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2010年2月 7日 (日)

21世紀の巨馬鹿: “地デジ”

「地デジは第二の戦艦大和」説は、100%、120%、1000%正しいと思うけど、未だにだーれも知らん顔をしたまま、揺るぎなき既定事項として有無を言わせず進行していく(アメリカなどにおいても)。

これはたとえば、自動車の普及初期に、馬車屋組合や駕籠屋組合が強力な権力を持っていて、自動車も走れる道路を造るとき、幅広い馬車レーンや駕籠レーンを必ず作らせたという架空のお話とよく似ている。馬車屋や駕籠屋を再教育して、自動車を活用する事業者に仕立てることを、そのときの政治は、やらなかったし、やろうとしても完全に拒否されただろう。

戦艦大和==巨大で巨額の廃品にならない正しい道は、テレビ放送もインターネット上のone of contentsにしてしまい、ついでにインターネットの太さを今の10倍ぐらいにしてしまうことだ。インターネットに乗ってしまえば、従来の、単なるコンテンツ一方的垂れ流し屋から、対話的参加的なサービス〜アプリケーションに進化する道も開け、戦艦大和のように海の底でぶざまに野垂れ死にすることもないだろう。

地デジのデジタルデータの、もうハシにもボーにもかからん愚昧性は、デジタルデータの最大の魅力と文化性と未来性であるところの、データ形式の標準性互換性をベースとする、プログラミングフレンドリ性がまったくないことだ。人びとのアイデアと創意が無限に作り出す、さまざまなプログラムから、それを操作加工して、多様なマッシュアップなどもして、新しいより魅力的なコンテンツやサービスをクリエイトしていける道がまったくない。つまり地デジには、コミュニケーション文化としての「明日がない」。硬い、割れない、永遠に孵化しない卵。それが日々、消費者の顔へ石ころのように放擲される。あるいはそれは、馬車屋や駕籠屋のような規制権力が、自分のために掘った墓穴である。

今テレビ各局は、視聴者へのメリットもデメリットも何も説明しないという傲慢無礼のまま、地デジへの移行を強制している。自分の墓を掘ることは、そんなに脇目もふらず夢中になれるほど、楽しいことなのか。

今でも、天気予報とニュースの一部を除いてはテレビは99.9%くだらないと感じているから(今すでに、ほとんど腐っている)、地デジへの移行はテレビへのbye byeのよい契機となるだろう。今およびこれから、人間がフルにかつ多様に創意を揮えるのは、従来的マスメディア(一方的コンテンツ垂れ流し業)ではなく、インターネットの上だからな。

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