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2009年6月17日 (水)

「誰もがサーバ」の時代へ

パーソナル化したコンピュータによるコンピュータネットワークの「あるべき本来の姿」として、私が昔 々から主張していたあり方が、いよいよこれから育っていくようだ。

その第一歩としての、「画期的なWebブラウザ」の登場を報ずる記事を読んでみよう:
[Operaが予告した「ウェブの再発明」はブラウザのサーバ化だった]

[関連技術記事]

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コメント

networkの創出は それにふさわしい充実したpersonが充分な数、出現したことを示しているのだろうか?
あーつまり
personは本来的に皆serverなのであって clientたるpersonなどいないのだという personの在り方は、networkの創出と呼応して顕在し得るのだろうか?

それとも networkの創出→充実が、充実したpersonをだんだんに育んでいくんだと考えるほかないのか?(とりあえずそのように考えて、次に進んでいいのか?)
…という問い掛けは computer networkの世界ばかりでなく、そこここのリアル世界(たとえば私の職場とか)で問い掛けられている。

投稿: tracer | 2009年6月21日 (日) 01時11分

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