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2010年4月26日 (月)

21世紀と自然農法

シリコンバレーに農業2.0のベンチャーキャピタル出現 。日本でも「自然の野菜は腐らない」「自然農・栽培の手引き」がAmazonで7814位、9449位はけっこうすごい。

1990年代までは、藤井平司氏などの主張はきわめてマイナーで奇矯な説に受け取られるだけだったが、21世紀に入って各地で「実践」が広がりつつあるようだ。

しかしこれまでの、視野狭窄/偏狭/monkey-gripな自然科学〜科学技術の否定→「(自然など)全体」との対話・コミュニケーション/「全体」の感受は、農学に限らず、すべての学、すべての知を貫く必要がある。知(Wissenschaft)における、オトコ性(masculinity)の否定だ。

深耕による畑の肥毒層*の破壊はいいが、社会と政治の深耕とレガシー観念の破壊も、ほんとは緊急に必要なんだが。(参考URL: 「優しい日本を作る」)〔*: 肥毒層, 長年化学肥料に依存してきた農地の30〜40センチ下部にできる硬くて地温の異様に低い層。〕

#上のリンクのドキュメントは、タイトルを「日本共和党綱領」に変えて、
0. 天皇制の廃止
 1)日本人の低コミュニケーション能力の源泉の一つである、主体欠==お上(おかみ)依存を根こそぎ改革するために、伝統的にお上の象徴たるアプリオリな上位権力(の残り香)を完全に一掃する。
 2)現行天皇制は、天皇とその家族に対する「人格虐待」であるので、早急の廃止が必要である。

1. 社会保障社会福祉の完全一元化/オートマチック化による全員生涯安心社会の造成

…等々と書き換える必要がある。

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2010年4月23日 (金)

万博ソング盗作問題

だいたい、世の多くの人、コミュニケーション不能側に属する人種は、音楽の本質を自覚・対象化できていない。ビート感のないベーシックで(ほぼ)全時空普遍的な詠嘆調のメロディは、非常に少ない音要素と、許される音梯階等のごく狭い制約条件の中での順列組み合わせだから、類似品はなんぼでもできるのである。このたびのも、そこらのおっさんがビールに酔って鼻歌で‘作曲’してればできてしまうような曲でありまして、盗作を云々するようなレベルのもんではないな。中国の人は盗作を否定しているというが、それは正直にそう言ってると私は感ずる。

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2010年4月18日 (日)

犬猫悟り記(1)

自律的(自立的)な野生生活のありえない犬や猫は、そのぶん、極端に孤独でたよりない生物個体だが、そもそも、遺棄猫や遺棄犬を、やむを得ず保護してしまう私のような人間は、生物として犬や猫よりもいろんな意味で「上位に」あるから、上位者としての保護者になるのではないのである。

そうではなく、孤独で極端にたよりない生物である犬や猫と日常を共にすることによって、たまたま人間という、これまた厄介な生き物になっているこの私もまた、本質的に天涯孤独な「自己存在」であることをつくづく実感できるのだ。「犬や猫」と「私」は、つまり、同列である。「私」が、彼らの--社会的飾り物や自己欺瞞のない…存在レベルへと下りてしまうのだ。いや、お好みでは、上がってしまうと言ってもよいが。

これが、犬たち猫たちが人間に与える悟りの第一、すなわちトップ項目だ。天涯孤独で素っ裸のたよりない「自己」、この宇宙の唯一最大の神秘である「自己」こそが、真のコミュニケーションの基底となりうる。

トマちゃん。トマちゃんは、ほんまに、愛そのものだったなぁ。うそみたいに。

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言葉の意味の動態性

人類社会のタイムラインをコミュニケーション以前とコミュニケーション以後に分けるなら、コミュニケーション以後においては、言葉の意味は対象ディスクールや対象テキストという「静物」の中にあるのではなく、また、個々人の理解や解釈の中にあるのでもなく、言葉の送信者と受信者との対話的関係性の中にある。したがって言葉の意味は静態ではなく動態である。

ただし、真のコミュニケーション学/コミュニケーション理論において最重要な命題の一つは、「分からないものは分からない」である。死は分からないものの典型であるし、送信者との対話がありえない残存テキストは、ほぼどれも、分からないものの代表格だ。たとえば、処刑台上のイエス・キリストの最後の言葉は福音書によって違うし、またその解釈もいろいろだ。だからそれは、ありうる唯一の正直な態度としては『分からない』である。古典研究という学問も、また古典を読書する行為そのものも、実は最初からまったく空虚な営為であらざるをえない。

コミュニケーション以後の時代においては(それはいつのことか?)、それまでの非常に多くのものが、「分からない」の広大な墓地に葬られ、そのぶん、人類は身軽になり、コミュニケーション的に明るく元気になるだろう。

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