2022年6月23日 (木)

今月のポジティブ202206r2: 社長が会社の柱なら末端パート労働者も同じく柱(どっちも欠かせぬ)

パプアニューギニア海産の労務管理改革

そして

その社長の著書

管理者/被管理者という権利落差のない「おみこし的」な組織が展望される。展望だけでも、革命的ですばらしい。

 

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2022年6月19日 (日)

食べログ問題とネットワーク社会の正規化

今日なお、インターネットユーザーの多くが、「ネットワークのノードはそれぞれ平等互角に一者である」ことの認識と自覚を欠いている。

一者であることの認識と自覚があれば、たとえば、食べログというサイトを権威視する必要はなく、実際、権威でもなんでもなくて、ただ、「食べログという名前のサイトがたまたまABCというレストランをネガティブに評価している」という、無味無臭な事実が残るだけだ。ABCレストランの評価については、ネットワークユーザーは、もっとほかの評価サイトや個人グルメサイト等を見て総合的に評価すればよい。

特定の一者サイトが、どんなアルゴリズムを使っていようが、そこにどんなユーザーの評価が集まっていようが、最近、評価点を得るためのアルゴリズムをどう変えていようが、すべてはその一者の自由であり、自由な一者に対して裁判で弁償金を請求するなど、典型的にネット音痴の、とんでもない話だ。いやしくもネットワークユーザーは、たった一者のサイトの評価など、『参考にする』程度にとどめるべきであり、それに自己の行動を完全に左右されるべきではない。

「食べログはこう言ってたけど、XサイトやYサイトの評価は良かったぜ、ABCレストランの評価については、Pさんもおもしろい話をしていたな」、ネットワークのこんな相対的な利用の仕方をしっかりしなけりゃ、いつまで経ってもきみたちはネット幼稚園だ。たったの一者に、それだけに、行動を決められるなんて。

特定の一者を、権威者扱いしてはならない。ネット上に権威者はなく、むしろ、すべてが相対者である。権威者扱いするから、損害賠償とかおかしな話になってくる。何をどうしようが、堂々たる相対者としての一者であり続ければ、それでよろしいのじゃ。

市役所の回覧板サイトのようなものは、複数あって内容がバラバラでは困るが、レストランの評価なんてむしろ、多様でないと困る。ユーザーはそれらを見て、自分の好みに合った店を選べる。

食べログの場合は、自己を相対化できず、むしろ権威者のような、間違った位置づけをユーザーともども選んでしまったのが、錯誤の第一歩だった。この不健康な錯誤は早急に修正する必要があり、そのためには食べログ(やその他のレストラン評価サイト)は、各店の評価点の近辺に主な他サイトの評価への小さなリンク集を置くことを、義務化するとよい。そうすれば一箇所から、複数サイトの多様な評価を知ることができて、ユーザビリティーも大きくアップする。

 

 

 

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2022年6月15日 (水)

うーむむむ…

QuoraのポストはURLを取れないので、メッセージだけを引用します:

「ロシア-ウクライナの問題を詳しく調べるとウクライナ側にもじゅうぶん非があるように思いますが、日本国内ではウクライナ同情論が主流です。なぜですか?」

これらのビデオは、その出来栄えからして、フェイクではないと私は感じます。

「https://www.bitchute.com/video/TRA1W61xvaPJ/」

上のURLで見れなければ、下のYouTubeビデオを、字幕を日本語にして見てください。

「https://youtu.be/b8j0tJsKltg」

もちろん、'「'や'」'はなしです。

ロシアからのU国東部入植は歴史の長い話ですから、ロシア系住民という分類の正規の国民として、平和共存以外の道はいまさらない、と私は思います。

以下は、このポストに対するコメントの一部です:

「ウクライナは、『一方的な被害者なのではなく、加害者でもあった』ということにも(ゼレンスキーは)触れてほしかったです。なぜなら、それを知ったからと言って、ロシアへの非難は変わらないからです。」

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(付録)

中国の新興経済ブーム(やや古いが)

 

 

 

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2022年6月 9日 (木)

