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2009年12月 9日 (水)

Knockin' on Heaven's Door解題

Knockin' on Heaven's Doorは、もうあと数秒でぼくは死ぬみたいよ、という意味。死は「自己」というものの孤独を、するどく厳しく際だたせる。だれかと一緒に死ぬことはできないし、死が魂の旅立ちとすれば、その旅路を激励喝采してくれるギャラリーもいない。そのような絶対的孤独が、コミュニケーションのベースであり核だ。

そしてそういう純粋に裸の自己には、(副保安官の)バッジも銃も要らない。用がない。バッジに象徴されるものと銃に象徴されるものに支配され、またそれらを使用するのが「孤独忘却」の日常における人間どもの所業。

バッジも捨て、銃も捨てた、はだかの、純粋孤独者同士としてのみ、コミュニケーションできるし愛し合える。この曲が無慮何十人ものアーチストによってカバーされている人気曲であるのは、このような『純粋性』がその理由である。

私見では、ベストはB.Ferry(すべての音が言葉をだいじにしている)、次位はA.Lavigneのスタジオ吹き込み録画(彼女の**唯一の**ベストトラック、アホなアイドル歌手が唯一最高に真剣に歌った曲)、最悪はE.Clapton(表現者の資質ゼロ)。

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コメント

確かに、
死の脅迫と強迫に立ち向かう基本姿勢といってん姿勢はどうでもよかばって

 んこれ人間含む動物が本能ばい、あい譲れることは無し

 ことばなし。

 うむ 

投稿: temlin | 2009年12月10日 (木) 00時07分

本日は晴天なり

 世界人権デーです。主の方も客の方もこの場でこの場でなくてももっとradicalに論議して意気投合してもしてなくてももっとcommunicativeかつcomvividに情報を共産していきたいものです。

 短いですが、舌を足す御挨拶とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

投稿: tenlin | 2009年12月10日 (木) 07時50分

私幸いにホモっけがないので長渕剛を聴いたりもして、ヨウスイやユーミン、近年は一青幼や平原綾香なんかに心酔したりもする。
 で、rock/jazzでは、SADEやSTINGのファンであったりもするのだが、、、
 Dylanesqueはよいですねぇ、ついでにA hard rain's a-gonna fallで若かりしころのB.Ferryがをめみえましたがまさに確信犯的プレイは壮絶なアジテーション!あらためてファンになりました。私もこの人の影響で、OtisやColeを聴くようになったのでありました。
 Elvisもまた然り、それにKate Bushが彼のことをKing of the Mountainと表現していたのにも影響されてElvisがますますすきになったものでした。
でDylanesqueは本当に素晴らしいでね。Bob Dylanを再発見してみたいです。
 ただただいえるのは、B.Ferryの表現が本当にcommunicativeであるから私をconvividするのです。
 B.Ferryで思い出すのは今野雄二さん渋谷陽一さん巻上公一さん岩谷宏さん。みなさんのご健在ご健全を祈りたいものです。
 cf.communicativation=communicate+motivation, convivid-envivid=being turn on each other

投稿: delompa | 2009年12月11日 (金) 08時37分

Knockin'on Heaven's door改題?

トンビ

かあさん勲章外して

もう用は無いんだ

暗く暗くて見えない

あの世の音が聞こえる

コツコツと響く足音

コツコツと響く足音

コツコツと響く足音

コツコツと響く足音

かあさん銃を外して

もう誰も撃てないんだ

闇雲に闇がやって来た

この世の光が見えない

コツコツと響く足音

コツコツと響く足音

コツコツと響く足音

コツコツと響く足音

投稿: delompa | 2009年12月13日 (日) 22時36分

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