2009年6月17日 (水)

「誰もがサーバ」の時代へ

パーソナル化したコンピュータによるコンピュータネットワークの「あるべき本来の姿」として、私が昔 々から主張していたあり方が、いよいよこれから育っていくようだ。

その第一歩としての、「画期的なWebブラウザ」の登場を報ずる記事を読んでみよう:
[Operaが予告した「ウェブの再発明」はブラウザのサーバ化だった]

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2009年6月14日 (日)

コミュニケーション忌避という宿痾

日曜日の朝の10時ごろ、近くの交番のお巡りさんが来た。
「早朝の犬の声がうるさくて、安眠を妨害される、という匿名の苦情の電話があった」。

うちでは、午前中の仕事時間を確保するために、4時からほぼ7時ごろまでのおよそ3時間を、保護している犬たち猫たちの世話にあてている。ゼロ歳7か月の2頭の犬は、夕方から12時間近くバリケンに閉じこめているので、早朝の排泄は最優先事項のひとつだ。そのまま外のデッキにつないで、6時ごろ朝食になる。これぐらいの子犬は、嬉しいこと(これから外へ連れ出してくれる、これからご飯だ、など)でも盛んに大声をあげる。

今の警察は、匿名の電話に対しても腰を上げる。その人の名前、住所、電話番号などは警官自身も知らない。

「何時ごろがうるさいのか。4時ごろか、6時ごろか、…」。
「単に“早朝”ということだった」
「日曜だけの問題か。それとも毎日のことか」。
「聞いてない」。

一般住宅地の中での動物愛護活動は、近隣社会の肯定的な理解と無形有形の支援がなければ維持できない。だから、コミュニケーションが何よりも重要だ。いきなり警察に匿名電話では、相互理解も妥協点の模索と確立も、そのほかの(ありえたかもしれない)予想外の前向きの進展も、なーんにもない。

数年前に、市役所への匿名苦情電話(猫が臭いとか)があったときは、説明文のちらしを作って、あたりの家の郵便箱に配布した。その後の推移を見ると、みなさん、分かってくれたか、または、あきらめてくれたようだ。今は、そのころよりも、近辺に家が増えてしまって、そんなことをするのもおっくうだ。今回の匿名電話は、最近の新しい家の住人だろう。

日本人は、テレビの画面でも、カメラ目線で自分の言葉/人間の言葉で語りかける人はほんとに少ない。下を向いたまま、原稿棒読み人種ばっかり。

えっ!、高校三年生、恋敵を殺せば、彼女が自分(殺人者)を好きになってくれると思えるのか! そんなアホな話、どんな漫画のストーリーにもないだろうが。

日本人のコミュニケーション忌避の病根はとても深い。このままでは、世界の歴史の今後の進展に、完全に置いてきぼりを食らってしまう。

参考URL: [起業機会の少ない日本], [動物愛護の社会的な意味]
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動物愛護活動に対し、地域に自然に協力体制ができていくのが「ふつう」だとすれば、市役所や警察に通報する匿名クレーマーしか生まれない日本の地域社会は「異様」である。どうなる?、どう転ぶ?、21世紀の日本。とても、やばい感じ。
参考URL: [アメリカの民主主義], [フレンドリーな日本語の確立と普及を]


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2009年5月26日 (火)

トレード至上幻想

一般的な「トレード強迫」については08年12月31日の記事で書いたけど、関連して、政治家、教育者、官僚、住民と接する行政官、マスメディアなどの「上位的作為者」が持つ『トレード至上幻想』についても触れておくべきである。

たとえばマスメディアは、トヨタの売上や利益が減ったことをさも大事件のように報じる。トレードはにぎわうときもあれば、それほどでもないときもある、という淡々とした常識/良識を彼らは持っていない。真の問題は、トレード強迫〜トレード至上主義が支配する世の中では、トレードの規模がすぼんだだけで(すぼむこと自体は正常な現象の一つ!)、生きていけない人びとが発生してしまうことだ。

それに、巨大自動車メーカーの売上が無限に右肩上がりで伸びていったら、どうなるの? 電気自動車なんて、温暖化問題の発生箇所を、単に、個々の車のエンジンから発電所に移転してるだけのはず。

失業率の高騰や就職難(労働力と呼ばれる商品のトレードの規模の縮退*)についても、上位的作為者たちには「騒ぐでない!」と申し上げたい。(*:何度も言うが、トレードの規模の拡大や縮退は、お天気の変化と同じく、まったく正常なふつうの現象である。騒ぐべきことではない。むしろ、雇用をめぐる真の問題は(以下略))

トレード強迫と、それを重症化するトレード至上幻想が、人類社会のあらゆる悲惨の根因であり、もちろん、そのculminationとしての戦争の原因である。トレードを、今のような絶対唯一のmainの位置から、あってもなくてもよいone of sub(s)の位置へと相対化しなければならない。

