ビートルズ晩年の成長
ビートルズのアルバムは比較的少ない:
* Please Please Me (1963)
* With The Beatles (1963)
* A Hard Day's Night (1964)
* Beatles for Sale (1964)
* Help! (1965)
* Rubber Soul (1965)
* Revolver (1966)
* Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1967) -- June
* Magical Mystery Tour (1967) -- Nov.(US), Dec.(UK ... EP)
* The Beatles (aka White Album) (1968)
* Yellow Submarine (1969)
* Abbey Road (1969)
* Let It Be (1970)
この内、作品(表現)としてのピークは、Sgt. Pepper'sとMMTの"兄弟"だ。このあたりの、片足が異次元に踏み込んでしまってるようなビートルズを、作品の質と互角に論じ(語り)きった語り部書き部は、この私も含め、まだ一人も存在しないのである。また、これまでの"時代"が、そんなことにふさわしい時代ではなかった。ただただ薄っぺらでアホっぽく騒々しくて。しかしこれからはどうか…。
しかし今回書こうと思ったのは、White Album以降、Abbey ..., Let IT ...,と続く3枚(or 4枚)における、表現の大変貌だ。それらは、もはや作品というものではなく、オーディエンスに対する直接的なコミュニケーションになっている。すなわち彼ら自身で、ステージの終焉という、人類社会の新しい存在フェーズを、その準備を、開始してるかのようなのだ。
Yellow Submarineは少々特殊なので、無視。
この件もまた、しっかり捉えてしっかり伝えた語り部書き部は、まだ一人も存在しないのである。この私の記事が、その第一歩だが、一般社会的にはこれからどうなるか…。
--本稿未完--
[この記事の続編]
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コメント
ごく一般的な普通のバンドとしてのビートルズのピークは『ラバーソウル』です。
それ以降の彼らは表現・作品ではなくそれをはみ出す何かを作っていた。
ジョンは意識的に。ポールは天性の勘的に。
投稿: 南 | 2010年7月20日 (火) 09時17分
> ごく一般的な普通のバンドとしてのビートルズ
こういう言葉は、珍しいよね。初めて見た。
単純にアーチストの生涯として見れば、ラバーソウルやリボルバーは、登山にたとえると8合目ぐらい。あるいは、ここらで「何かが始まっている」とも言える。その「何か」が満開に花咲いて実るのが、ペッパーズやマジカルだと感じる。でも、その新世界も、袋小路だった。そこで最後に、直(ちょく)に、目の前の人間としてのオーディエンスに語りかける。しかしそこには、至近の悲劇の予感がある。なぜならビートルズ自体、このあたりですでにバラバラだ。
投稿: iwatani | 2010年7月21日 (水) 07時46分
ロック音楽って、乱暴に単純化すると、60 代半ばに始まり、70 年代半ばに熱病のような絶頂期を迎え、80 年代(前半?)で終息した世界的な文化芸術活動(?)ではなかったかと思うんですね。
そのピーク時(60年代末〜70年代末)の10年間に作成されたロックの作品群の中には、今じゃ陳腐化したものも沢山あるけど、発表当時はあまりにも先鋭的かつ enigmatic でありすぎたために、未だに正当な解釈・評価が行われていないものも幾つかあって、例えば ビートルズの Strawberry fields foreverとか Bowie の Diamond Dogs の歌詞群とかはその典型のような気がするわけです。
で、そのような不遇な作品を再発見し、きちんと解釈・翻訳し直して再評価することには少しだけ興味があるので、ちょっと前から気が向いたときに細々と、Bowie や Roxy usic をはじめ、Beatles、Stones、Dylan、Lou Reed、Joni Mitchell、Zeppelin、King Crimson、Roxy、10cc、ELP、Who、Pink loyd とかの歌詞の読み直しを行っています。興味のある方はこちらをどうぞ。
まぁでも、これはほんの遊びであって、将来的には、真剣かつ誠実な対話が生成される翻訳やプログラミングに関するサイトを運営したいものです。教祖様が下されるご信託に対していちいち追従的なコメントが並ぶブログにはもういいかげんうんざりしている人、誰か一緒にやりませんか?
投稿: kawabata | 2010年7月21日 (水) 10時57分
ビートルズは
どんどん高まって行った
印象
carry that weight
と
言われた時から
頑張るっきゃないんだ
と思いました
何がいいんだか分からない
けど
自分の中で鳴りやまない
それはつまり
いいものでしょう?
