« 天皇の人間化, 共和制への下地 | トップページ | COP15失敗 »

2009年12月15日 (火)

ま、それでも(天皇の人間化、続き)

今の日本やイギリス(など)の皇室制って、一種の人格虐待ですよ。その先鋒にいるのが、日本の場合、宮内庁じゃないの。しかも特定の省庁や特定の役人の問題では必ずしもなく、制度それ自体の問題でもある。(ま、もっと人間性に富んだ宮内庁長官が出てくれば、ご一家もすこしは呼吸が楽になるかもしれないが。)

かつての岡田外相の発言(10月下旬)も、「もちょっと人間らしい言葉をしゃべったら」という素朴な思いではないの? それ以上にも以下にも解釈してはいけないと思うが。でもそれは結局、今の制度下では、無いものねだりになる。

雅子さんのだんなさんの、宮内庁への怒りも、どうやら空振りに終わってるようだし、彼女の神経症は治らないし、このどうしようもない事態を、しかし、どうにかせんと…。

今回の「30日ルール」の問題だって、かんじんの当事者(天皇自身)の情報や発言は、まったくメディアに出てこない。ここにもまた、同形の抑圧と人格虐待があるような…。

共和制移行へ、最大の理解を示すのが、意外と雅子さん夫妻だったりして。

|

« 天皇の人間化, 共和制への下地 | トップページ | COP15失敗 »

コメント

天皇はcommunicativityが高いconvivityが低くDianaはともに高いMadonna

投稿: temlin | 2009年12月17日 (木) 07時26分

投稿: temlin | 2009年12月17日 (木) 07時28分

GeorgeBushはGlobalなcommunicativityが高いcomvividityが低いinternationでのcommunitivityが低いenvividityが高いMcEnro

投稿: temlin | 2009年12月20日 (日) 21時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ま、それでも(天皇の人間化、続き):

« 天皇の人間化, 共和制への下地 | トップページ | COP15失敗 »