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2010年3月 6日 (土)

結婚は悪である(続)

結婚は愛の形態として不具かつ不健全であるだけでなく、今日の、旧共同体が無力化形骸化した社会においては、人間の生活単位の形として“危険”なのである。経済的にも、そして文化的(==知的生活的)にも、きわめて危険である。

その危険性の、ぎすぎすとした現れや醜悪な現れは、すでにいろいろな形である。最大に心痛むものは、かつてはほとんどなかった、子どもの虐待殺の増加、日常化だ。

社会の真の問題に対して、自民党がとろかっただけでなく、民主党も50歩100歩とろいね。また、私のこのような議論が、何年も何年もマイナーな見解として細々と存続してるだけってのも、日本社会の今後にとってきわめてまずい。もっと別の、もっと効果的なやり方って何だろう?

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コメント

マジ、そう思います。

既婚者として、罪悪感つーか嫌悪感つーか。

幸いというか奇跡的にコドモたちは

反面教師的にいい感じだから、でもこれは
本当に奇跡だと思います。

ある意味、必要悪かもしれない。

multi-direcitonal-love、ってすごく良い言葉です。
愛と自由、この関わりの妙を解くのにどれだけイヤな思いしたことだろか。

ま、それを盾にしてキャバクラ通いに
ウツツぬかす的な風潮には、
鋼鉄のハンマーを。

投稿: fp | 2010年3月 8日 (月) 03時55分

親しく交際して来た親類一家がいたのだけど、特にうちの家族の誰かが好きでノコノコやって来ていたわけではなく、簡単に言うと、何かおこぼれにあずかれないかとの下心しかなく、それ故、気兼ねなく正直に物の言える個人と個人の自由な関係は持てなかった。
だから、結婚というか家族がコミュニケーションの障害になることは知っている。利害(お金)関係が介入するからそうなる。だったら、こちらでよく話題になる貨幣の撤廃が必要ということになるのだろうが、世間でよく言われるように人の欲望原理に沿わない社会なんて結局ソビエトみたいになるんだよ、という説が正論なのであれば、さて・・・。
そこで、愚案であるが、完全個人私有財産制になれば、個人と個人の人間関係になり、家族内にある依存関係も無くなり自立する、もし一文無しの人間がいれば家族内の依存・家族内への利益意識がない分思いやりが生まれ案外助け合えるのでは。私は、正直、貨幣制度の撤廃という高邁な理想を抱くには至っておらず、弱い奴は負けるのだという残忍で且つ筋の通った考え方をしているのだが、貨幣はそれだけが独り歩きする不平等な存在であることくらいは分かるので、貨幣がなくなればそれでもいいかと思っている。
とりあえず、なるべく個人単位での経済活動でいたい。

投稿: 大虎 | 2010年3月18日 (木) 02時53分

あたしゃー、男っていうのは現在のために生
きる動物で、女っていうのは、現在と未来を
つなぐのを旨とする動物ではないかと思う。
男は播種本能ってのがあるように、種をばら
まくのが大好きであります。女は母性本能が
ありまして、子供を成人にするのが大好きで
あります。そのため第一に稼ぎ手や、昔なら
自衛のために男を、あるいは家庭の形を守る
ために父親を欲したのかもしれない。とにか
く男をつなぎ止めたかったのだと、思う。
 あたしゃー大規模材木自営業でありまして
(気が多い)、恋愛乱立、フリーセックス賛
成派であります。嫉妬心もない方だと思うの
で、好きな人が別の男とSexしていようが、
自分といるときには自分とSexしてくれれば
いいんじゃないかと思ってしまう。その女が
別の男だけに執心されると、悲しいけど、そ
うなれば俺も別の女をさがすけどね。
 とにかく男と女の性質の違いが、社会の不幸だと
思われる。今は「家庭を守る」が良識とみなされるか
ら、男は肩身が狭い。ほやけど、もう家庭を持つこと
が困難な社会になってしまったんだから、これからは
家庭(旧共同体)に固執することに意味はないと思
う。女よ、男を開放して自分も開放してよ。子供は
社会の共有財産・宝として育ててみたいと思うんだけ
ど。だめ?


投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月23日 (日) 08時04分

昨日”ほんまでっかTV"で、納得させられるこめんとがあった。「嫉妬深い人間は、出世する。」「嫉妬深い人間は、家庭を大事にする。」であった。嫉妬てのは、コミュニケーション学からすれば、最大の敵なんですけどね。前者は、今の貨幣経済下のビジネスを戦い抜く、勝利を収めようとするには、強い執着心や恨みつらみ、根の深さがないとダメでしょう。嫉妬ていうのは、まさにそのためのエンジンなるものである。
後者の「家庭を大事にする」というのは、嫉妬は、予想不安(?)からくるものであり、それを防ごうとするためにも、家庭(相手)に執着するものらしい(それを言われた大泉洋は、ガッツポーズをしていたが)。

