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2009年9月13日 (日)

猫飼い後悔(その2)

文京区の小暮動物病院の院長先生が書いた本には、「1日に最低30分、猫と遊んでやる時間のない人は、猫を飼う資格がない」という意味のことが書かれている。遊びは、猫の人生にとって食う寝るの次ぐらいに重要な要件である。

猫が5匹ぐらまでのころは、毎日けっこうたっぷり遊んでやれた。複数の段ボール箱で立体迷路を作ることすら、何度でもできた。でも常時30匹近くいる今は、食事、トイレ掃除など、最低限の世話だけで相当時間がかかり、十分に遊んでやれない。そのことがたいへん、心が痛む。子猫を保護したときだけは、なんとか遊んでやることを心がけるが、十分とは言えない。

で、共働きなどで、猫遊びの時間を十分とれない人は、兄弟姉妹や、あるいは仲が極端に悪くはない、複数の猫を最初から飼うことをおすすめする。昼間人がいないときでも、猫同士でけっこう遊べるから。犬についても、それは言える。

とにかく、これ以上、犬や猫をそこらに捨てないでほしい。犬猫がかわいそうなだけでなく、われわれのように見て見ぬ振りのできない者が、十分な世話もできず、苦労するんだから。

[猫飼い後悔(その1)]

(090914追記)でも、保護する人間がもっと増えればいい、という「解」はありえないよね。それだと実質的に、遺棄行為の社会的公認になってしまう。やはり、われわれのコミュニケーション努力によって、「捨てない」「避妊去勢をする」が思想および慣行として普及するのを待つしかない。私の住む住宅地でも、メッセージポスターを公園等に貼りだす努力を数年続けた結果、1990年代後半のひどさに比べると、最近はずいぶん鎮静してきた。たとえば、前は捨て猫変じての野良猫だらけだった少年野球用グランドの周辺やスーパーマーケットの裏手は、今はまったくいない。周辺地区を含めて、まだ、きれいさっぱり皆無とはいかないのが残念だが。

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