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2008年12月 7日 (日)

死との完全な和解

死は、ひとつの生命を自然にお返しすることである。
それは、きれいなことであり、よいことである。

どんな死も自然死である。
自然は正規分布に似た分布の乱数ジェネレータでもある。
だから少数は若死にする。

猫は、われわれ人間よりもずっと大きく自然に属している。
昨年18歳でお返しされたトマスは、死の直前の10分間、われわれを大声でよび、われわれのとこまでわざわざ出てきて、われわれにけんめいにコミュニケーション努力をした。黄疸でまっ黄黄の、もう声のでない口を大きく開けて。それは今解釈すると、自然から、自然の中から、われわれをその一員として認めてくれたサインだ。まあ、自然がわれわれに勲章をくれたようなものだ。トマスをうんと世話し、うんと遊んでやったから。トマスはわれわれにごほうびのメッセージをくれてから、行った。

人間は、自然と本当に仲良くならなければならない。搾取や開発や抑止の対象ではなく。人間が、自然の中で本当に(そして順当に)小さくなること。そしてそのための、自然という家の玄関の唯一の大鍵が、死との完全な和解だ。その鍵をひねらなければ、和解はいつまでもない。

人間は人間社会に属しているかもしれないが、自己は、まぎれもなく、完全に、自然の神秘に属している。それを、自然にお返しするのが死だ。そはもはや、人の差配にあらず。in other words, 死は人のものではない。もっとずっとずっと大きなもののものだ。

mainURLs: 「生よ驕るなかれ」「あとから襲来する他者」「動物愛護の社会的な意味」、「優しい日本を作る」

[追記]
死への恐怖、死に対するネガティブな感情が、多くの宗教の起源である。死との完全な和解は、人類の最大の課題の一つである宗教の廃絶、一般的な脱宗教に、決定的に貢献する。

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