2019年12月13日 (金)

他者不在、病人編

十分な書くひまもなくて、あれですが。

同じように目も鼻も胃袋もありながら、人と猫や犬は互いに完全に他者である。猫に、人と同じ律し方は通用しない。

病人は、健常人にとってかなり完全に他者である。

あの、元高級官僚のおっさん(というクソオトコ)は、自分と同格の、ふつうの人としての律し方を貫くという間違いを、まさに“致命的な”レベルにまで適用したアホである。

どんな病人も、できるだけ早めに医療の下に置くのが、唯一の正解である。

うつ病の人などをめぐっても、今だに、ふつうの人視のもとに、アホな議論が絶えない。もっともらしく、生活の細部をいろいろ挙げ連ねたりばかりして、早期医療を全然与えないアホ取り巻きども。

人類の他者不在は、まだ、どこまでもどこまでも深刻である。なんとか、常識のベースを他者常在にしなくてはならない。

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2019年12月 6日 (金)

農業基盤整備はときには地域に投じられた諸刃の剣

今週は、本ブログのための“肯定的なネタ”を探すのに、まったく苦労しなかった。

中村哲:

「平和に武器はいらない」

でも、途半ばにして殺られないためには、非常に充実した、とことん充実した、コミュニケーションはいったのではないか。

結果的にやり方に、「他者不在」の側面があったのではないか。

 

海外での活動を志す人は、何よりも重要なのがコミュニケーション、これをキモに銘じてほしい。

 

 

 

 

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2019年10月28日 (月)

セクシーなピアノ音楽Natalie Schwamova

現状のインターネットはご存知のとおりの惨状だが、そもそもBBSの時代からネット上にはアホな日本人が蔓延している。アホの原因の一番目は、ひとの言葉をその人の真意で理解しようとせず、自分の解釈のみを是として責めたりすることだ。

言葉を発言者の真意で理解しようとすれば、オープンな態度での対話や会話、その積み重ねを必要とする。コミュニケーション不能・他者不在の旧人類のもっとも深刻な欠陥が、対話性/会話性の不在だ。対話と会話の手段であるはずのインターネットが、そうなっていないから、惨状が蔓延する。また今のインターネットの圧倒的に多い使い方であるWebには、管理機能がほぼゼロだから悪用も蔓延する。

で、セクシー、sexyという言葉は、最近ではいろんな人がいろんなニュアンスで使うようになった。それらの中には性とは無関係な含意も多い。でもそんな使い方でさえ、わざわざsexyという語を使うのは、性は本当はすばらしいものである、という無意識の認識が背景にあるのだろう。

そしてチェコ出身のNatalie Schwamova(ナタリー・シュワモヴァ)のピアノ演奏は、性的と非性的の両方の含意でセクシーなので、ご紹介すべくここに記事を書いている。その感覚をもたらしている最大の原因が、フレーズとフレーズの間に入るとても短い、自然な、そして本来のリズムを外さない「ため」にある。凡庸な音楽評論家なら「ルバート」の一語で片付けてしまいそうだが、ルバートのように長くなく、重要なのは、作為性がないことだ。その自然な、おそらく本人も無自覚な(彼女の気持ちでは音楽表現上必須な)「ため」で、これまでの西洋クラシック音楽の演奏になかったビート感を音が持ち、聞き手に独特の快感を与える。セクシーの、すべての含意の。

本人が自分の名前のYouTubeチャンネルを持っていて、動画もたくさんあるが、初めての方にはショパンの英雄ポロネーズ

ソナタ3番  がおすすめ。だんだん存在理由を失って、つまらないものになりつつある西洋クラシック音楽に、新しい生命と意味を与える演奏かもしれない。近年、女性ピアニストの演奏は徐々にそういう新しいタイプの表現になってきてるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年10月27日 (日)

