正しい自然観
(まだ存在していない、これから存在するであろう)コミュニケーション学からの数学批判は、数が神的超越客観的絶対的実体ではなく人間が作り出している特定の恣意的な概念であり、その概念の定義中に数の本質のすべてがある、という認識をベースとする。
数よ、自己反省して己(おのれ)を語れ。そして、神殿から(おのれ本来の)ヒトの地平へ下りよ。
三角形の内角の和は"二直角ではないかもしれない"ではない。三角形という人間が定義した概念のその定義の中に、その性質は最初からすべて含まれているのだ。なにも、驚くにも疑うにもあたらない。
太陽が膨満して地球を飲み込むからほかの星に逃げる、ではない。太陽(ここでは一般化してUTN(Universe as The Nature)と呼ぼう)、われわれは太陽の、いやUTNの一部、構成要素の一つにすぎない。われわれの運命は、UTNの運命の内包であるにすぎない。太陽の膨満すらも、私の==UTNの現象の一部として、肯定し、愛でるべきなのである。
それが、このような、存在の正しい認識が、人間がコミュニケーション有能へ進化するための重要なカギだ。
矮小な視野狭窄的(獣的、共同体的)欲…外部性疎外、他者疎外==自己疎外…が、人間をコミュニケーション不能にとどめている。
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