いじめはなぜ起きるか
伝統のローカルコミュニティは、他者排撃が自己保持の契機である。単純化して言えば、戦争や差別が彼らの生き甲斐だ。
さて、地域共同体空洞化の今日においても、血の中に伝統ローカルコミュニティ性を色濃く持っている者たちは、似たもの同士数人つるんで仮想共同体を作り、その自己保持のために、「排撃すべき他者」をでっちあげなければならない。
でっちあげられた排撃すべき他者が、いじめられっ子である。(彼らにとってやっつけやすい者==弱い人が選ばれる。)
それは、共同体の血のなせるワザである。いまどき、共同体性の血の濃いやつらは、ほぼ例外なく、ばかである。ばかをばかとして拒否/無視できない弱い人が、自殺に走ったりする。
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コメント
しかし、殺人的暴力に長期にわたって受け、しかも教師がばかであったりするともしかして、自殺したりするかもよ。
投稿: bad | 2010年12月12日 (日) 23時02分
自分(生粋のいじめられっ子)が雀でなくて良かったなぁ、と思うことが最近ありました。
白い(アルビノ)の雀はいじめの標的になるので成鳥化することはまれだそうです。
殺されるよりはましだよなぁ。
投稿: 南 | 2010年12月13日 (月) 11時05分
今回と前回を読んで
想起した事を書きます
まず文章では
SIGHT vol.30 の
高橋源一朗さんの
「地獄へ道連れ」
元気が出ます。
それと、宮元啓一さんの
「仏教の倫理思想」
犀の角のように
ただ独り歩め。
格好良い!
どこで聞いたか失念
したけれど、
いじめがあったら
理由を問わず
いじめた方が悪い
だから叱る と
就任の挨拶で宣言した
小学校校長先生も
いらっしゃいました。
ロック界には
元いじめられっこは
多いですよね
ではお前はどう
考えているのかと
問われそう
私も dig するのを
すすめるけど
こればかりはすすめられ
ても・・・ の側面は
ありそうだし。
インターネットの
エピソード
良かった、です!
ああいう事例が
当たり前になるように
を目指しましょう。
なんかまとまんない。
世界の終わり
を聴いて、寝よう
simomitu
投稿: 下光博之 | 2010年12月14日 (火) 00時52分
子供のころ、在日韓国人を侮蔑したはやし言葉があった。あれは親の意識がいじめる側の子供に反映していたんだと思う。
子供には意味のわからない言葉でも相手が排除され押し込められるような効果のあることはよくわかった。
一人が口火を切ると、いじめられることを恐れ、自分が"韓国人でない"ということにすがった。
(似たもの同士がつるむといえば、今の大学新卒の就職活動、早々とデータを集めたり、面接のトレーニングをしたり(受験勉強みたいに)、ひどく画一的に見える。中小企業や零細企業への就職ではダメなの?)
投稿: y_saito | 2010年12月15日 (水) 23時26分
いじめには構造的ないじめというのもあると思います。
子供の頃赤い傘を持っていったら、「女、女。」とはやし立てられ、それ以来僕は、赤い傘は持っていかないようになりました。
子供のいじめは、構造的いじめと少し違うという例で上の例を書いたのですが、この例も構造的いじめの影響を受けいるのかもしれません。
政治的に、その政策として、いじめの構造を作ることで、成り立たせる社会
というのがあるように思われます。
弱者冷遇の社会とでも言えるのでしょうか。
それに代わる新しい社会のイメージがあるといいと思っています。
投稿: 林 広明 | 2010年12月18日 (土) 13時10分