個人の現実の複雑多様性と、それに対する援助の仕組み

新型コロナウイルスによる病疫の蔓延により、仕事と収入を失った中小企業や個人事業主を支援する給付金制度の悪用で、巨額の詐欺事件が発生している。ひとつは、詐欺犯罪のベテランのような犯人がついにインドネシアで捕まり、もうひとつは、なんと、税務署職員が犯人だ。

でも、犯人たちのこの顔ぶれを知ってなるほどと思うのは、この制度の複雑性と単純性だ。複雑だから界隈の一般庶民や零細企業には対応が難しいが、こんな助成制度の仕組みをよく知っているベテランにとっては、認可のための条件を偽造等により簡単に多数揃えて、犯行を比較的簡単に大量複製していける。だから、合計の総犯行額はあっさりと巨額になる。

何が“複雑”か、受給応募者が揃えて提出すべき必要書類の部分で見てみよう:

1)本人証明(マイナカード、運転免許証など)
2)確定申告(数年ぶん)
3)事業業績データ(売上台帳など、数年ぶん)
4)入出金推移データ(銀行の通帳、数年ぶん)

これらは、犯行に慣れている人にとっては、偽造とその大量コピーの作成が簡単にできる。しかしところが、現実の個人事業主や零細企業主にとっては、偽造はもってのほかであるし、しかも本物のデータを揃えることがなかなか難しい。とくに上の3)と4)が難しいし、2)もひょっとしたら難しいだろう。経理事務を毎日毎年きちんとやっている個人や零細企業主は、なかなかいない。

つまり、この給付金の仕組みはユーザーにとって義務が過重で不親切であり、大量犯行を狙う犯罪者にとっては単純で便利だ。

実は、かく申すこの私(岩谷宏)も、これまで翻訳作業を提供してきたTechCrunch Japanというテクノロジー系のブログが3月いっぱいで突然廃刊になり、突如、無職無収入になってしまった。私のような高齢者にとって、次の仕事なんて、そう簡単にはない。しかも私は無年金者だ。そこで国の救済事業を探したのだが、上記のように、自分の経理データをきちんと提出できるもんでないとだめ、と分かった。そんなデータが完全にきれいに揃ってる個人って、世の中にそんなにいない!っちゅうの!。

困り果てていたところ、ロッキングオン時代からの“生けるメディア”橘川幸夫氏が、私の過去の未発表稿のための有料マガジン を、ネット上に素早く作ってくれた。最初それは、「70年代ロック英語辞典」という特集記事でスタートした。毎月の購読料が1000円だが、それぐらいふところに余裕のある方は、ぜひご援助願いたい。

また、犯罪防止のためには、本人性(identity)の偽造や同一個人同一企業の複数回応募を防ぐことは、今でもできるはずだ。そして遠い将来的には、マイナンバーカードはマイデータカードにレベルアップすべきだ。

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ついでながら、世帯向け給付金では例の4360万円の件ですが、だいたい、1世帯ないし1個人に行くはずのない金額を、そんな金額の入力と出力を、なんでソフトウェアシステムがチェックせず、黙って通してしまうねん? 当たり前のI/Oチェックをしてれば、あり得なかった事件でしょう、これは。このかんじんの問題を、どっこのマスコミも取り上げないのは、なんでやねん? そんな根性じゃ、類似事件が今後なんぼでも起こりまっせ!

 

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2022年6月 7日 (火)

言葉のガラパゴス化: 「暗号資産」は間違い「暗号通貨」が正しい

cryptocurrencyの公式の日本語訳語として「暗号資産」が定着しちゃったようですが、currencyという語はあくまでも「通貨」であり、それ自身に資産という意味はありません。そもそも、暗号通貨の初期の発明者たちは、通貨の全世界一本化、すなわち全世界共通通貨という理想を目指していたのであり、 「暗号資産」 という妙な言葉からは、そういう重要なコンセプトが消えています。

Bitcoinをはじめとして、初期の暗号通貨の多くがまるで投機資産のように扱われていたので、流通性の媒体である「通貨」という語を避けたのかもしれませんが、でもcurrencyを直接、資産呼ばわりしてしまうことは、本来の目的であり理想である世界共通通貨の誕生と成長を阻害するでしょう。

