2021年10月15日 (金)

今月のアンチ・ポジティブ(2021/10n1): 疫病対策と差別

日本の行政担当者の無能について前回も書きましたが、今回は疫病のワクチン接種について。

そもそも、目の前に人の集団がおって、それに対し、「あんたはAAA国人でない」とか「あんたはBBB市民でない」などと差別することは、笑い話にすらならないナンセンスだが、無能人はそのことに気づく能力もない。

そもそも免疫力の有無は、当人だけの問題ではない。その人が接する多くの他人の問題でもある。どうしても差別して接種をしないのであれば、行政の責任でその人を無期限隔離しなければならない。無能行政人は、それすらしない。単なる無為と放置だけだ。熱海市の土砂塊と同じ。

それとぜひやってほしいのは、「免疫力をチェックして、免疫力のある人にはヴァクシネーションをしない」という方式だ。この際、必要な節約が重要ではないか。グローバルに見れば。

この没論理性の最終的な行き先は、何だろう?おそろしい。

 

 

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2021年9月24日 (金)

今月の巨大ネガティブ: 世はなべて事もなし

要するに公務員、とくに地方公務員という安定身分を志向する人間の哲学は「 世はなべて事もなし」である。

世の中に重要なことは何もない。と毎日々々思いたい。と思っている。

給与の貨幣価値は、難しい努力課題が何もないときが最大である。価値最大を毎日維持したい。

虐待の訴えがあっても、「対策を要することは何もない」と思い込みたい、という気持ちが最優先する。

「そりゃーたいしたことではないよ」という思い込みがつねに最優先される。最悪を想定することは絶対にない。そんなの、めんどーだもん。

熱海市の、大量排土長年放置(土留工事ゼロ)も、その根性の産物である。一人ぐらいが、早い時期に真剣な対策を訴えても、無視される。

対策は、公務員の仕事の仕方に関する再教育である。「勝手に最善最良を予想しない&早期対処」を鉄則とする。もっとも行政コストが安いのは、早期対策したときである。失われた子どもの命のコストを無限大とすれば。今の地方公務員は、子の命なんて、無限大どころかゼロと見なしているかもしれない。

×世はなべて事もなし。

○世はなべて事だらけ。

 

 

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2021年9月19日 (日)

今月のポジティブ202109(はありません)

そのすべての無様(ぶざま)さをちょっと置いといて言うなら、テロに対する「武力による解決主義」の放棄はめでたいことと言えるのかもしれないけど、今後どうするのかがまったく見えてきませんね。なんか、良いものがちらっと見えるのならいいけど、なにもないし、次の手の模索はとても難しいと思える。

だから、少なくとも短期的な現状は、八方塞がりに見える。

やっと正しいスタートラインにつける日の前々日ぐらい、かもしれない。

みなさま各自のことはよく分からないけど、私の場合は新型ウイルス病は、家族も含め、免疫力があるせいか、ふつうに生活できてる。ただし世界が今抱えてる問題への解決助力はほぼゼロである。武力もだめだけど、単なる金の支援も相手側の腐敗を増長させるだけであかんみたい。

国際的な取り組みによる、一般庶民の生活力をempowerする努力が、すべてのベースとして必要でしょう。それぐらいしか、言えません。

 

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2021年8月27日 (金)

他者不在は論理性の拒否で民度慢性低下

女性が何をしても良いとか悪いとか、それをなんでオトコが決めるん?

オトコにそんな権利、ないじゃん。なんかの神話(宗教フィクション)が何と言っていようと、ないもんはない。

ない権利を、高々と振りかざす、偉そうに強いる。あんた、いったい、何様のつもり?

そんな高慢、どこのどんな神さんもお許しにならへんで。

これ、宇宙最大の馬鹿。これ以上大きいものはない論理性音痴。

ここが、人類最大の分岐路。どこでも、もちろん中近東でも、多くの人が正しい方の分岐へ歩みだしてほしい。

この馬鹿は、国と社会を圧倒的に停滞させる。コミュニケーションへの進歩の仲間入りができない。

もう一度言う。ここが、人類最大の分岐路だ。

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2021年8月23日 (月)

今月のポジティブ(2021/08/22)横浜市長選

選挙がまともなら結果もまともになることを、あらためて認識した。

自民党的保守のとっくに廃品化している論理は:

・今後の長い将来のある若者を大量に娯楽&賭博施設の労働者へと拉致して、「雇用創出」「産業振興」を自慢する。

・しかしその娯楽施設は観光に来る人にとって日本の魅力にはなりえない。むしろ日本の新たな汚点になるのみ。

・本物の産業振興産業育成ではないから、所得は上がらず、日本人客も来ない。

・不振不採算施設になることが、最初からみえみえ。

※前回「宗教と貧しさ」と関連して言えば、軍の長期駐留は全然「テロ対策」にはなりえない。彼らにできることは、無限の愚かしいもぐらたたきだけだ。もぐらがいないようにはできない。カジノ等で「雇用創出」「産業振興」をうたう日本保守と、「テロ対策==軍備」をうたう米欧保守は、同じタイプの愚かな脳だ。

