トレード執着は損失を再生産し続ける
これは、どこまで一般化できるか、まだよく分からない「理論」なんだけど、そもそも、社会の<トレード至上幻想>と個人や家族等における<トレード強迫>に支配された生産行為は、環境と人間の健康(とくに心の健康)を大きく損ない、その被害の金額換算の大きさは、トレードによって得られる利益の額と、少なくても同額、通常は利益の額よりもずっと大きい、と言えるのではないだろうか。
なんとか一般的に証明してみたい理論:
トレード強迫とトレード絶対至上幻想の下で行われるすべてのトレードの結果は損失である。利益は、実は、ない。
いちばん分かりやすいのは、温暖化ガス排出規制なんてお断り!と主張せざるを得ないインドなどいわゆる途上国〜低開発国の状況だが、“先進国”アメリカ(ずば抜けて世界最大の排出国)などでも、ビジネス人たちは…当然のように…規制に消極的だ。儲け(トレードによって得られる利益)が薄くなることは、やりたくない。そこで、大規模環境破壊・汚染という損失を生み続けるしかない。
あまり知られていないことだが、日本各地で農林水産物の「有名銘柄」の産地も、農地や山林や、海や山の水質等に対する「虐待」の持続の上に産地としてのブランドが維持されているところも少なくない。具体例は控えるが、農地の不可逆的な荒廃のために、今では元々のその土地から遠く離れたところが物理的な生産地になってる銘柄産品もある(そこもやがて荒廃するのだろうが)。
トレードではなく、コミュニケーションが支配する社会においては、環境や健康への損失を生むような『無理』の必要性がない。たとえばトレード商品に必ず伴う<規格>は、実は不要なものだ。サイズ、形、色、味などなどが、商品として成立するほどとびきり上質でなくても、みんなでなんとか工夫しながら、そしてトレード以外の方法(コミュニケーションによる方法)で分かち合いながら食えばいいわけだ。
一例として海の魚を挙げると、産地と消費者が商品性を追求しなければ、けっこうおいしく食える雑魚…いわゆる市場に出せない魚…がいっぱいある。雑魚を分かち合って食べてれば、特定魚種(商品性の高い魚種)の資源枯渇とか、海を汚す養殖などのモンダイはなくなるだろう。
犯罪という社会的人間的損失の多くも、トレード強迫とトレード絶対至上思想が支配する社会風潮が発生因である。トレード支配社会からコミュニケーション支配社会への転換により、犯罪の半減、うまくいけばほとんど全減が期待される。その転換は、これまでにあったどんな革命や社会改革よりも桁違いに難しいが、しかし第一歩は、多くの人がコミュニケーションという問題意識をまず持つことだ。
関連ブログ記事: [トレード強迫からの覚醒]、[トレード至上幻想]
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