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2010年6月14日 (月)

何千年何万年ずうーっと虐待・放置・忘却されていた「他者」

なんか、最近、ついに、「いちばんかんじんなこと」、「これを欠いてちゃそもそもの話が成り立たないというもの」に気づいた気がする。

『現代思想』という言葉の意味を、ここでは、近過去〜今〜近未来に生きている人の生き方や考え方を支配〜制御している思想、としよう。なお、便宜上ここでは、物理的にテキストがあるものや、それらのテキストの原著者やオリジネータを取り上げるが、テキストも著者もオリジネータも存在しない(または不明な)、共同体的伝承や慣わしのようなものも、現代思想として強い力を持っている。

…テキストのあるものと、ないもの、この2者を区別して考えるのは面倒なので、ここでは、後者には<ゼロのテキスト>がある、ということにして、全体を『現代思想』として一本化してしまおう。

またもちろん、キリスト教やイスラム教など、メジャーな宗教の教説やテキストも、多くの人の生き方を根底で支えているかぎり、そのぶんは、りっぱに現代思想である。

で、それらの、現代思想の教説というかテキストに全共通しているのは:

他者概念が明確にない

ということなのだ。

他者概念がない以上、当然ながら、コミュニケーションという問題意識もない。

まあなんでもいいが、たとえば学生時代にカント、ヘーゲルを熱心に読んだ人、ジャン・ジャック・ルソーを熱心に読んだ人、アダム・スミスを、マルクスを、キリスト教の福音書を、あるいは何らかの<ゼロのテキスト>を、等々、任意の、現代思想のテキストを思い出してみていただきたい。

全共通して、他者は欠落している。それらのテキスト中の、プライマリ(第一等の、もっとも重い)な概念中に、他者はない。

そこで、他者は、思想における、完全な処女地、完全に未開の大陸である。

この、つねにもっとも身近にいたものが!。

というわけで、真のコミュニケーション学/コミュニケーション理論が、その生成と共有にむけて一歩を踏み出しうるためには、この、何千年何万年と放置されてきた『他者忘却』を、抜本的に、なんとかせにゃあかんのである。

--本稿未完--
p.s. 以前は、日本の田舎の人の心や脳には、他者という概念--他者の尊厳--がしっかり確立していないなぁ、と感じていたが、よーく考えると、日本の田舎の人どころのローカルな話では全然ないのであった!。

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コメント

どう何とかしましょうか?

現時点で「他者」という言葉を脳内に浮かべたことすらないという人々が大多数でしょう。

正直言って私のアタマの真ん中にもそれはありません。

直感的にピンとは来ません。恥ずかしながら告白します。

投稿: 南 | 2010年6月15日 (火) 15時35分

> 言葉を脳内に浮かべたことすら
それは言葉では全然なくて、要するに日常、他者を尊厳なる他己(べつの自己)としてしっかり認識しているか、ということです。

投稿: iwatani | 2010年6月23日 (水) 19時42分

他者は外部としての他者なわけです。しかし、外部を外部とみなした時に、それは即座に内部に取り込まれてしまいます。そのような意味では、内部/外部の境界性を、境界性そのものとして、認識する方法、あるいは言語があるのか、という問題になってくると思います。「血したたる傷口のふさがることもなく」の歌詞がありましたが、内部外部の境界性を理性的に把握できないという状態そのものが、人間の宿命だという話を聞いたことがあります。

投稿: 最期の奴隷 | 2010年7月19日 (月) 16時32分

> 内部外部の境界性を理性的に把握できないという状態そのものが、人間の宿命だ
イナカモンの宿命、でしょうな。このコメントで描写されているのは、まさに、そういうメンタリティ。

投稿: iwatani | 2010年7月21日 (水) 07時50分

どんどん書いてみよう。すべてのコメント欄が せい
じon~になるのもおもしかろう。(長続きしないだ
ろうが)
他者に気づくとは、日常語に変えれば「人の
身になって考える。」ちゅうことでしょう。
それをそれだけで使っては、単なる標識みた
いになってしまい新たな深い意味に、届かな
いので、他者、他者性という難しい言葉を使っ
ているのだと思う。それは良いことであります
が、私はこれを日常の言葉にしてみるのも、
新しい読者のためになるのではと思います。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月16日 (日) 12時18分

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