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2010年1月16日 (土)

自然の自然な一部としての死

ハイチにかぎらず、都市中〜国中に一度に大量の死者が出たら、そんなときのための用意がふだんからあるところはまずないから、地域も行政も途方に暮れるだろう。

しかし、前から書いておこうと思っていたことがある。

夏の終わりになると、蝉の死骸があちこちに落ちている。冬めいてくると、蟷螂があちこちでくたばっている。季節と関係なく、蛇、小鳥、狸などの死体に出会う。これらの死の光景はいずれも、きわめて自然で、何の異様感もない。ふつうの、あたりまえの光景だ。

それらの死は、自然の自然な一部として、自然に包まれ、自然に回収され、物質としても自然に消化され、自然に回帰していく。

人間の死は、社会的現象すぎて、自然現象の一環であるという自然感当然感、おだやかさ、まろやかさ、ひろやかさ、やさしさがなさすぎる。

人間すべてが、主観的にも客観的にも、完全な「個」、孤独な個になったとき、それはおそらく初めて、自然な死を死ねるだろう。その具体的な姿を、共に模索していきたい。

参考URL: 「生よ驕るなかれ」「英霊」

p.s. 「樹木葬」は、なかなか良い感じに見えたが。


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