小学生のための貨幣論入門(スケッチ1-1)
うーんと初期には、何かの物が貨幣の役を果たした。未使用の布、たばこ、金属の鍋、などなど。今でも友だちなどとのあいだで、何かの現物を貨幣(何かに対する代価)として使うことがあるだろう。たとえば、なにかのカードとか。
そういう現物としての貨幣は、「貨幣が稀少財」であることを分かりやすく納得させてくれる。稀少財でないもの、つまり、ありふれている物や、誰でも持ってる物は、貨幣とは認められない。
稀少財は、もらったりすると「ありがたい」物だ。「ありがたい」は「有り・難い」==「有りにくい」==「なかなかない」==「(十分)持ってる人が少ない」という意味。つまり「稀少」。
だから「ありがたいもの」==「なかなかないもの」==「持ってる人が少ないもの」でないと、貨幣になれない。
稀少財が稀少財であるためには、したがって、それを持ってない人がつねにかなり多数いなければならない。世界中の誰もがつねに相当額のお金を持っているなら、お金の貴重感はなく、誰もお金をほしがらない。お金の貴重感がしっかりとあるためには、それを持ってない人、なかなか持てない人が多数存在しなければならない。
持ってる持ってないのいちばん上といちばん下を除いて、その中間の99.99999...%の人はそれぞれ、上に自分よりお金を持っている人たちがいて、下には自分よりもお金をもっていない人たちがいる。お金は「持ってない人が多いこと」が重要だから、この持ってる持ってないの階層がお金の価値、貴重感を支えている。この階層は、(お金=稀少財はそれをうんと持ってる人ほど少ないから)富士山の形のように、下(=持たざる人)ほど大きい(多い)。
いちばん下の、何億〜何十億という数の人たちは、慢性的な飢えと貧困の極地。国連などの努力では支えることのできない悲惨な状況だ。でも貨幣が価値を持つためには、こういう、多数の、持たざる人びとを必要とする。
お金、たとえば千円札をつくづく眺めて見て、これの価値は「千円持ってないこと(や持ってない人)に対する価値」なんだということを、つくづく実感しよう。
そこで結論として、お金が支配する社会(コミュニケーション学の用語では「トレード(trade)支配社会」)は、必ず格差社会である。お金を持ってることの価値は、持ってないことや持ってない人に対して成り立っている。
だからこそ、人類(と環境)の悲惨な現状を解消するためには、トレード支配社会からコミュニケーション支配社会への移行が必要なのだ。
(090921: 部分加筆)
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