しもみつ
投稿: 下光博之 | 2010年7月21日 (水) 13時02分
@kawabata
> 興味のある方はこちらをどうぞ。
これはひどい。
kawabataさんの最大の特徴は、他者の心、表現意図を、正しくくみ取れないことかな。だから訳詞も、薄っぺらな、単なる<言葉の小手先細工>で、「心」がまったくない。
ボウイファンの元女の子なんかに、読んでもらったことあるの? なぐられると思うよ。
まあ、ほかのコメントでの、ぼくのコンピュータ記事へのまったく無理解な感想にも現れているけど、あなたは他者の表現意図、ねらい、理念など、どーでもいいんだね。自分の舌の表面的な感覚で、「うまい」「まずい」を判断するだけの、まあ、一種の動物だね。
そういう、ちょっとまずい人生を、歩んできた人なのかな。
投稿: iwatani | 2010年7月22日 (木) 07時50分
@下光
> carry that weight
アルバムAbbey Roadの最後のいくつかのメッセージは、不変/普遍の価値があるとぼくも思います。
And, in the end, the love that you take is equal to the love you make.
など。
まるでビートルズの臨終の床のメッセージみたい。アルバムLet It Beは、レコード会社との契約で無理やり作ったような、“雑作”ですね。
投稿: iwatani | 2010年7月22日 (木) 08時24分
> 訳詞も、薄っぺらな、単なる<言葉の小手先細工>で、「心」がまったくない。
> まあ、一種の動物だね。そういう、ちょっとまずい人生を、歩んできた人なのかな。
うわ、えらい言われようやな...、と思った反面、痛いところを突かれた、と感じたのも確かです。この批判を真摯に受け止め、今後の自分の活動に役立てることにします。
なお、今回の私の一連のコメント、傲慢さゆえの売名行為と取られても仕方がないのですが、この恐れを知らぬ勇敢(bold & fresh ?)な「捨て身」のコメントを引き金として、これまでROMってた人達が勇気を奮ってどしどしコメントを付けてくれるのではと、ひそかに、しかし大いに期待していました。ところが、今のところ、これに敏感に反応してくれたのは「最後の奴隷」さんお一人のみで、期待したような効果は出ていないようです。
しかしですね、我思うに、モノ書きとして何十年ものキャリアをお持ちで、しかも多くの著書や訳書がおありの偉大な思想家のブログのコメント欄が、常に2〜3名の常連さんのコメントで細々と占められているだけというのは、非常に寂しい、てゆうか、ものすごく異様で悲惨な状態なのではないだろうか。これをそのまま放置しておいて良いのだろうか。
大きなお世話でしょうが、本ブログのコメント欄が盛り上がらない理由を私なりにいくつか考えてみました。
(1) 多くの人は、自分が敬愛する大先生のブログの神聖なるコメント欄を汚すことなど恐れ多くてできないと考えているから
(2) 多くの人は、毀誉褒貶が多く癇癪持ちの大先生のブログに下手にコメントすると、その後が面倒なことになりそうで嫌だ(すなわち「触らぬ神に祟りなし」)と考えているから
(3) その他
我思うに、正解は (2) なのではないか。
投稿: kawabata | 2010年7月24日 (土) 10時00分
本人の母屋で、本人をネタにして、ああだのこうだの言っていてもなんだか不気味で異常なので、もうちょっと生産的な話につなげたいものです。
> 今のところ、これに敏感に反応してくれたのは「最後の奴隷」さんお一人のみで、期待したような効果は出ていないようです。
私自身、たまにHPの方はチェックを入れていたのですが、ブログに気付かず、今回初めて目を通しました。読んで何もコメントしないのは失礼だというような、いかにも岩谷さんらしいことが書いてあったので、さっそくコメントを入れてみた次第です。
お互いに、コミュニケーションに向かう。そして、そのような、互いの姿勢を“応援”する。こうした姿勢があれば、コミュニケーションは継続されるはずです。