地域全体の防災力

今回は車の中に閉じ込められた状態で亡くなった方も何人かおられるが、同じく車が道路冠水で動けなくなったうちの家族は、たまたま近くの自動車販売店に避難できて、全員で10人近くの避難者が、暖房の温度のアップから温かい飲み物の提供まで、さんざんお世話になったようだ。車屋さんなので、動けなくなった車の後始末もやってくれたらしい。だいたい、今の車のディーラー店は、一階がショールーム兼喫茶店のようになっている。

そもそも道路が冠水して川状になっていれば、車でも徒歩でも、行政が指定する避難所に行くことは、多くの人にとって不可能だ。

今回はたまたま、地域の商業施設がとっても親切だった、という例だけど、災害多発国になってしまった日本は、各地域の全体が物的にも人的にも防災対応力を持つことが必要だ。

防災の概念と実装の抜本的見直し。その重要要素は複数あるが、地域全体の防災力も確実にその一つだ。

今思いついたのは、宅地や住宅を売る者には、最初に防災要項の提供を義務付けるべき。タワーマンションなんて、地下に浸水したらたちまち機能停止なんて、お粗末すぎるよ。しかも、買う人は買うときにそんなこと知らない。

おっと、その親切なディーラー店は、トヨタのNetz店でした!!

 

 

 

 

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2019年10月13日 (日)

MMTを最初から忘れる

私は、MMT(Modern Monetary Theory, 現代貨幣理論)のこと自体は本当はどーでもえーと最初から思っております。というより、経済学の諸概念には、不学の私によく分からないものが多い。

ただ、あれって、金利操作だけで経済振興はできない、適切な(==インフレ制約の下での)財政出動が必要、と言ってるんでしょう? それは、当たり前だと私も思う。

今、日本、アメリカ、世界全体、貨幣経済のグローバル化で格差貧困の広まりと深刻化がある。セーフティーネットとしての強力な財政出動が必要であることは、ほとんど常識であり、安倍川餅があまりにも長年怠けてきたことではないだろうか。子どもの貧困、飯(めし)食えない子どもたち、彼はそれを自分の罪科だと自覚しない。

今後は、MMTなんて言葉は忘れてしまって、今の社会の喫緊の重要課題に正面から向き合ってほしい。どうやらMMTは、ほぼ永遠の重箱の底的論争ネタらしいから、忘れてしまった方が良い。

特定の(学問的?)固有名詞でなく、一般名詞で今の社会と経済の課題を語り合っていくべき。

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災害と他者不在

うちは世話すべき犬猫がたくさんいて、身軽な避難などできないから、毎度々々台風の被害が軽微ですむことを祈るんだけど、でもそれがもし、「台風のルートが逸れますように」だと、かなりまずい。そのことは、以前、節分の「鬼は外福は内」のところでも言った。不幸は、他人のところへ行くぶんはよい、となる。

犬猫や家畜等だけでなく、病人や高齢者がいて身動きできないところもたくさんある。

具体的に書くとたくさんありすぎるが、行政も民間レベルも防災の細部のレベルアップの課題は多い。

だいたい5〜6年前から、地球温暖化のギアが一段上に上がったと思うが、台風が日本までの旅路でほどほどの勢力まで弱まるのでなく、南の海における強さのままやってくる。つまり日本近海の海が十分に暖かい。マンモス台風やモンスター台風が、異状ではなくレギュラーになる。それを阻止する要因は、私には思い当たらない。

ということは、あらゆる面で生活のインフラの基調を変えなければならない。長い年月はかかるが、研究開発のスタートを含めて、迅速にやってほしい。

立法にも行政にも、そろそろグレートな人材による世代交替が起こってほしいわ。ほんまに。

 

 

 

 

 

 

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2019年10月 1日 (火)