なんだかなぁ、である。今のおおかたの女性はやはり大泉のような、家庭を守る男を支持するんだろうか。
女性の意見が聞きたいな。

投稿: Ohiya | 2014年5月22日 (木) 07時51分

なんだかなぁ、

上は男性の一個であるわたくしに通じました。

投稿: 分 | 2014年5月23日 (金) 05時32分

二つのコメントに、サンキュー。
女性は、現実的なんでしょうか。
しばらく、旅にでまふ。

投稿: Ohiya | 2014年5月23日 (金) 07時19分

上のコメントに播種本能と書いたが、今の世の中に生きる男には残酷な本能だと思われる。人間、否、生物にはそれぞれ生まれながらの本能が備わっている。人間にも食欲、睡眠欲、性欲という三大本能、女性にも母性本能がある。それと同じレベルに男性には播種本能がある。世が世ならば、例えば人が種として絶滅の危機にさらされていたり、幼児の生育が厳しい環境だったりしていれば、播種本能というのは高く評価され、その本能に生きることは美徳とされただろう。たまさか、今の先進国という状況がその危機に合っていないということである。にもかかわらず、男性にはその本能というものが削除されずに息づいている。これは、今の社会という概念・システムにあってはならないというだけで、不可避的に播種本能を持っている事を否定・断罪されてしまう男の悲劇である。(これは、別に本人が持ちたくて持っているのではない。)女性も母性本能を、別の時代や環境で否定され、悪と断罪されればムナシイだろう。
家族制度というのは、支配者・統治者が管理をしやすくするために推奨しているんでしょ。私は、播種本能が良い、悪いと言っているのではない。睡眠欲と同じレベルで播種本能があると言いたいのである。これを否定することは男性に対する侵害であり、否定する社会は片端な社会である。女性の母性本能と同じレベルで、並列に認めて欲しい。そのために、結婚という檻はない方が良い。

投稿: Ohiya | 2014年6月20日 (金) 01時39分

[補足]私は別にカミさんに、苦情があるのではない。よく、こんな俺と付き合ってくれているなぁと、感謝している。しぃかぁしぃ、である。

投稿: Ohiya | 2014年6月20日 (金) 02時01分

上のコメントには
「男と社会の悲劇」というタイトルをつけたい。
and [変更]
本人が持ちたくて持っているのではない。→本人が選び取って持っているのではない。

ムナシイだろう。→ヤリキレナイだろう。

投稿: Ohiya | 2014年6月21日 (土) 02時49分

「私って母性本能が強いのよねー。」という女がいれば、「俺って播種本能が強いんだよ。」という男がいても、全然おかしくない。男が母性本能についてとやかく言わないように、女も男の播種本能にとやかく言う資格はない。両者とも、お互いのことについては分からないのだから。
Could you understand?

投稿: ohiya | 2014年7月13日 (日) 18時43分

最近つくずく家庭制度って不毛だなぁーと思う。夫婦間の愛情ってどれくらい保つのだろうか。熟年離婚だ、墓は一緒に入りたくないだわ、年取ったら旦那とではなく自分の友達と旅行に行きたいだわ、殺伐しい話が多いではないか。かくいう俺も、もし婚約するときに「結婚以後はいかなる女性にも、恋愛感情は持ちません。」という規約なるものがあったとしたら、絶対に結婚はしなかっただろう。なんだか親の勧めるお見合いで勢いで結婚したのである。
俺は思う。いくら男・女どちらも悪くなくても、結婚後何十年も一緒に暮らしていれば綻びは生じてくる。そうした中に別の異性に対して感情を持ってしまうという事はよくあるだろう。それをごまかしたり、押し殺したりするのが正しい夫婦なのだろうか。
いま日常の夫婦を見ていると、どうもクタビレテいるように思う。どうもハツラツさがないんじゃないだろうか。野性味というか、野性的な魅力・美しさというか。どうにも世間の常識にとっ捕まって、しょうがなく生活しているように見えるのは俺だけだろうか。それでも女性は家庭を守ることが母性本能を満たすことに繋がっているだけましである。
やはりどうにも結婚というワクはない方が良いように思う。結婚が人間の自由性を閉じ込める原因じゃなかろうか。まず結婚ありきで社会を見ている、組み立てようとするから結婚ていうのが必要不可欠な大層なものに見えるのではないか。人間というものを、一人一人キレイに分割して個人の単位まで切り離す。
さてそうすると、問題は子供の問題である。育児も家庭でするのではなくて、キレイに社会化する。公的な場所でしてもらう。勿論母親がその場所に務めるのもオッケーである。そしてはて?こどもにとって家庭の平和・愛情は不可欠か?ということもある。幼少期には父親母親の愛情で正しい子供になる、ということはあるだろう。父親母親じいちゃんばあちゃんがいて孫もいるという家庭の幸せもあるだろう。しかし、なかなか今となってはそれも幻想に近いのではないか。都会へ行けば行くほど難しいように思う。
時間が無いので書き飛ばして終わりにします。あしからず。ごきげんよう。

投稿: ohiya | 2014年9月24日 (水) 07時45分

[追加]結婚にこんな制度を入れたらどうだろう。更新制にするのである。期間を決めてその都度、継続するか否かを申請するのである。まぁそんな杓子定規なことをするまでもなく、結婚しても離れたり戻ったりを、特別視しない風潮になればよかろうと思う。いま既婚率が非常に低いのも、結婚というものが非常にハードル高いが故に、多くの人が踏み出せないなんてのもあるのではないか。その敷居を低くするというか、結婚も単なる一つの人生の選択肢に置き換えれば、人生楽しめるんじゃないかと思う。まぁ、そのためにも閉鎖的な恋愛観を是正しなければ、元々無理なような気はするのだが。
とにかく結婚に対して意識を軽くして、取り組むようにする。子供は平等に社会の仲間・宝としてみんなで育て上げる。離婚したとしても、全然騒がずに人生のリスタートとしてみとどける。これらは個人と社会のコミュニケーション能力の成熟度にかかってくるのは言うまでもない。
                                                                                                                                                                                                

投稿: ohiya | 2014年9月25日 (木) 07時49分

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