※岩谷氏の文章を読むことによる苦しさというのがあります。読んだとして、その後、しゃべる相手がいないという部分も大きい。岩谷さんの文章中枢は、若い頃から、ロックの歌詞、フレーズといった、源泉エキスのようなもので構成されてきているのですから、情動の構造が複雑で、強度が深いわけです。要するに、ふつうの文章とちょっと違う。そのような特徴を、私は、思想ではなく、アフォリズムと表現しました。いろんなフックが仕掛けられているのですが、そのフックが対話に向けて有効に作動しないと、ある種の息苦しさをもたらします。岩谷氏の文章に慣れていない人たちが、そうしたフックのひっかかり感を、ある種独特の“面倒臭さ”として感じ、結果、「岩谷宏さんの文章は読みにくい」と印象づけてしまうような場合があるのかもしれません。そのことも含めて、ひとまず、語る、ということが必要だと思います。このたび、このような場が設けられていることを知り、これならば、より積極的に、岩谷宏の論評を読み込んでいけるだろうと考えました。岩谷さん自身に、時間的な余裕ができてきたのだと判断しています。当方、プログラムは詳しくなく、ペンギンマークのOSも使わなくなってしまっていますが、ひとまずよろしくお願いします。
投稿: 最期の奴隷 | 2010年7月25日 (日) 12時12分
私は1963年生まれで、ROを読んでいた当時、何人かの同じ歳の高校生が、投稿していました。ツェッペリンのロックンロールの爽快感も素晴らしいのですが、ロックの思想的な側面にも関心が向きました。ビートルズの神話があり、そして、ジョン・レノンの死がありました。今はYouTubeなどもあり、情報が豊富です。ジョン・レノンという男の記録を見るにつけ、感嘆するのは、ある種の、肝っ玉の太さである。他、強力なロックミュージシャンと並んでも、ひけをとらないどころか、いよいよ、ジョンの、肝っ玉の太さが際だっている・・・ブログを立ち上げてみました。http://hahaki.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-65c7.html
投稿: 最期の奴隷 | 2010年7月25日 (日) 13時37分
@kawabata
>(3) その他
これでしょう。理由はとてもシンプルだと思いますよ。恥をかきたくない。あほな書きこみはしたくない。あえて書きこむ程の勇気もなく、書きこむ意味もないと判断して。
ああそういえば、前に調子こいてハイレベルの書き込みをなんて煽ったんだよなあ。謝ります。
ハイレベルなどと言って、意識の自由度を狭めてしまうなんて、なんて過ちを・・とほほ。くだらないところから案外面白い発想が生まれるかもしれないし、気にすることは無いと思うけどな。最低レベルでくだらない書きこみは得意なんですけど。
投稿: ootora | 2010年7月27日 (火) 01時11分
ootora>理由はとてもシンプルだと思いますよ。恥をかきたくない。あほな書きこみはしたくない。あえて書きこむ程の勇気もなく、書きこむ意味もないと判断して。
おう、「恥をかきたくない」。シンプルな正解がここにあった。オトコは人前で恥をかくことを極度に嫌う、他人からバカにされることを非常に恐れる、オトコの面目を保つために自己のエネルギーの大半を使う、そんな悲しい生き物、っていう歌がなかったっけ?
投稿: kawabata | 2010年7月27日 (火) 05時46分
>kawabata
面白そうな曲ですね。でも、わからない。音楽は聞くだけで、ほとんど詩も訳詞も読んだ記憶あまりないから。岩谷さんのbowieやらはまあ、なんとなく、かな。ここでビートルズやジョンの話聞いてると、ちょっと詩も読んでみたい気になってます。ついでに言うと、ジョンは一個人の表現をしようとして、偶像と化しやられてしまった印象があるけど、人間の一個人の表現(音楽意外なら普通?)をしようとしたことは認識するべきなのかな、とここを読んでいて思ったところです。
投稿: ootora | 2010年7月27日 (火) 13時09分
ちょっと思いついたので、またノートさせてもらいまっす。Strawberry fieldsですけど、なぜあんなに厭世的になったりしどろもどろ的な歌詞になったのか。それは、半年程前の「ビートルズはキリストよりも有名(?)だ。」発言に端を発するんじゃないでしょうか。あの発言を謝罪する羽目に落ち入ったジョンだが、その映像に映った彼は痛々しいほど焦燥感に煽られています。つまり、ビビっているのだ。これが、ジョンにしたら最初の大チョンボ、大きなトラウマになったのではなかろうか。絶対やりたくないことを、無理やりビートルズであるがために(K.K.Kやレコード焼き捨ても関係して)やらされた、屈辱や恐怖は大きかったのだと思います。
私には、ジョンという男は本当に才能豊かで、かわいそうな子供(アダルトチルドレン)に見えます。合掌。
投稿: ohiya | 2015年4月 9日 (木) 04時50分