そういえば、タンス預金に執着するどこかのおばあちゃんにとっては、お金はあくまでも資産の媒体であり、貨幣の本来の機能である交換や流通の道具ではないです。でもそんな貨幣は、年月がただの無価値な紙切れにしてしまいます。

暗号通貨の技術が今後もっと成熟して、世界通貨として万人が安全に利用するようになったとき、暗号“資産”に執着する日本は、その重要な波に乗り遅れてしまうかもしれない。

なお、Wikipediaの日本語版は、今日まで一貫して「暗号通貨」という語を採用し、「暗号資産」 という日本独特の珍語を退けています。 currencyが資産にされてしまうのは、日本における、今後のグローバル通貨技術の普及進展を阻害するだけでなく、英語教育上もよろしくない! 単純に、間違った語意だから。

ブロックチェーンというデータ構造とその上のcryptocurrency、すなわち暗号通貨の交換に込められている、貨幣の世界化という理想を、日本人も見忘れるべきでない。

currencyという平凡で日常的な英語の語は、どっからどう見ても、それ自身は資産ではない! 通貨、貨幣、お金であります。資産の額は表す…表現・代表する…が、資産そのものではない。

以上のまとめは、1)currencyは通貨であり資産の意はない、2)創始者らの意図は通貨の世界的共通化だった、3)ゆえにcryptocurrencyの正しい訳語は「暗号通貨」であり、「暗号資産」ではありえない。となる。

 

 

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2022年6月 1日 (水)

今月のポジティブnr1 0601: 「平和の原動力は婦人の心の中にあります。」

戦犯(とされた)山下奉文(やましたともゆき)氏の、処刑直前の遺言は、WikipediaやQuora など、リンクでご紹介すると、将来のリンク切れというおそれも十分にあるので、ここに(ほぼ)全文を引用した方がベターだろう:

1つ目は、日本人が倫理的判断に基づいた個人の義務履行。

「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。

此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」

2つ目は、科学教育の振興。

「敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとへ破れたりとはいへ斯くも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが出来たであらうといふ事であります。私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。」

3つ目は、女子の教育。

「従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人のそれと何等変る所のものではありませんでした。この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。皆さんは旧殻を速かに脱し、より高い教養を身に付け従来の婦徳の一部を内に含んで、然も自ら行動し得る新しい日本婦人となって頂き度いと思うのであります。平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。」

4つ目は、次代の人間教育への母としての責任。

「私のいう教育は幼稚園或は小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時を以て始められなければならないのであります。愛児をしっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時何者も味う事の出来ない感情は母親のみの味いうる特権であります。愛児の生命の泉としてこの母親はすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし又動物でも与えられようし代用品を以ってしても代えられます。然し、母の愛に代わるものは無いのであります。

母は子供の生命を保持することを考へるだけでは十分ではないのであります。

子供が大人となった時自己の生命を保持しあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。

………これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。」

とくにここで注目したいのは、婦人、すなわち女性が、one of言及項目の一つとしてではなく、基本的『大原理』の一つとして言及されていることだ。愚かな戦争と悲惨な敗戦の上位責任者の一人だった、山下元陸軍大将は、最後の最後に、「やっぱ、オトコはあかんわ!」とつくづく悟ったのではあるまいか。なにしろ日常的にも立派な人物だったので、その裁判とも呼べないひどい裁判の過程でも、米軍将兵の多くからも氏は尊敬され、慕われたそうだ(Wikipediaの記述による)。

 

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2022年5月27日 (金)

論理力の貧困を解消せんとやばい!

