一般的全面的トレード強迫からの覚醒
トレードへの全員参加、どの個人もトレードに“成功”していないと生きていけない。(言うまでもなく、ほとんどの人の唯一の“商品”が、労働力としての自己だが。)
この強迫は異様であり異常である。そして、無意味に、繰り返す、無意味に、苛酷である。
トレードに参加してないやつもかなりいる、トレードにたまたま成功していないやつも常時かなりいる。それが当たり前の状態だ。しかし、だからといって不参加者や不成功者が生きるに困ることはない、のが社会の正常な状態。寒空にブルーシートのテントに寝てコンビニの廃棄弁当を食うようなことをしなくてよい。それが正常で健全な社会。
「子を作らない」と並んで、最近多い児童虐待殺も、トレード強迫の強制的普遍化がもたらしている慢性的不安が根因ではないか。
トレードは、たまの祭りだ。常態化全面化すべきものではない。人間すべてに、しかも全時間的に適用・義務化するなんて無茶、無根拠。
トレードの相対化を常識として定着すること。
この常識の上にたつ政治権力を国と世界が持つことが重要だ。
だれもやんないなら、私がやりたい。(というか、もちろん、オバマ氏ぐらいの若い人がいい。)
……おっと、オバマ氏は就任演説でワークシェアリングをやれと言っているから、トレードの相対化というラジカルな視点はなさそうだが……。
日本の今は、なさけないことに、明日に向かってのリーダーがいないぞ。
日本の民主党とアメリカの民主党、この雲泥の差。泥雲の差。
新しい第三勢力の早期勃興がぜひとも必要である。
そして、すべての社会保障社会福祉の一元化による、ケアフリー社会の実現を。
mainURLs: トレード強迫からの解放, 優しい日本を作る.
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コメント
「No Trade社会の断片ジ」
職について賃金を貰わなければ生きていけない社会はおかしい。そんなに都合よく就職口が必要人数分だけ揃っている状態が常態な訳がないだろう。(強迫されて生きていくからおかしな社会になる。)ではそんな職に就いていなくても普通に生きていける社会とは。
1 就労しているかしていないかを、見やすく表示する。
2 働く動機付けが自己利益のための動機ではない社会。これには貨幣の存在を見直すことが必至。
3 物をつくる条件に、「人体にも環境にも良いものを作る。」が入る。
まだ誰も具体的に考えていないのだから、手さぐりで行くしかないでしょう。
4 賃金を貰わなくても生きていける。
=就職していなくても生きていける。
=カネを持っていなくても生きていける。
5 働いていてもいなくてもどちらでも食っていけるが、どうせなら皆と働いていたほうが楽しいんじゃないか、という社会にする。
6 そんな社会を実現するには、全人口の食料分を保障できることが必要。(安心して生きていくため)食と医療の保証ができる社会じゃないと不可能。よって農業と医療が根幹産業となる。
投稿: ohiya | 2015年3月 8日 (日) 22時00分
7 やはり決定的に人のあいだに、上下関係・雇用被雇用関係がない。万人が等しく平等でないとムリ。(できるのか?)
8 これ以上技術的・科学的な‘高み’を目指さない。もう進歩はToo Muchである。今でも核技術、クローン技術、遺伝子組み換え、無人兵器等など人間が手を伸ばしちゃいかんところまで来ていると思う。これ以上手を出すと悲劇が起こる気がする。
投稿: ohiya | 2015年3月 9日 (月) 23時48分
「トレード脅迫とやさしさ」
この社会はトレード(雇う・雇われる)によって成り立っている。社会の存立基盤・ベースがもう刺々しい人間関係で、出来上がっている。その上じゃ、元々やさしい社会を創ろうったって無理である。針の山にいくら柔らかい布団を敷いたって、針は布団を突き破って飛び出してくる。人間関係の本当のベースを考え直さなくては、優しい社会とはならないだろう。
「お前ら生きていたけりゃ、必ずカネをゲットしろよ。そうでなければ知らねえぞ。」と脅迫されている社会のどこに、優しさがある。
生きていくにはカネがいる。そしてそのカネの存立基盤とは、・・・・。 残酷である。
投稿: ohiya | 2015年3月10日 (火) 00時21分
そしてカネの存立基盤・本質とは、・・・・。 格差社会である。
投稿: ohiya | 2015年3月10日 (火) 00時33分
「やさしい社会実現への可能性」
今現時点で、やさしい社会をつくろうとするなら、社会の仕組みの痛みを深く深く自覚することじゃないだろうか。闇雲にトレードに入ることを強制され、カネによってしか生活手段を持ち得ない現状の痛みを、強く万人が認識・自覚することによって貨幣に対する忌避・嫌悪感を持つ。間違ってもせっせと蓄財せぬように。共に皆で今を生きる、と言う事を目指して。間違っても上下・支配・ちっぽけな私欲を持たぬように。
ま〜、こんなことをくどいくらい書いたって結局は人間という種がこれを飲み込めるかどうかに、かかっているんだよなー。俺も含めてそんなに高度な種ならば問題ないんだろうけど。この悲惨を見てもしぶとく格差を求めて放棄できないなら、またエゴの精算は戦争がしてくれるんだろう。
投稿: ohiya | 2015年3月11日 (水) 04時10分
格差を求めて→格差にしがみついて放棄できないなら、またエゴの精算は戦争がしてくれるんだろう。
投稿: ohiya | 2015年3月11日 (水) 04時29分
>間違ってもせっせと蓄財せぬように。共に皆で今を生きる、と言う事を目指して。
ちゃ~ん。今回俺っちは岐阜県の板蔵の道の駅で催事をしてきた。日曜はお客さんも大勢来てくれて、おかげさんで繁盛させてもらってきました。
ということで、今回も会長とパートさんと3人で行ってきたのだが、大変楽しい旅となった。また、そのパートさんが綺麗な人で会長のお気に入りということもあり、晩飯はすごいことになった。岐阜の高山の一番街というところは、ものすごくガンコに飲み屋の多い地域である。昔金沢でホステスさんをしていたパートさんも、「これだけお店の看板が光っているのを見たことがない。」と言っていた。とにかく「小さいのも含めて120軒は並んでいる。」とタクシーの運ちゃんは言っていた。パートさんも昔を思い出したのか目をキラキラさせていた。会長同伴ということで、うまい飯も食いスナックで飲んで歌ってもロハである。(俺はうっかり八べぇである。すきなカラオケは陽水の{能古島の片思い」である。)
今回感じたことは、「やっぱりカネは使わないとダメ」ということだった。なんでこんなに飲み屋が多いかというと、高山の市民の方が当然飲みに出歩くからである。運ちゃんは「このあたりは、飲むしか楽しみがないからね~。」と言っていたけどそれでも大したものである。街がミシュランのガイドブックで三ツ星になったそうである。地元の人が地元の経済を支えているのは、いいな~と思った。
また、会長であるがあの人も確かに儲けというものにこだわるが、だけどできるだけ所得の再配分ということに心がけているように思える。それで大概どの催事場に行っても慕われているように見える。けして権力者だからだけではないようだ。そこへ行けばそこでカネを落とすし催事場のものもたくさん買ってくる。けして「俺一人の利益」は目指していないように思う。そして人への感謝も忘れない。
貨幣による弊害を減らすとは、ほんにカネを自分のために溜め込もうとはせずに、単に社会を動かすための道具として、回して行くことではないだろうかいな。そんな大金は持つ必要のない、健全の状態(社会)にしたいのであーる。
投稿: ohiya | 2015年3月23日 (月) 04時52分