オバマ氏は東ドイツの収容所跡に詣でたが、彼も含め、未だに世界全体が、ユダヤ人差別(等)へと重症化していく衆愚の真因に目覚めていない。…このテーマは「コミュニケーション有能への進化」で何度も何度も触れてきたことだ。

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2009年5月23日 (土)

腐壊していくマスメディア

私には外国人に日本語を教える機会が日常的にないが、もしあったら困るなーと思う文例に出くわした。某全国紙より:

〜〜が〜〜た事件で、警視庁は21日夜、同教授研究室の学生だった20代の会社員の男について、殺人容疑で逮捕した。

こういう日本語って、もとからあるのかしらん?。ふつうの日本語である「〜〜の男を、殺人容疑で逮捕した」と、「〜〜の男について、殺人容疑で逮捕した」の、意味やニュアンスの違いはなんやねん?。(後者には、なにかとてもいやらしいものを感じるのだが、うまく説明できないし、私の勝手な思いこみかもしれない。)

※: 090613: TBS TVの早朝のニュースが「〜この少年について、再逮捕した」という原稿を読んでいた。これはどうやら、警察が発表文の中で使う定型フレーズかな?

話変わって、某全国放送の裁判員制度に関するアンケート調査の選択回答項目の中に、こんなのがある:

自分には正しい判断ができる自信がない。

おいおい、裁判員は「正しい判断」を求められてるわけじゃないでしょ。「正しい判断」は、プロの裁判官にすら、いや、神様にすらできない。すべてが、相対性と対話性と関係性の中にある…という真実を人の目から覆い隠す、この某全国放送のような視点は。そして日本人をますます、(伝統的な)、対話性コミュニケーション性の遅れ/非活発性という状態に放置し固定する。

余談: アメリカでは、自動車に次いで新聞の“救済”が議会で真剣に検討されている。つまり、いよいよ、マスメディアはやばい、滅びの寸前である、ということだ。元気活発な多方向的な…日常的で相互互角な…対話性を欠いたものが大きくなって長く居座ると、腐壊していくのも当たり前か。[上院公聴会関連記事(1)][関連記事(2)

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2009年4月27日 (月)

現代日本語としての「嫁」

最近の若い男性の中には、自分のオクサンのことを「嫁」と言う人が多いようだ。

私はそれを聞いて気持ち悪いが、それは私が「嫁」という語を、古い意味でとらえているからだ。女性が古めかしい『「家」本位制』(そしてそのトップである男性家父長)に従属するという…。

かつて農村の取材で「農家の嫁不足」なんて話を聞き、「女性を“嫁”なんて概念で見てるようなところへなんか、今時の女性は誰も来ませんよ」と反駁したことがある。

ではでは、今の(一部の?)若い男性において、自分のオクサンを指すときに使う「嫁」は、どんな意味や語感を持っているのか?。それは、いつごろ、どこらあたりから使われるようになったのか?。ご存じのかたは、この記事のコメントなどで教えていただけるとありがたい。

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2009年4月16日 (木)

選挙制度の抜本見直しはなぜないか?

その答えは、(このあまりにも長寿命でくたばる気配のない)単純得票数ランキング制は、今現在の上位勢力にとって都合が良い、おいしい、からだ。

拙訳書「数の国のルイス・キャロル」の6章には、選挙の投票に関するルイス・キャロルの研究が簡明に紹介されているが、このようなラジカルでしかも誰にでも分かる正しい議論が、日本だけではない、ヨーロッパ〜全世界で長期的に、ほぼ永久的に無視され続けている。

昨日(4月15日)、「森田健作氏を告発する会」が千葉地検に告発状を提出した。仮に森田氏があらゆる点で無罪の人物だったとしても、選挙の制度が…たとえばキャロルの主張するがごとく…まともだったら、近年、人と意識の都市化が進んでいる東京隣接県で、こんなだせぇ(無能を絵に描いたような*)オトコが知事に選ばれることはなかっただろう。

*:おっと、東京都の現知事も、まさにこのジャンルのオトコのようだが。

参考URL: 現行選挙制度の欠陥について
     首長・議会の(無意味な)二元制を廃棄する件について

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2009年2月10日 (火)

正しい他者観のために(1)

Google Book Searchのモバイルバージョン(つまりケータイ用)について、とても若い(20代前半?)と思われるライターがブログ記事で:

Google is using an extraction technology called Optical Character Recognition (OCR), that captures and formats the text from the page so that it can be easily viewed on a mobile browser.