具体例はあまりにも多すぎるので、ここではあえて、非常に形式的抽象的に書きたいと思うのですが、インターネット上の粗悪投稿で多くの比率を占めているのが「論点の勝手なずらし」です。このブログのコメント欄も、ときどきこの種の無用な論理汚染の被害者になっています。

それは最初の投稿者がxyz(abc)、すなわちabc文脈におけるxyzについて書いていると、それへの応答としてxyz(def)、すなわちdef文脈におけるxyzを論じて、最初の投稿者への批判や反論とするものです。批判の対象となっているxyz(def)の発言者は、その時点ではあたりにいませんから、それは、存在しない者に対する批判反論等となります。

彼彼女は、自分の想像に中に作り出した、実在しない、仮想の敵を叩いています。言葉遣いだけは、妙にいやらしいものや、険悪or高圧的なものが多いです。そのような言葉を他人に対し威圧的に使うことに、なにか快感があるのだろうか。

というか、彼彼女は、xyzがabcという文脈で存在する、自分とはまったく異なる、他者の存在を想定想像できない。世界の全員がxyzといえばその文脈は誰しもdefだ、と勝手に信じている。

すなわち彼彼女は、def村の村民であり、ココロとアタマがその村から出ていない。xyzと言えばdefのそれに決まっている、というアタマしかない。そのココロとアタマの中では、人間像が多様化していない。

そんな人物が国の独裁者だと、怖ろしいことになりがちだし、日本でも近い過去にそんな怖ろしい状態があった。昨今のいじめも、村人による非村人に対する虐待行為が多い。

オリジナルの発話者はXYZという含意でABCという言葉を使っている。ところが聞き手や読者の某氏はそのABCをPQRという含意へと理解つまり誤解し、その誤解に基づいて発話者を非難したり、間違った了解を持ったりする。

システムの不祥事の連発がめちゃくちゃ多かったみずほ銀行に、金融庁監督局というお役所が業務改善命令を発行しているが、その説明文書「みずほ銀行及びみずほフィナンシャルグループに対する行政処分について」(R3 11月26日)の中で不祥事連発の「真因」を4点挙げている:

(1)システムに係るリスクと専門性の軽視
(2)IT現場の実態軽視
(3)顧客影響に対する感度の欠如、営業現場の実態軽視
(4)言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない姿勢

とくに最後の(4)がおもしろいが、上記4項とも、コミュニケーション能力の貧困、コミュニケーション能力の、最初からのやせ細りが原因だ。巨大銀行3行の合併が孕む、複数の強力な村根性が、全行的コミュニケーション貧困の原因だったかもしれない。

それら不祥事の多くには、過負荷状態の予知対応能力の欠如が関係しているようだが、世界観の狭い村人根性がここにも関係しているかもしれない。本当のシステム統轄者が、いなかったみたい。

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2022年5月18日 (水)

今月のポジティブ(2205-1): 市民と政府の両方に説明責任がある台湾のデジタル化

この記事は台湾のデジタル相オードリー・タン氏とジャーナリストの堤未果氏の対談ですが、台湾における社会的デジタル化の進め方の部分が興味深いので、このリンクが壊れていてもどこかで探し出して読む価値はあると思う。

私の昔々の訳書に「IBMコンパチ機の作り方」というのがありまして、今なら‘コンパチ機’のところは‘互換機’になるでしょうが、なにしろこれは、IBM PCと同等のPCを自作手作りしよう、というアメリカで出版された一般大衆向けPC本の訳書です。手作りパソコンのベースとなる部品はすべて、台湾製です。

かんじんなのは、こんな本が日本やアメリカで出版され、多少売れるのは良いとしても、手作りPCを作るためのパーツやコンポーネントはこの日米二国ではまったく作られ売られていないことだ。当時からすべて、台湾製だ。(メモリやプロセッサーなど汎用・多(他)用途の半導体は日米の大手が作っていたが。)

そして今や、半導体でも最終製品(PC、スマホ等)でも世界のトップは台湾勢ないし、中核の部分に彼らがいる中国勢だ。

私が言いたいのは、「草の根の威力」ということ。

そしてここで取り上げる台湾の社会的デジタル化も、草の根的であること。そのため、個人が社会に対して責任があると同時に、社会(〜政府)は個人に対して責任がある。そんな構造の実装として、デジタル化を進める。

