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2010年5月31日 (月)

自立更生促進センター

各地の「自立更生促進センター」が、住民の反対運動で頓挫しているようだ。

これは、どっかの人里離れた山の中ではなく、ぜったいに、社会のまっただ中に作るべき施設なので、反対運動は困るわけなのだ。プログラムの中に、地域住民との定常的交流も、絶対的に必要である。

日本人の多くが、「真の防犯」とは何かをわきまえていないし、それどころか、犯罪者を作り出すようなfremdな社会構造を、今回もまた、懲りずに無反省に再生産しているわけだ。犯罪者を作り出す重症な慢性的メタ犯罪者たちとは、あんたたちのことだ、あまりにも、ココロ矮小なる日本人たちよ。

ただし、政府〜行政側も、「地域のコミュニティの積極化と“温か化”」が並行して絶対に必要だった、と反省すべきだね。『反対意思は、彼らの再犯化の温床ですよ』と、住民を教育しなければならない。

追記(100605):この毎日jpの記事は、対象が本記事のとは異なるが、イギリスの施策に関する部分は読むに値する。

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2010年5月27日 (木)

日本共和党綱領

インターネット上に生成される近未来の政権政党を試みる。

綱領は、当面、このブログ記事に対するコメントと、それらを契機とする会話により、いわば手作りwiki方式で生成する。採用ぶんは、発案者のクレジットを明記する。

日本共和党綱領
[「共和主義」の提唱]

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iTunes問題

久しぶりにA Day in the Lifeを聞く機会があった。やはり、たいへんな名曲である(Pink FloydのEchoesなど、このランクに入る曲があといくつかあると思うが)。その後、今日の状況を見ても、これだけのものを引き継いで、ベースとして、さらにすごいものになってる音楽というものはない。音楽は今やますます、ほとんどがらくたである。

そこに、iTunesの音楽市場独占問題が登場する。いよいよ、音楽という[現代の--危険な--がらくた]を軸とする[ステージ/オーディエンス構造]に、醜悪な終末が訪れようとしている。

なぜ、音楽そのものは(概して)がらくたへと退化していったのかというと、それは、A Day in the Lifeのようなものは、人を、「音楽以外の課題へと突き動かす」ものだからだ。言い換えると、真に優れた音楽は、音楽としては、「そこで終わる」ものである。今、真の創造性は、音楽以外のものを活躍の舞台としているはずだが、そういう人たちにも、今、A Day in the Lifeをせめて一度聞くことは、意義があると思う。

ところで、アリス=紗良・オットという人のピアノ演奏は、優れたロック音楽のような、強いメリハリとビート感のある、とても新しいクラシックのinterpretationだが、彼女に、売り方も表現の一環だとの自覚があるなら、iTunes(など)の経路は断固拒否して欲しい。もしその自覚がないなら、われわれは海賊版を聞こう。

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2010年5月10日 (月)

ステージの終焉

だいぶ前ですが、音楽プロデューサみたいなことをやったことがあり、売れなかったという点では失敗であり短期で終わったんだけど、それで正当だったという思いがある。

そのミュージシャン氏もその後、ほかの人をプロデューサとしてミュージシャンとして成功したりはしなかった。文才のある人なので、小説などいくつか書いたようだが、それも村上某などのように売れはしなかった。そのことも、やはり、正当なことだったという思いがある。

それは、「ステージの終焉」というコミュニケーション学〜理論における重要命題と関係がある。

だいたい、あの世界的怪物的ステージ現象たるビートルズが、熱心なファンによるその頭目の暗殺で幕を閉じたということのもつ、歴史神がわれわれに与えた、ものすごく重要なアレゴリーを、だーれも真剣に考えてないよね。2010年になる今でさえ。

(ナチス〜ユダヤ人差別のもつ、重要な意味もね、いまだに。)

なぜステージが終焉しなければならないかということの説明は、今回は[この文]に代役させようと思う(今回は短く書きたいので)。でもさぁ、インターネットって、対話、会話、多方向的コミュニケーションの場だろ。私は、ヒトのブログなど訪れて、見て、読んで、だまって帰るような失礼なことはせんよ。議論、あるいはそのブログ(など)の世界を、前向きにふくらませるような一言を残すよう、つねに心がけている。専門的すぎて難解なのは、それができないこともあるけど。

日本ではインターネットも、単に表現者のステージになってる部分が大きいのかな。どうも、あかんなぁ。

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2010年5月 9日 (日)

普天間問題

今日本に必要な最上部政治構造は、日本〜日本社会のいくつかの主要側面において歴史的な新事態の招来に取り組むそれだから、民主党〜ハトヤマさん政権ではだめ。

平和努力という側面では、中長期的には安保廃棄と自衛隊廃止を展望しつつ、短期的施策の一つとしては米軍基地の削減を進める。だから「それをどこへ移すか」を進める政権は要らない。われわれが要るのは「それを廃止する」政権である。時間がかかることを覚悟で、アメリカとの話し合いを始めてもらいたい。

その、かんじんのことが分かってない。私は過去に一度も、民主党の候補者に投票したことがない。嫌いなのではなくて、「民主党」という言葉を見ると、私の心は急に壊れたカメラみたいになってしまい、何も明確な像を結ばないのだ。つまりこの党には、明確な『綱領』がない。日本共和党になら、あるぞー。

軍備によって平和は来ない。ものすごく厚く広いコミュニケーションによってなら、来るし維持されるだろう。参考URL: 「ポジティブなレクイエム」

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犬猫悲哀記(1)

連休の5月5日、近くの公園で久々に、捨て犬(とはっきり分かる犬)を保護した。犬や猫を保護すると、数日間、悲しみと重苦しさに浸されて、急性の鬱病のようになる。今回の犬は、ブリーダーが一挙に捨てたとおぼしき5〜6頭中の1頭と判明。保健所に持ち込まれた彼/彼女らは、当方の現在の体力やスペース等からして、引き取って面倒見るのは無理(現状ですでにうちに計7頭いる)。悲しみは、一層深まった。悲しい。つらい。

人間の社会はすでに数千年数万年、あるいはそれ以上の歴史を経ているが、まだまだ非常に“粗放な”社会である(もちろん、犬猫の件にかぎらない)。でも、これではあかんという理想やイメージがあるから、それとの対照で、現状に対する悲しみが湧くんだな。

日本共和党綱領のどこかに、「人間が人為的に作ってしまった動物たちの殺処分を廃止する」を入れなければならないね。ドイツはとっくに、殺処分はやってないようだが。参考URL: 「ドイツ殺処分ゼロの理由」

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