彼らが良い生活を築けるようにすることが、真の産業振興であり、真のテロ対策なり。必要なものは軍ではない。豊かさである。

良質な選挙なら、馬鹿保守を葬り去れることが実証された。アフガンは、いろんな草の根やスタートアップへの着目と、彼らのガードが必要だ。

自民党は、わが身を切る覚悟で良い選挙への転換を。

 

 

 

 

 

 

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2021年8月22日 (日)

貧しさと宗教

ここでは、豊かさというものを、金銭的なそれとか、コミュニティやココロの豊かさなども含めて最広義の意味で指すものとする。

日本でもウン千年ウン百年まえから、社会の混乱期には野盗が跋扈した。

コミュニケーションについて考える本ブログでは過去に何回も、「宗教は神の名を騙る野盗である」という意味の言葉で、宗教の無化を主張してきた。

一方、コンピューターとネットワーキングの技術は、ソフトウェアもハードウェアも生産の自動化が進んでいるとはいえ、この自動化自身も工作物であるがゆえに、それらは人の能力を動員する産業である。今も未来も。必要とされる人の数は、ごく近未来的には今の数百倍、半世紀スケールでは数千倍、もっと長期的には数万倍よりも大きいと言われている。いや、今すでにたいへんな人材不足だ。産業の産はとりあえず金を産むの産だが、さまざまな新しい文化的社会的副産物も多い。

ほかにも もちろん、カジノの従業員よりましな若者の活路はいろいろある。注入が必要なのは、軍ではなく、資本だったのだ。

かの地で20年もの長期、何をしていたのかよく分からない米欧だが、はっきりしているのは全然、かの地における豊かさを育み定着、自己再生産化の風土をまったく作らなかったことだ。単純化して言うと、その大金は当地のローカルボスたちが私腹して終わりだ。そのローカルボスたちは今回、国外へ蜘蛛の子のように逃散しちゃったらしい。

※: 子ども二人をアメリカに留学させて、各人に、日本円換算で数億円の家をアメリカでの生活用に買い与えた、なんて話は、この20年が米欧の完全な大失敗以外の何物でもなかったことを、露骨に象徴している。

各地で、宗教で武装した野盗が権力と勢力を育ててきた。米欧は20年間も、ずっと全面的に、愚か&無能だった。宗教という貧しさに自然にそして徐々に勝てるのは、本当の豊かさだけだ。

今、宗教色がとても希薄になっている各地のコミュニティは、宗教廃絶運動のせいでそうなったのではない。豊かさが、宗教という細い硬い鋭いトンガリを、徐々に自然に消しゴムのように希薄化しているのだ。豊かさは、人と神を仲良くするから、人と人を仲良くするへ変えていく。

 

 

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2021年7月31日 (土)

今月のポジティブ(2021/07~: 五十嵐衣里さん

この方については、ネット上の記事も多いと思うのでここで具体的な紹介はしませんが、いじめられっ子や不登校子こそが未来を担える、ということの典型例のようだ。こういう人を選出した武蔵野市民もまた、ススンデルよなぁ。それでは、オリンピックが重大な事故の原因にならないことを、なにしろ祈りましょう。

 

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2021年6月27日 (日)

ある時代の終わりが訪れている

「ユニクロ」と「しまむら」の重要な違いは、後者には商品の自主企画品がないことである。対して前者は、ほぼ全品目が自主企画品である。つまり統一されている。そこでわれわれの心中に必然的に生まれる感想が、「ユニクロの品物はつまんない、おもしろくない」という感想だ。逆にしまむらに品物を納めているのは、日本の中小企業基盤を支える雑多な無名メーカーであり、そこの無名の若手がクリエイターとしてデザインした、お客へのアピール度を最大限意識した製品だ。彼らの開発力やデザイン力はユニクロを明らかに上回っており、「たのしくてかわいい」ものが多い。売れなければ困る製品を、もっぱら企画しているからだ。

「しまむら」の力は個がそのベースであり、対して「ユニクロ」の力は大戦車群的な企業力だ。無難な、おもしろくない製品ばかり作っているから、今の、個としては無表情な、貨幣経済奴隷たちによく売れている。世界的に圧倒的に、個が目覚めたとき、ユニクロ的企業は崩壊する。

おもしろいことに、若い女性を中心とする「ダイソー」のバイヤー(商品企画者)たちにも、「しまむら」に納品する無名中小企業と同じような、アピール度を奪い合う競争があるようだ。それは、また別の機会に論じよう。

