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2010年11月 1日 (月)

自己論のスケッチ(1-2)

「自己」は、過去何千年、何万年、もしくは何十万年、共同体性の中に埋没している。もちろん、即自的に"ある"という意味では、何万年前でも、また、ヒトという哺乳類動物にかぎらず、どんなイキモノでも、その「自己」はあるわけだけど、その長い時代、ヒトのそれは自己として自覚されていない。それは埋没し、眠っている。

さて現代という時代は、トレード(~貨幣経済)のグローバル化(それに伴うコミュニケーション文化のグローバル標準化)により、ヒトを長年支えてきた共同体が崩壊~無力化しつつつあるという、人類未曾有の時代だ。

児童虐待はこの無力化の犠牲の、顕著な例である。イスラム原理主義テロリズムは、共同体とその伝統的ローカル権力の、最後の病的な悪あがきだ。依拠する旧共同体の崩壊無力化とともに、「自己」は初めて顕在化してくる。

これまで何万年、画像はくっきり刻まれていたフィルムや印画紙が、初めて現像~定着液に浸されたときのように、ヒトは今、顕在する自己になりつつある。

しかしながら、「自己」、この、宇宙の唯一最大の神秘を、まさに自己のもの、ひいては多くの個々の他己のもの(I & I & I & I ...)として自覚していない自己が、まだ圧倒的に多いと思われる。

それは、素っ裸で野に放たれた孤独な獣だ。生理的<必要>と、不安をベースとする<欲望>だけが、孤独な獣としての自己の生の動因となる。犯罪と自殺だけが純粋に自己的な行為ではない。受験競争などから始まる、多くの、『人生の功利主義』もまた。

その未開発の自己は、旧共同体の動機~行動パターンをそのまま導入する。トレード~貨幣経済(そして戦争)という、旧共同体のパターン。婚姻~結婚制度という旧共同体の”意義ある”パターン。それらを、それらがまったく似合わぬ、良くそれらがその生を支えるものではない「自己」が、ほかにまだ何もないので、生の中心に導入してしまう。「自己」が(全宇宙的に孤独な)「自己」であることの自覚~自己意識の欠如は、「自己」にふさわしい新しい良い生き方を生み出さない。

だが、ささやかながら芽生えはある、婚姻制度の破壊に関してはたとえばポリアモリーが、財のトレード~貨幣トランザクションによらぬ生産と流通に関してはたとえばLinuxオペレーティングシステムが。

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コメント

人間はいったんバラバラの悲惨な状態に置かれるのでしょう。

極力早期にその状態を克服せねばならないのは言うまでもありません。

全く違うパラダイム。数千年の人類史の脱構築。

でも、一瞬にして起りそうな気もします。

投稿: 南 | 2010年11月 2日 (火) 10時58分

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