非常に単純化して言うと、既存の分厚い産業構造があって、そこに潜り込むための競争に勝つこと(==競争社会)が人生の目標とされる日米と、何もないから自分で何かを作り出さなければならない台湾の違いが大きい。(ただしアメリカでは移民やその子孫という、非体制的な部分がある。そこが移民排除国ニッポンと大きく違う。)

新しいものが生まれ育つのは、当然、既存部分が希薄な後者からだ。そこでは政府など上部構造が強いだけでなく、平等に民間部門も強い。両者同格になり、同格をベースにシステムが構想され実装される。

そして、日本のデジタル庁という、わけのわかんないお役所は、「国民総参加」という匂いがゼロで、従来のお役所仕事を、論理構造は既存のそのまま、機械化合理化効率化する、程度の匂いしかない。新しさや、それに対する期待がない。

情報化、コミュニケーションの全面的円滑化を、狭い牢屋に拘置したままで推進されるお役所仕事のデジタル化。夢がない。とくに国民の側の。

(競争社会で勝ち抜いてきた連中ってのは、それが社会の揺るぎなき骨格である、という視野しか持ち合わせていない、と思われる。)

というわけで、これからの日本の子どもは、今のこの国の狭域的競争社会にバイバイ別れの手を振って、広域的参加社会を目指した方がええんとちゃうかな。草の根が、まず徐々に、グローバルに散在的に作られていけばよい。

 

 

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他者不在: 子ども編

いまどき、こんな話を書くのは遅すぎるかもしれないが、でも数名の読者の今後の生活の役には立つかもしれない。

子どもは、自分が今いる環境の構造的・論理的な把握力理解力が未熟なので、自宅までほんの数メートルの距離でも迷子になってしまい、あらぬ方向へどんどん行ってしまい、より深刻な迷子になってしまうことがある。

重要なのは、外では「絶対に子どもから目を離さないこと」である。うかつに、子どもの認知能力を過信してはいけない。

車の教習所では、「だろう運転をしてはいけない」と教わるし、とくに子どもや高齢者は「次の瞬間に何をするか分からないし、彼らが次にどう動くかを予測してはいけない、予測に基づいた運転をしてはならない」と叩き込まれる。外で子どもから目を離すことは、たとえ一瞬でも、これと同種の危険を招くことになる。

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2022年5月11日 (水)

他者不在: 戦争編

平凡で普通の常識人として今回のロシア→ウクライナ侵攻を見たとき、いちばん気になるのは、ミンスク合意(「ミンスク議定書」)と呼ばれる合意事項を一方的に無視したU側に事件の責任はないのか、ということだ。そして、プーチン氏は、合意の破綻が侵攻のトリガ(引き金)だったと公言している。

これまでの報道では、U側がその議定書を無視し守らなくても当然、と言えるほど(世界が公認できるほど)の状況はなかったようだ。当初、東部の一部集団の暴走としても、U政府はそれを抑止しなかった※。事態は破綻へと向かっていった。

※: そこでプーチン氏から「ネオナチ」とか「テロリスト」などとレッテルを貼られる。とんでもねーと思っても、何しろ相手の受け取り方がそうなのだ。

議定書の無視にアメリカがどう関与したのか。「そんなのいいよいいよ、無視無視」と米がU政府上部に対して言ったのなら、米は重大な共犯者だ。合意を無視した状態を問うことなく、武器だけをぎょうさん提供し続けている現状も、ある種の共犯行為と言えるかもしれない。

いずれにしても、U現政権や米のように、「そんなの、大したことあらへん」という気持ちと、彼らにとって他者であるR側の受け取り方には、すごい厳しい乖離がある。他を理解するとは、そういうこと。

言うまでもないことだが、自分だけの一方的な気持ちというものは、全世界に通用しないのが普通だ。国家の立派な政治家であり、またその優秀なヘルパーでありたいのなら、自分らとは違う「他」をよく理解することが、良い政治、良い外交の第一歩ではないか。

追記(220512): ウクライナの学者や研究者の中にも、今のゼレンスキー大統領を「彼のやり方ではいかなる外交的解決や政治的解決にも行きつかない」と批判する声がある。たとえば、Olga Baysha氏

 

 

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