなも提案してね!

simomitu

投稿: 下光博之 | 2011年3月 7日 (月) 18時48分

自己と他己は、絶対にわかり合えない。分かり合えたような気がするだけ。どっちもマルチに神秘だから。だから面白い。偶然分かり合えたような瞬間があるから、面白い。そこにも、コミュニケーションの楽しさがある。できるだけわかり合えたような、時間が長続きするのを願うだけである。また、互いへのわかり合えたような気持ちが、崩れたとしても大したことはない。もともと、わかり会えては、いなかったのだから。また、いつかの機会にわかり合えるような、チャンスを期待するのみである。そのために、できるだけ自己をくっきり・すっきりと磨いていよう。
過去にとらわれず、他己とのふれあいに身を任せるのみである。
You be you,
I be I.
So let's get together.
And We'll agree
That's my philosophy.
(Jimmy Cliff)

投稿: Ohiya | 2014年5月14日 (水) 20時40分

「わかり合う」を、「フィーリングが合う」にしたほうが、ニュアンス的にあっているように思えた。自分は書いたあと、必ず添削したくなる。”あとから来襲する他者”ってか。すみません。

投稿: Ohiya | 2014年5月14日 (水) 21時06分

いや、謝らなくてもいいのですよ。
自己と他己とは、いつも、わかり合うようにしていくのが社会というものです。
勿論、各々の背後には、自我と他我がうごめいているでしょうが、、、

投稿: | 2014年5月16日 (金) 04時25分

自己と他己とは、「わかり合えない・気が合わない」のを大前提に接するというのは、どうでしょう。だから、コミュニケイトする必要や意義がある。生活のために、楽しみのために。そこでうまくいけば、「ラッキー」と喜ぼう。「いつも分かり合える」というのは、至難というか無理じゃないかしらん。そして、分かり合えないからといっておおごとにならない(関係がヤバくならない)、クールな認識を持っていること。
そして死ぬときには、いろんなこの世の思い出を胸に、またあの世(大宇宙)に、一人還って行くのである。(そしてまた、来世に生み落とされるのを待つのである。)
こんなのは、どうでしょうか。

投稿: Ohiya | 2014年5月17日 (土) 06時09分

また、他者が来た。「来世に(別の星に)生み落とされるのを待つのである。」に変更してください。

投稿: Ohiya | 2014年5月17日 (土) 06時23分

ヒンドゥでは、来世を辟易する気風があるらしいようですが、わたしもです。
別の星の下に産まれたくはありませんねぇ、、、

投稿: | | 2014年5月17日 (土) 08時09分

12月に入ってほとんど休みが取れていない状態。

「天上天下唯我独尊」(あらゆる宇宙において、私とは唯一人であり、それゆえに尊いもの。)
1年近くこのブログのお世話になって、最大の収穫はこれかなぁ、と。自己の尊厳。自己の神秘。これにまったく無意識に生きていた自分でした。「自分とは、ありがたいものなんだなー」と思えたことに感謝です。そして、自分というものが貴重なら全く同等に他者というのも、貴重・尊厳・神秘に包まれているものなんだと。
それを恣意的に、トレードや愛欲の対象にすることの愚かさ・無意味性に気付けたのが大きな収穫だったな、と思えました。 谢谢。

投稿: ohiya | 2014年12月21日 (日) 04時13分

ohiya リタイヤ? ご機嫌よぉ、さよぉなら

「」は、音(おん)では、唯我(ゆいが)ですが、
訓読みすれば、「天の上、天の下、唯(ただ)我(われ)独(ひと)り尊(とぉと)し」です。

で、ohiya の前の投稿に連関させて問題にしてみたいのが、
「我」です。

日本語では、「わ」だけで一人称的ニュアンスがある様です。「わぃ」「わし」「わが」「われ」、、、しかし、「わが」「われ」などは、二人称的ニュアンスのある一人称、もしくは、一人称的ニュアンスの二人称であるかの様です。
これに対して、前述の「が」我は、欧語の ego のニュアンスが包含されるようになってきてます。

投稿: temzin | 2014年12月21日 (日) 06時39分

付け足しですが、一人称的音に「お」がありました。

「おぃ」「おぃら」「おいどん」、

「おれ」、、、「おのれ」?

投稿: temzin | 2014年12月22日 (月) 09時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/140652/50771701

この記事へのトラックバック一覧です: 自己論のスケッチ(1−4):

« エジプトとインターネット遮断 | トップページ | 相撲と八百長 »