そして、今回の本題。

外食チェーン店の従業員の不祥事がよく報道される。でも外食チェーン店を利用するときは、何を食わされるかわからんことを覚悟して利用すべきである。

個々の店の、作る側、売る側に、「個」がまったくいない。

そして、仕事は毎日、退屈でつまんない。誰がどこでどうやって作ったか分からんようなラーメンのスープに、自分のションベンを入れたくなるのも無理もない。食う方も、あらゆる可能性を覚悟して食うべき。

そこで、前から言っているように、外食店はすべからく、大規模チェーン店を全禁すべきである。外食店はすべからく、個人店であるべきである。資本側は、それへ向かって資金援助をしていく。

キッチンは、経営管理をクラウド化したいわゆるクラウドキッチンにして、1棟に6〜10キッチン+客席とすればよい。細部は今後詰める必要があるが、自分がおいしいと自信のある自分の料理を作る「個」が、そこに6〜10人入ることになる。店舗を借りるよりは、あらゆる意味で経常経費が安くなる。自分の自信の「作品」だから、カレーに鼻くそを入れるような不祥事は今後いっさい起きない。

食べ物を作って人に供する仕事は、100%楽しい、クリエイティブな個の仕事であるべきである。

今の人類がほとんどまだ気づいていないのは、これからの人類社会の唯一最大の(多義的意味での)金鉱が、「個」とその能力開発であることだ。それは、個を資本の下に大群のように吸着し、無個として扱うこれまでの資本の自然な動きの、真逆だ。とりあえず、全員が受験勉強と大企業大組織就職努力を完全に足蹴にしなければならない。そして個としての自己の能力開発に励むのだ。人間は、大きな花畑に咲く花のように、美しく咲き誇るだろう。

今の現実は、社会も経済も、個を腐らせるもので満ち満ちている。腐った個のさまざまな腐った行いも、満ち満ちている。

このブログのテーマである「コミュニケーション」は、A: 脱他者不在、B:個の顕現、この2点が最重大なベースである。論理的に言えば、BはAの派生項の一つにすぎないが。ちなみに、個の顕現については、昔ジーザス・クライストという人の言った「人はみな、一人一人が直接、神の子である」が、今のところ最初で最後の(ただし必要な深さを欠く※)発言だ。あれは、教団というものの全否定なんだな、チェーン店ではなく。

※: これまでの有力思想家全員と同じく、コミュニケーションという問題意識がゼロ。マヤ人などとは逆に、相当早い時期に宗教階級の支配から自由な「近代人」を定義した革命家だが、その自由が何をする自由だったか、その惨状は今さら言うまでもない。

 

 

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2021年6月23日 (水)

今月のポジティブ(202106r2): 都知事静養

これがオトコ(==クソオトコ)なら、本人が不可逆的症状へとぶっ倒れ、何万という周辺犠牲者が出るまで盲目的邁進を続けただろう。こんなポジティブネガティブな意思決定が今後続発してほしいね。

 

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2021年6月14日 (月)

今月のポジティブ(06r1): 女王がジョークを言う文化

前回に続いて今回もエゲレスの女性ですが、前回ほどお若くはないが、ココロザシはお若い。いきいきしてる。

状況はこのビデオなどで分かるが、G7首脳会議の初日の記念撮影は、全員がかっちりソーシャルディスタンスをキープした座り方をして、最後に最前列中央にホストの儀礼的代表者である女王が座ろうとする。そのとき彼女は、

Are you supposed to be looking as if you’re enjoying yourself?

と一発やらかす。

これをGoogleの翻訳は「楽しんでいるかのように見えるはずですか?」と訳し、みらい翻訳のお試しバージョンは「楽しそうな顔をしていますか?」と訳す。どちらもジョークの感覚が生きていない。enjoy oneselfは楽しむを意味する熟語だし、疑問文are you supposed to be lookingは、そのように思われるか、見えるかという意味。どのようにというと、as if you’re enjoying yourself、あたかも楽しんでいるかのように、だ。

  ・Are you supposed to be ... あなたは〜〜だと思いますか

  ・looking ... 見える

  ・as if you’re enjoying yourself ... あたかもあなたは楽しんでいると

私なら超意訳で、

それでみなさん、楽しんでると思われるお顔かしら?

それで、楽しく見えるお顔ですか?

とかやるかもしれない。

横にいて一瞬虚を突かれたジョンソン首相は、

Yes definitely. We have been enjoying ourselves in spite of appearances.

と女王に答えている。「もちろんですよ。顔は無愛想でもみんな楽しんでいます」、ぐらいか。

日本の皇族の中ではときどき秋篠宮さんがジョークを活用しようとするが、記者たちは無反応でシーンとしている。ジョークの出来は、ごく普通だけど。

もっぱらシーン粛々とした--活発オープンな対話性会話性のない--中で霞が関や永田町ではおかしなことばかり進行し、メディアも含め批判勢力は弱い。日本では、若々しい活発な、フレンドリーで動きの軽いコンピューター文化ネットワーキング文化は永遠に勃興しないか? イギリスと逆に、多民族化を永遠に拒んでいるようでは。

 

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