そしてOCRなんてとっくによく知ってらー、という世代の日本人読者A氏が:

OCRのことを
an extraction technology called Optical Character Recognition (OCR)
って、やめてほしいな。もちろん間違ってはいないけど何を今さら。

と(そのブログとは別のところで)コメントしました。

これに対する私のコメントは:

がっはっは、OCRについて「何を今さら」と言えるのは、ある年齢以上の世代じゃ。
いまのシトはスキャナーも知らんぞー。
人の言葉を自分の価値観で判断しないこと。

これに対してA氏は、OCRという語の陳腐化を認めたうえで、最後に:

> 人の言葉を自分の価値観で判断しないこと。
ははーっ。肝に命じます。

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私の言うこと/書くことが、これほどシンプル&即座に理解されることは珍しいので、嬉しいと同時に、ちょっと拍子抜けしました。でもこれは、いまだにレアなケースであることは間違いないでしょう。多くの日本人やメディア等の実態を見ているかぎり…。(土俵上のガッツポーズが、なんでそんなに悪いんだよっ!?!?。その人(朝青龍)の(人畜無害な)コトバじゃん。わんわんっ!)

mainURL : 言葉の相対性原理

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2009年1月25日 (日)

「自己」のpure and stark-naked aloneness

犬や猫のお世話をしながら彼らとつきあうことは、まず相手が、pure and stark-nakedなalonenessであることの再認から、そのまったく同質のalonenessが私の「自己」認識として自覚化されてくることである。

それは、自然の中に野生の生活がありえる動物を“ペット”として飼うという、一種のあからさまな動物虐待の対極にある、「イキモノとのつきあい」である。家畜の中でも、今の犬や猫の置かれている無用性、邪魔者性、それでいて立派にタマシイとココロを持っているという性質が、そのpure and stark-naked alonenessを際だたせる。(またお馬鹿な反論が今から予想されるが、ここで今から予防線を張っておくのはツカレルのでやめておこう。)

また、ヒトと彼/彼女(犬や猫)とのつきあいには普遍的に、そういうpure and stark-naked aloneness同士の対峙があるが、ただ即自的にそうあるということは重要でない。ヒトの自己認識が純化されるという対自的な相でこそ、そのつきあいには重要な意義がある。

この宇宙の唯一最大の神秘である「自己」は、本来、天涯孤独で寄る辺なき身である。それを英語で言うなら、pure and stark-naked aloneness、ピュアでマルハダカ…なにも持ってないなにも身につけていないなににも帰属/所属していない…の孤独、となる。犬たち猫たちを鏡として、そういう自覚を持つということが重要である。(「純粋」というあまりにありふれた漢字熟語と「ピュア」という片仮名日本語の語感が、全然違うところがおもしろい。)

そして、真の愛と真のコミュニケーションは、そういう自覚を持った者同士の間でしか始まらない。正しい、真に親和的な自然観(そのごく一環が正しい死生観)もまた、そういう自覚を持った「自己」のみが持ちうる。

mainURL-1: 「犬と猫」
mainURL-2: 「動物愛護の社会的な意味」

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介護の資格化に猛反対

医療費削減の鍵は、わざわざ医師に診てもらうまでもない症状への対応に関して、一般庶民が知識と技術を共有することである。医師が情報を独占しないことだ。どんな田舎でも、病院だけは連日異様に繁盛している現状は異常だよ。今の医療のありかたは、人間の不活性化に寄与貢献している。

で、介護も、本人や家族や地域の人びとが、「やり方を知ってる」あるいは「知ることができる」という状態を広く実現することが何よりも重要である。施設でも、そういう人がパートで働けばよい(同地域人がいいね)。専門家は、経験豊富な指導者が少数いれば、それで十分だ。それも、その人によっては、無資格者でもかまわない。被介護者の幸せって、何だ?。みな、それを第一に考えてんの?。

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2009年1月22日 (木)

Beat must go on! Here in Japan!

小室哲哉の裁判のニュース見てるとあらためて思うこと。今でも日本人の約9割は、オフビートが分からない体質だよ。田舎では9割9分かな。小室という人の(あのまったくつまんねー)音楽、あるいはいわゆるJポップ一般、日本でバカ売れて世界市場でさっぱりという、特異なものすごい断絶現象は、このビート体質issueと密接な関連がある。

オフビートもブルーノートも体質的にわかんねーんだから、私なんかが書く文章もほんとはまったく分かってない。全身きたねー誤解まみれの状態で、まったく見当外れの批判など、きたねー言葉で書いてくるんだから、たまらんわ、日本のイナカモンは。なんかわかんないけど、私みたいな人間に対しては、どうしても村八分にしたい煙たさを感じるんだろうね。日本全体、すみずみまで、カフカの「城」でっせ。

(ときどき、そういう日本的onbeat体質の人がバンドのドラム志願などでやってくると、いつものごとく、悲惨で滑稽なことが起きますね。)

日本は21世紀、文化人類学的に「日本沈没」となるのか(麻生太郎を見てるとそんな感じ)。起死回生の奇跡が起きるのか。私は、後者を信じて発言を続けるしかないでしょうね。9割ったって、アホで不活性の9割だから、それほど深刻なissueではないという気もします。

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