« トレード至上幻想 | トップページ | 「誰もがサーバ」の時代へ »

2009年6月14日 (日)

コミュニケーション忌避という宿痾

日曜日の朝の10時ごろ、近くの交番のお巡りさんが来た。
「早朝の犬の声がうるさくて、安眠を妨害される、という匿名の苦情の電話があった」。

うちでは、午前中の仕事時間を確保するために、4時からほぼ7時ごろまでのおよそ3時間を、保護している犬たち猫たちの世話にあてている。ゼロ歳7か月の2頭の犬は、夕方から12時間近くバリケンに閉じこめているので、早朝の排泄は最優先事項のひとつだ。そのまま外のデッキにつないで、6時ごろ朝食になる。これぐらいの子犬は、嬉しいこと(これから外へ連れ出してくれる、これからご飯だ、など)でも盛んに大声をあげる。

今の警察は、匿名の電話に対しても腰を上げる。その人の名前、住所、電話番号などは警官自身も知らない。

「何時ごろがうるさいのか。4時ごろか、6時ごろか、…」。
「単に“早朝”ということだった」
「日曜だけの問題か。それとも毎日のことか」。
「聞いてない」。

一般住宅地の中での動物愛護活動は、近隣社会の肯定的な理解と無形有形の支援がなければ維持できない。だから、コミュニケーションが何よりも重要だ。いきなり警察に匿名電話では、相互理解も妥協点の模索と確立も、そのほかの(ありえたかもしれない)予想外の前向きの進展も、なーんにもない。

数年前に、市役所への匿名苦情電話(猫が臭いとか)があったときは、説明文のちらしを作って、あたりの家の郵便箱に配布した。その後の推移を見ると、みなさん、分かってくれたか、または、あきらめてくれたようだ。今は、そのころよりも、近辺に家が増えてしまって、そんなことをするのもおっくうだ。今回の匿名電話は、最近の新しい家の住人だろう。

日本人は、テレビの画面でも、カメラ目線で自分の言葉/人間の言葉で語りかける人はほんとに少ない。下を向いたまま、原稿棒読み人種ばっかり。

えっ!、高校三年生、恋敵を殺せば、彼女が自分(殺人者)を好きになってくれると思えるのか! そんなアホな話、どんな漫画のストーリーにもないだろうが。

日本人のコミュニケーション忌避の病根はとても深い。このままでは、世界の歴史の今後の進展に、完全に置いてきぼりを食らってしまう。

参考URL: [起業機会の少ない日本], [動物愛護の社会的な意味]
------------------------------
動物愛護活動に対し、地域に自然に協力体制ができていくのが「ふつう」だとすれば、市役所や警察に通報する匿名クレーマーしか生まれない日本の地域社会は「異様」である。どうなる?、どう転ぶ?、21世紀の日本。とても、やばい感じ。
参考URL: [アメリカの民主主義], [フレンドリーな日本語の確立と普及を]


|

« トレード至上幻想 | トップページ | 「誰もがサーバ」の時代へ »

コメント

 精神病なんてのも、ほんとはコミニュケーションの問題なんだけど、ま、一度そう診断されてされると、まあ日本じゃ人生おしまいなんだよね。

投稿: bad | 2010年2月 8日 (月) 21時27分

> 精神病なんてのも、
旧共同体社会では、「無理やり病人にしちゃう」という人格虐待と並行して、「病気なのに病気と認めず治療しない」虐待もある。たとえば、自殺のかなりの割合は、(周囲による)鬱病の早期認知と早期治療により、防げるはずである。

鬱病のトリガの一つが、職域等でのコミュニケーション不良だが、こちらは間に合うタイミングで治せるものではない。さっさと抗うつ剤を服んで脳を元気にしちゃうほうが現実的である。

投稿: | 2010年2月10日 (水) 09時24分

コミュニケーション忌避の一例として、いまは作業者
同士、協力して一つの作業をすることを好まないとい
うのはどうだろう。なにか助けたり助けられたり、特に後者を
避ける傾向にあると思う。一昔前は、誰それの作業と
いう垣根が低く、誰でもこだわりなく仕事を進めてい
たが、今は手が空いてもほかの人の仕事には手伝わな
いことがある。これもコミュニケーションレスの一つ
でしょう。あるとき普通に手伝ったら露骨に嫌な顔を
されたことがある。雇用環境が厳しくなるほど、そうな
るんだろう。あるいは労働者間競争が激しくなれば
なるほど。イヤだ、イヤだ。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月16日 (日) 18時39分

そしてそれがまた、非効率を生むという悲喜劇。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月16日 (日) 20時35分

またこのトピックの具体例を一つ。具体例というのはどれも日常の小さな一場面を切り取ったものであり、恐ろしくスケールの小さいものであるが、本ブログに一番欠けているものが具体的に考えれるコメントではないかと思う。
さてそんな言い訳を書いといてからの具体例である。それはコミュニケを取るための、ベーシックかつデフォルトであり、ラジカルなビヘィビアであるアティチュードを指摘するものである。それとフレンドリーかつラブリーなのは言うまでもない。
皆さんも自転車に乗ることがあるでしょう。そのとき、歩行者通路との兼用道路を走る時もあるだろう。そんなとき前方を歩いている人の集団を見たら、あなたはどうしますか。いうまでもないですね。そう、あのチリンチリンを鳴らすのです。ためらわずにあの、チリンチリンをならすのです。あのチリンチリンこそ、あなたと他者とのメディアであります。たぶん自転車に乗るであろうiwataniさんも、必ずやチリンチリンを鳴らしていると信じます。鳴らされた方も「ああ、後ろからあのチリンチリンを鳴らしてくれている仲間が来たな」と軽くどいてやればいいのです。チリンチリンは気持ちがイイです。
これを鳴らさない人は、最近はやっている「脱法ハーブドライバー」と根底でつながっているんじゃないでしょうか。ちゃんちゃん、でなくてチリンチリン。

投稿: ohiya | 2014年7月14日 (月) 06時05分

対人恐怖症や不安神経症も、外から見るとなんでそんなもんと思うだろうが、本人は真面目に悩んでいるし、理屈では治らないのである。

投稿: bad | 2014年7月14日 (月) 16時44分

hey,mr,bad.i'll tell you my pc adress.please give me your mail.
s-seiji.01@hb.tp1.jp

投稿: ohiya | 2014年7月15日 (火) 03時30分

神経症にたいしては、森田療法という理論があるが、あれも一種の宗教という気がする。

投稿: bad | 2014年10月 7日 (火) 16時40分

中村うさぎさんの夫は対人恐怖症で仕事ができないためうさぎさんが養っているらしい。うさぎさんのブログの人生相談は役に立たない所が、面白い。

投稿: bad | 2014年10月 7日 (火) 19時39分

>不安や緊張感を無理やり打ち消そうとせず、それをそのまま受け入れて、プレゼン自体をこなすことに注意・集中を向けることを重視します。つまり、これがあるがままということです。
森田療法について、ネットで調べてチョット勉強しました。森田療法は”ありのまま療法”とも言うそうですね。アナ雪での意味とは違いますが。

投稿: ohiya | 2014年10月 9日 (木) 07時48分

精神異常てのも、それを異常と見るか、
人間としては当たり前の反応と見るかで物凄い差が出てくる。

投稿: bad | 2014年10月23日 (木) 18時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/140652/45336043

この記事へのトラックバック一覧です: コミュニケーション忌避という宿痾:

« トレード至上幻想 | トップページ | 「誰もがサーバ」の時代へ »