やはり女性が優位に立つべき理由

それはやはり子孫を産み育てる責任から、乱暴な思想は持てないということだろう。

今日の感動は「失業率がメインの経済指標のひとつであったり、経済政策の主要要素ないしツールのひとつである現状は残虐」でした。

それを語った女性は、ボトムアップが重要と言っていたので、ここでも一部のYouTubeビデオをご紹介して、ボトムアップの一助としましょう。

---ステファニー・ケルトン氏インタビュー by 三橋貴明---

第一回:概論 MMT(現代貨幣理論)(7/17配信)
https://youtu.be/sJG7gqRbsAI
第二回:MMTと日本経済の謎(7/19配信)
https://youtu.be/1GmSBTFKeKo
第三回:MMTポリティクス(7/22配信)
https://youtu.be/6NeYsOQWLZk

3本合わせて、1時間ぐらいです。あくまでも経済学者である、という限界はあります。でも、それを超えておもしろい。

 

 

 

 

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2019年9月16日 (月)

災害地になってみて、あらためての感想

気候変動による日本などの災害の増と、経済変動による同じく日本などにおける経済格差の増は、「新しい現象なので抜本的かつ広範な対策がまだない」という点で共通している。

メジャーな、あるいはメジャーになりそうな政治家たちに、今の所、この問題に気づいているような人も見当たらない。でもせめて次世代には、政治家の意識も必ず変わらないと困る。

私が今住むC県は、今もまだ災害による異変の渦中なので、ごたごた書くことは措きたいが、象徴的で比喩的な話をひとつ: 屋根の瓦って、あんなに簡単に一気に大量に飛んでしまうものなのか?!

建築基準法というと、しろうとは今だに、「昭和30年代の法律」というイメージを持ってしまうが、災害の増加と激甚化という今の現象に対しては、たとえば「屋根の素材/構造/強度の基準」も新しくなるべきだ。自然への態度、姿勢を変えることも含めて。

日本も世界も、新しい課題がたくさんある、という時代に入りつつある。困難なやるべきことがたくさんあるのは、たいへんであると同時に、次世代の大きな生きがいになると思う。

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うちはラッキーにも、瓦が飛び去るような大異変はなかった。でもこれぐらいのタイフーンがC県の隣のT都を襲うことも十分ありえる。

 

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2019年9月 3日 (火)

他者をその他者として認識する良書

この本(ケーキの切れない非行少年たち/宮口幸治)、たぶん本書そのものよりもAmazon上の読者コメントの方が参考になると思う。

これ(家族という呪い (加害者と暮らし続けるということ) /阿部恭子)やこれ(反省させると犯罪者になります/岡本茂樹)も 、そういう意味での良書のひとつ、と言えるかもしれない。

まだ、本当の意味での防犯の取り組みは、始まってすらいない。平均的常人とは違う他者が、認識のゴミ捨てに棄てられたままになっている。それでは、防犯にならない。

警察がひまでひまで、毎日麻雀ばかりしてる時代は、来ないのか。毎日、警察が忙しすぎるよ。

 

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2019年9月 2日 (月)

語尾上げの無意識的な含意

語尾上げは、このブログまたは前身であるエッセイ集「コミュニケーション有能への進化」で取り上げた記憶もあるけど、今日たまたまググってみたら圧倒的に否定的意見が多いのに驚いた。とくにオトコどもは全員、強烈に語尾上げを悪者扱いしている。というか、検索結果ページを数ページ見ただけでは、そこに肯定的な意見はゼロだ。

現代特有の語尾上げ現象は、英語など他の国にもあるし、私はそこに勝手に、肯定的なものを感じている。

つまりそれは、一方的に喋るのではなく、「他者を意識している」ということだ。つまり、軽い問いかけである。「じゃない?違う?」という。

なにしろ人類は今後ますます、他者不在を卒業して他者をきりっとした他者として屹立した存在として認めなあかんくなっていくのである。

宗教の伝道なども、語尾上げの「じゃない?違う?」でやれば、会話性対話性を持ち、もうちょいおだやかになるだろう。

 

 

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