フロンティアとしての人間の開拓(開墾)
メタ宗教(批判的宗教学、宗教批判)が必要である。
メタ数学(批判的数学、数学批判)が必要である。
メタ言語(批判的言語学、言語学批判)が必要である。[参考URL]
トレードの克服、対象化、相対化が、全地球市民の常識ならびにビヘイビアとして定着することが必要である。それはメタ経済であり、経済(オイコノモス)の原義の--レベルをグローバルにしての--回復だ。
人間という、これまで何万年放置された、踏み荒らされて硬くなった大地を、その全体をやわらかく開墾し、コミュニケーションを志向できる心の、緑の芽生えを誘引する必要がある。
| 固定リンク
コメント
http://www.seig.ac.jp/edu/column_3htm
投稿: temlin | 2010年1月 3日 (日) 12時31分
ハトヤマさんがよく任務という言葉を遣っている事に気が付く。国の長なのだから、責務の方は受動的だ。そう、責めるのではなくもっぱら責められる事が多そうだ。
この国では責任という矛盾語が頻繁に聞かれる。わをかけた若者語では自己責任という矛盾自乗語がこれまた頻繁に聞こえる。こちらはお陰で耳に他己ができそうだ。
自己責任があるのなら他己責任もあろう。
任務があるから責務もあろう。
但し、下の欄:(任意)とあるような意味での任の務として。
責務があっての任務、そんなものはないと思うし、なくてよいのではないでしょうか。
投稿: tenzin | 2010年1月 4日 (月) 10時31分